ルーベンス・バリチェロ(葡: Rubens Gonçalves Barrrichello)とは、ブラジルのサンパウロ出身のTENGA愛好家兼F1セカンドクラブ創設者元F1ドライバーである。
決してアマチュアではない。身長172cmとF1ドライバーの中では小柄。
愛称の「ルビーニョ」(Rubinho, 小さなルーベンスという意味)とは、バリチェロの父と父方の祖父も同じ「ルーベンス」の名前を持っている事から。因みに父はルーベンス・ジュニオール(Rubens Junior, ジュニア)と呼ばれている。欧米で子供(特に長男・長女)に父母の名前を付けるのは珍しくないが、今の所ルビーニョは息子たちにはルーベンスの名を与えていない。
荒れたレースになると強いドライバーである。
ポルトガル語(ブラジル・サンパウロ方言)でのフルネームの発音はフービンス・ゴンサウヴィス・バヒケール、愛称はフビーニュに近い。[1]彼はイタリア・ヴェネト州からの移民2世であり、イタリア語での姓の発音はバッリケッロになる。
F1デビューは1993年、2011年までに326戦に参戦し(うち決勝出走322戦)、2020年にキミ・ライコネンが更新するまではF1最多出走記録保持者となっていた。
デビュー当時からマシンに恵まれず、かなりの苦労人。
初優勝するまで125戦かかり、2000年当時最も遅い記録であった。ちなみに2021年現在の最遅記録はセルジオ・ペレスの190戦となっている。
2012年からはインディカーに転向、KVレーシング・テクノロジーから参戦した。
とにかく雨が絡むと強い。
など、バリチェロの名レースを語る上で雨は欠かせない要素の一つとなっている。
国内外からネタにされやすい人物である。
ここではその一部を紹介する。
2000年にフェラーリに移籍して以降、ミハエル・シューマッハのセカンドドライバーとして契約。
ブラジル人初のフェラーリドライバーとなった。
しかしここからバリチェロの長い長いポチ生活の幕開けでもあった…
当時のシューマッハは現役最強の呼び声も高かった。
安定感もあり、荒れたレースでもしぶといバリチェロはまさにフェラーリにとって理想のセカンドドライバーであった。
「シューマッハの飼い犬」と呼ばれたり、チームオーダー禁止のきっかけを作っちゃったりと色々あったがなに、気にすることはない。
2006年フェラーリからホンダに移籍後、今度はジェンソン・バトンのセカンドドライバーとしての番犬ぶりを発揮。
2009年ホンダ撤退後に発足したブラウンGPで、シーズン前半はフェラーリ時代さながらのバトンのサポート役に徹していた。
2010年にウィリアムズに移籍したことで、ようやくセカンドからの呪縛から解放された。しかしチームのスポンサーが次々撤退し資金不足に陥ると、多額のスポンサーを持ち込んだブルーノ・セナにシートを奪われ、2011年でF1活動にピリオドを打たれた。
荒れた展開になると強いバリチェロであるが、特にレース中何者かがコース上に闖入した時の強さは格別らしい。
その証拠にバリチェロがデビューした1993年以降、コース上に闖入者が現れたのは2回(2000年ドイツGP及び2003年イギリスGP)だが、そのどちらもバリチェロが優勝している。
2000年ドイツGPは前述のようにキャリア初優勝であり、同時に2000年シーズン中唯一の優勝でもあった。
2003年イギリスGPはブリヂストン不振のさなか、台頭するミシュラン勢の若手強豪を抑えての優勝となった。
余談だが、2003年イギリスGPの闖入者であるコーネリアス・ニール・ホーラン宣教師は、翌年アテネオリンピックの男子マラソン競技中にも乱入して世界中を騒がせることになる。
F1雑誌「F1速報」の4コマ漫画「F1グランプリ天国」の定番ネタの一つ。
バリチェロと同じ境遇にあるトップチームのセカンドドライバーはセカンドのトレードマークである「2」の帽子をつけている。(ジャンカルロ・フィジケラ、フェリペ・マッサ、デビッド・クルサードなどが会員)
帽子のモデルは2001年のフェラーリ時代に実際バリチェロがかぶっていたものが元ネタ。
2011年4月24日のニコニコ公式生放送「ホリエモンの満漢全席」にF1ドライバーの小林可夢偉が出演。
その時のトークで日本GPの際、小林がバリチェロに「日本にある長細いアダルトtoyのものを教えてくれ」と聞かれ、TENGAだと確信した小林はドン・キホーテで20本ほど購入したTENGAをバリチェロに渡した。
その後決勝前の土曜日の夜に使ってみたところ、大層気に入ったらしく「俺、もう奥さんいらないかも」
と賢者モードになっていたとかいなかったとか。因みに既婚であり、ムスコもとい長男は10歳になる年であった。
イギリスBBCの自動車番組「Top Gear」の1コーナーである有名人レース(Star in a Reasonably Priced Car)に第15シリーズ第3回でゲスト出演。前述のセカンドドライバーの話など際どい質問にもかなりフランクに答え、最後のタイムラップでは終始安定した走りを披露。何と今までに出場したF1ドライバーどころか、参考タイムとして掲示されていたThe Stig(2代目)のタイムすら上回る1分44秒3を記録した。司会者のジェレミー・クラークソンに「彼に勝ってしまうなんて」「絶対彼は喜んでない」と絶賛され、本人も「11勝分の箔が付いた」「給料を上げてもらわないと」と非常に喜んでいた。
よほど嬉しかったのか、次のドイツGPではわざわざ自分で「I BEAT THE STIG(俺はStigに勝った)」と書かれたTシャツを作って(Top Gear内ではチームがプレゼントしたと紹介)満面の笑みで写真に写り、息子にも「MY DAD BEAT THE STIG(僕のパパはStigに勝った)」Tシャツを着せ、さらには過去の出場者に「I DIDN'T BEAT THE STIG(俺はStigに勝てなかった)」Tシャツを贈った。(ただし着てくれたのはジェンソン・バトンだけだったとか)
ちなみに、その後Top Gear内でThe Stigが登場する際の噂話では「この1週間ずっと妄想でバリチェロをハムスライサーで切り刻んでいた」「バリチェロをデスクファンで痛めつけている」などとたびたびネタにされている。
…と思ったら第17シーズン第3回にて、F1界最年少の名を欲しいままにしているセバスチャン・ベッテルに1分44秒0というタイムを叩き出されてしまい、またもや二番手に甘んじることになってしまった。しかも、二代目Stigから三代目に代わる過程が非常にアレだったため、「(ラップボードから剥がして投げ捨てつつ)これはold sacked Stigの記録だ。新しいStigはまだ走ってない」とジェレミーに言われたことで、Stigに勝ったことさえなかったことになってしまった。可哀想過ぎる。
掲示板
16 ななしのよっしん
2018/07/03(火) 00:31:03 ID: XETy7Hk/CB
とうとうスパ24時間も出走決定。
46歳にして耐久三冠完全出走とか本当に鉄人、
F1の最多出走記録も保持したままだし、やはり名レーサーなんだな。
17 ななしのよっしん
2022/12/12(月) 06:46:02 ID: XETy7Hk/CB
ストックカーブラジル2022年間チャンプ。2014年以来2度目。
トヨタユーザーでトヨタもSCB初チャンピオン。
18 ななしのよっしん
2023/02/28(火) 20:29:31 ID: lDO0wLgTs2
ルーベンスの初優勝。大人になって人前であれだけ泣けるなんて感動でしたね荒木先生
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最終更新:2025/05/01(木) 01:00
最終更新:2025/05/01(木) 01:00
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