「こうしちゃ居られない。行くぞガーデルマン、出撃だ!」
ハンス=ウルリッヒ・ルーデル(独:Hans-Ulrich Rudel/1916年7月2日 – 1982年12月18日)は第二次世界大戦中のドイツ空軍(Luftwaffe)軍人である。愛用機は急降下爆撃機であるユンカース Ju-87 ストゥーカ。おそらく人類史上最も多くの機甲戦力を破壊した男。
戦車撃破王として有名だが、戦闘機も9機撃墜しているのでれっきとしたエースパイロットの一人でもある。そして被撃墜王でもある。
ルーデルさんとは、簡単に言えば。
というお方。他にも逸話として、
などなど。あまりの人外ぶりに、あの嘘八百百科事典のアンサイクロペディアでさえ事実しか書けないという非常事態になっており、編集者が「こんな嘘くさい事実に対して、これ以上嘘を加えることなんて不可能」「ルーデル自重しろ」と泣きを入れている。ウィキペディアやらアンサイクロペディアでは編集合戦による壮絶な切磋琢磨が見られる。
なお彼の公式戦績に関してだが、実際には仲間の評価を上げるために(同時に自分の休暇を減らすために)、自分の戦果を仲間の戦果として申告したりしていた。いやはや、まったくもって究極のツンデレである。
更には上記の通り記録上は病院にいるはずなのに勝手に出撃していたことがあるため、その時の戦果は記録されていない。したがって彼の実際の戦果はこれより多いものと思われる。
ルーデルが乗っていたJu 87 シュトゥーカ(Wikipedia)は、後部座席に後部機銃手兼オペレータが乗る複座型の急降下爆撃機である。 速度や機動力は当時の平均的な戦闘機の半分程度しかない。ルーデル機はそれに37mm対戦車機関砲をポン付けしただけ(Ju-87G)であり、性能は通常のシュトゥーカよりさらに低い。現代の車で例えるなら、「型落ちした小型自動車に、装甲車のどでかいタイヤを付けた」ようなものである。巨砲搭載航空機と言う発想は当時からあったとはいえ、彼を尋問した米英軍が「なぜこんな鈍足カスタマイズで今まで生き残れたのだ…」と首をかしげたのも無理は無い。
古い設計故パイロットを保護する防弾性は無い物の、急降下爆撃に伴うGに耐える丈夫な機体構造を持ち、それが幸いして被弾しても飛び続けるしぶとさ、生存率を高める事と成った機体である。
逆ガル翼を採用した事による下部視界の良さで正確な対地攻撃を実現した、ユンカースJu 87「シュトゥーカ」=「Stuka」=「Suturzkampfbomber」=「急降下爆撃機」は急降下爆撃の時の「サイレン音」が連合軍兵士畏れさせた事で知られる「伝説の急降下爆撃機」である。
余りの華々しい戦果は、軍首脳がシュトゥーカ後継機種の開発を怠る原因となり、更には水平爆撃機にも急降下爆撃可能とする無茶振り仕様を要求されたされたのも、引いてはドイツ軍が敗北した遠因の重爆撃機開発が遅れたのも「だいたいこいつのせい」と迄言われる、曰く付きの名機である。
チートのルーデルに相応しいカリスマ性を持った対地攻撃機である。
鈍足・過剰に頑丈な機体構造・対地攻撃に向いた良好な下方視界・大口径の対地砲…何か連想しないだろうか…。この条件に高い耐弾性、双発ジェットエンジンを付け加えると、あの戦車キラーで名高い現代の対地攻撃機A-10サンダーボルトIIのコンセプトと酷似している事を…。
実はA-10の開発においても、ルーデルがオブザーバーとして(助言を与える程度だが)関わっている。
なお、ルーデル=シュトゥーカのイメージがあるが、約2500回の出撃のうち、6分の1ほどはフォッケウルフFw190戦闘機に乗っていた。
こちらはシュトゥーカほど尖った性能はないが、人間工学や先進技術をふんだんに用いた、操縦性・整備性・生産性・性能、どれをとっても文句なし(強いて言えば高高度性能が不足してた)という枢軸陣営きっての公然チート機である。
例えるなら、シュトゥーカがA-10ならばFw190はF-16と言ったところか。
主にFw190を駆っていたのは戦争末期で、もはやシュトゥーカの性能ではどうしようもない状況にまで追い詰められた頃の話であった。使用していたのは戦闘爆撃機型のF型や液冷タイプのD型だったようだ。
ルーデルの戦闘機の撃墜記録に関しては、だいたいFw190で出したものらしい。
最後:対地攻撃機A-10の開発チームの必読書がハンス・ウルリッヒ・ルーデルの著書「急降下爆撃」だったとか…
また、彼の相棒の存在についてに言及しておく。
ルーデル自身はご覧のとおりチートだが、残念ながらシュトゥーカの後部座席に座った相棒はほとんどが通常プレイだったため、死んだりフェードアウトしたりして3回ほど相棒が変わっている。そして4代目にしてやっと運命の相棒、エルンスト・ガーデルマンと出会う。
軍医としてルーディのいた部隊に配属されたガーデルマンはスポーツと言う共通の趣味からルーディとすぐさま意気投合、後に相棒になる。彼はルーデルの期待に応える様な心身共に丈夫な男だった。例を挙げるとルーデルと一緒に対空砲で撃墜されて、肋骨が折れたたもののルーデルと同じく死ななかった。助け出されて病院で寝ていると、同じく助け出された(そして怪我をしていた)ルーデルに「さあ出撃だ」と言われて引きずり出されていったらしい。
また、ルーデルが足を失ったときに適切な治療(気絶しそうなルーデルを怒鳴り続けなんとか不時着させる、コックピットから引きずり出し応急処置を施すetc・・・)を行うなど活躍している。
軍医としても後方機銃手としても有能だったガーデルマン、戦後は医師としてオリンピックなどにも帯同して活躍したそうです。めでたしめでたし。
ちなみにルーデルが投降した際の後部座席にいたのは彼ではなく、5代目相棒のエルンスト・ニールマン(従軍記者)である。
「ルーデルの相棒はほとんどが通常プレイだった。」と言ったが実際のところはロースマン以外は十分異常である。
初代シャルノブスキーは恩師ステーン大尉とともにルーデルを空の魔王に育て上げた人物であり、ステーン大尉とともに操縦不能になった機体で巡洋艦キーロフに突撃して果てた。
2代目のヘンシェルは一番ルーデルとともに出撃した回数が多く、ガーデルマン同様後方機銃で戦闘機を撃墜している。最期は敵地で離陸できなくなった際に、敵に捕まらないために極寒のドニステル川を泳いで渡ろうと主張。皮肉にも提案した彼だけが泳ぎきることができずにドニステル川に沈んでいった。勿論ルーデルはこのかけがえのない親友を助けようと試みたが、空気が冷たすぎたために潜るための息を溜めることもできず、涙を飲んで川を渡ったのだ。
3代目のロースマン(ロートマン)は「ヘンシェルだったらよかったのに!」と言われまくり飛行中もどやされまくり、その挙句に「うーん押しつぶされる」と再起不能になった。誤解して欲しくないのは、ロースマンが情けないのではなく、これが普通なのだということである。ちなみに彼の本業は整備士であり、ルーデルの相棒をやめた後は整備士に戻り、時にはルーデルとガーデルマンと共に写真に写っている。
4代目は先ほど述べたとおりガーデルマンである。
しかし、ルーデルが入院している際に遠出をしてしまいその後の戦況の悪化により交通が麻痺してしまい結局、終戦までルーデルと再会することは出来なかった。
そこでガーデルマンの代わりとなったのが5代目のエルンスト・ニールマンである。
彼は元々従軍記者だったのだがそんなことはかまっていられない状況だったためルーデルの相棒に収まった。
だが彼も他の相棒達に負けず、米軍機による激しい空襲の中一人防空壕を出てその光景をカメラに納めるという無茶をやってのけたりしている。(しかもなかなかの出来だったそうな)
そんなこんなで結局終戦時までルーデルの相棒となり、戦後もルーデルと一緒に南米へ渡るなどしている。
自叙伝
掲示板
826 ななしのよっしん
2023/03/10(金) 23:45:42 ID: dTV+0YLA8p
アンサイクロペディアではルーデル本人のページはもちろん、T-34のページでも「嘘を書かせなかった男」になってるな。
827 ななしのよっしん
2023/08/18(金) 23:00:57 ID: TBDvraxS7X
逆説的に言うと勝つのにこんなのが12人も必要な戦争って絶望的って次元じゃない
828 ななしのよっしん
2023/08/20(日) 14:14:55 ID: EvEFfEAMKx
ドイツ国防軍報だっけか?のプロパガンダ映画によれば44年末の時点で「3個旅団2相当する数(約350輌以上)を撃破している」って話があるけど宣伝目的だから盛ってる可能性もあるしよく分からないのよなこの人の
かなりまえだから詳細が分からないけど「1部報告をしない事があった」と認めてたことはあるって話があるらしいが
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最終更新:2023/12/01(金) 09:00
最終更新:2023/12/01(金) 09:00
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