レアル・ベティス 単語


ニコニコ動画でレアル・ベティスの動画を見に行く

レアルベティス

9.1千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

レアル・ベティスReal Betis Balompié)とは、アンダルシア州セビージャに本拠地を置くスペインサッカークラブである。

ラ・リーガ1部であるプリメーラディビジョン所属。ホームスタジアムはエスタディオ・ベニートビジャマリン

概要

ヨーロッパサッカーリーグ
レアル・ベティス
基本情報
創設 1907年
所属リーグ ラ・リーガ
ホームタウン セビージャ
ホームスタジアム ニートビジャマリン
(60,720人)
クラブカラー ,
代表者 アンヘルアロ
プロサッカークラブテンプレート

1907年9月12日に創設された110年の歴史を持つクラブクラブ名のベティスは、ローマ帝国時代の属州名ヒスパニア・バエティカに由来する。バエティカはセビージャ内を流れるグアダルキビし、範囲は現在アンダルシア州に相当する。レアル(「王室」)の名前は、クラブアルフォンソ13世国王から後援を受けた1914年に付け加えられた。

1934-35シーズンクラブ史上一のプリメーラ・ディビシオン(1部)制覇を成し遂げ、コパ・デル・レイでは2度、1976-77シーズンと2004-05シーズン優勝している。歴史的にはリーガの上位に定期的に定着したり、エレベータークラブになったりする浮き沈みのしいクラブだが、人気が衰えないベティスを表すフレーズに、「ベティス万歳、たとえ敗れようとも!」(Viva Betis manquepierda!) というものがある。

スペインクラブで4番に多いファンクラブ数(450以上)を誇るスペインの名門であり、ベティコス (béticos) と呼ばれる熱狂的なサポーターに支えられている。歴史背景から労働者階級層に強い支持基盤を持つとされる。同じセビージャを本拠地とし、富裕層を中心にファンが多いとされるセビージャFCとの試合はセビージャダービーとして盛り上がる。

現在チームカラーだが、クラブ創設当時、グラスゴウ旅行したベティスのファンが、セルティックFCグリーンに感銘を受け、ウチのクラブカラーグリーンにしようとしたことに由来している。ただそれでは芸がないので、セルティックが横縞なのに対し、縦縞デザインとなった。

日本人選手では乾貴士2018-19シーズンに所属したことがある(2019年1月レンタル移籍したのでプレーしていたのは実質半年ほど)。

歴史

同じ都市ライバルであるセビージャFCが設立された2年後の1907年9月、地元の工芸学校学生によってセビージャバロンピエ (Sevilla Balompié) が創設。
一方、1909年にはセビージャFCで内部分裂が起こり、離反した役員たちによってベティスFC (Betis Foot-ball Club) が設立。
1914年、この二つのクラブが合併し、アルフォンソ13世の護を受けて「レアル (王室の意味) 」が冠された結果、レアル・ベティス・バロンピエ (Real Betis Balompié) が誕生した。

1931年から1939年までの間、クラブ名から「レアル」の冠が取り除かれていたが、この時期にクラブ黄金期を築く。クラブ創立25周年にあたる1931-32シーズン、2部リーグ(セグンダ・ディビジオン)で初優勝を飾り、アンダルシア州クラブとして初めて1部に昇格。そして、パトリック・オコネル監督を務めた1934-35シーズンクラブ初のプリメイラ・ディビジオン優勝を果たす。

しかし、ベティスの栄はそう長くは続かなかった。財政難や内戦の優勝メンバーの多くがチームを離脱し成績は下降線を辿る。1939-40シーズンには2部に降格。その後、1940年代から50年代にかけてはクラブの暗期といえる時期となり、1946-47シーズンにはとうとう3部リーグにまで降格してしまう。その後、2部に復帰するまで実に7年を要することになる。
そんな最悪な時期であってもサポータークラブを見捨てず、スタジアムは満員となっていた。アウェー試合でも見られたしい応援は(ユニフォームカラ―から)「の行進 (Green March) 」として知られ、スペイン中から共感を得た。

1955年、経営難に苦しむクラブ会長にベニートビジャマリンが就任。ビジャマリンの尽力によってクラブ経営は安定するようになり、1958年には15年ぶりに1部に返り咲く。1961年には後に自らの名前が冠することになるスタジアムを購入。さらには期待のとされたルイ・デル・ソルを名選手として輩出。勢いづいたチームはプリメイラ・ディビジオンに定着するようになり、1963-64シーズンにはクラブ最高成績となる3位になっている。

だが、1966年ビジャマリン会長で死去すると、直後にクラブは再び2部に降格。ここからおよそ10年間は昇格と降格を繰り返すエレベータークラブとなるのだった。1970年代半ばに入って1部での地盤を固めるようになると、1977年6月28日にはコパ・デル・レイ決勝でアスレティック・ビルバオを破り、初優勝を果たす。これによって1977-78シーズンUEFAカップウィナーズカップの出場権を得て、ベスト8まで進出。ところが、カップ戦の負担がしたのか肝心のリーグで低迷してしまい、2部降格の憂きに遭ってしまう。

降格から1年で1部に復帰した後、3シーズン連続で6位以内に入り、UEFAカップにも出場。本拠地のベニートビジャマリン1982 FIFAワールドカップの会場にも選ばれる。ところが、1980年代後半になると再びエレベータークラブに逆戻りしてしまい、リーガ・エスパニョーラが新たなレギレーションを導入したことによって深刻な財政難に陥ってしまう。

レンソ・セラフェレール監督に率いられた1993-94シーズン終了後にプリメーラ・ディビシオンに復帰した。1994-95シーズンは昇格組ながら3位となり、翌シーズンUEFAカップの出場権を獲得。1996-97シーズンにはリーグを4位で終えると初優勝から20年ぶりにコパ・デル・レイ決勝に進出。FCバルセロナと延長戦までもつれ込む闘を繰り広げるが、惜しくも準優勝に終わっている。チームを躍進させたフェレール監督バルセロナに引き抜かれるが、後にスペイン代表で黄金期を築くルイス・アラゴネス監督に就任。UEFAカップウィナーズカップベスト8まで進出している。

フェレールが7年ぶりに監督に再任した2004-05シーズンクラブ史上に残るスター選手となるホアキン・サンチェスや新加入のリカルド・オリヴェイラの活躍もあってリーグ戦を4位で終え、クラブ史上初めてUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得するとともに、コパ・デル・レイではクラブ史上2度優勝を果たした。2005-06シーズンCLではチェルシーFCを破るサプライズを見せたが、舞台での躍進とは裏リーグでは低迷し、14位でシーズンを終えた。

2007年に創立100周年を迎え、前シーズン欧州王者となったACミランと記念試合を開催。だが、この頃からクラブは再び低迷期に差し掛かり、放漫経営による財政的な問題、相次ぐ監督交代などの一貫性のない戦略エースのホアキンがバレンシアCFに引き抜かれたことが災いして2008-09シーズンにセグンダへ降格。さらにはオーナーであるデ・ロペーラが詐欺行為によって告発されるというスキャンダルが起こり、クラブ混乱。デ・ロペーラの退めるが強まる中、選手時代にクラブレジェンドだったラファエル・ゴルディージョが会長に就任する。

2シーズンをセグンダで過ごすこととなったが、2010-11シーズンより監督に就任したペペメルのもとで優勝を果たし、プリメーラに復帰。ペペメルはルベンカストロ、ホルヘ・モリーナ、ベニャ・エチェバリアを擁した攻撃的なサッカーインパクトを残すが、好不調の波がしく、2013-14シーズンには6勝7分25敗で勝ち点は25、得失点差-42の圧倒的最下位でセグンダへ降格する。

1年でプリメーラに復帰した2015-16シーズン英雄アキン・サンチェスが10年ぶりに復帰。ダニ・セバージョスらの台頭もあり、苦戦しながらも残留を続ける。2017-18シーズンはキケ・セティエンが監督に就任し、ポゼッションスタイルを導入。ラ・リーガで6位に入り、13年ぶりに欧州の大会への出場権を獲得する。セティエンは魅力的なフットボールを披露し評価されるが、徐々にすぼみとなっていき、2019年で退任となる。

2020-21シーズンに豊富な実績を持つマヌエル・ペジェグリーニが監督に就任。「再生工場」としても知られるペジェグリーニはセルヒオ・カナレスアンドレス・グアルダードらの才を引き出し、チームラ・リーガの上位チームへと着実に成長させる。2021-22シーズンのコパ・デルレイではバレンシアとの決勝を制し、17年ぶり3回タイトル獲得をもたらす。

タイトル

国内タイトル

現在所属している選手

背番号 Pos. 選手名 生年 加入年 前所属
- 監督 ヌエル・ペジェグリー 1953.9.16 2020 ウェストハム監督
2 DF エクトル・ベジェリン 1995.3.15 2023 スポルティングCP
3 DF ディエゴ・ジョレン 1993.8.16 2024 ASローマ
4 MF ジョニー・カルドーソ 2001.9.20 2024 インテルナシオナル
5 DF マルクバルト 1991.1.15 2024 トラブゾンスポル
6 DF ナタ 2001.2.6 2024 SSCナポリ
7 FW アントニー 2000.2.24 2025 マンチェスター・ユナイテッド
8 FW ヴィトール・ロッキ 2005.2.28 2024 FCバルセロナ
9 FW チミ・アビラ 1994.2.6 2024 オサスナ
10 FW アブデ・エザルズリ 1994.2.6 2023 オサスナ
11 FW セドリックバカンブ 1991.4.11 2024 ガラタサライ
12 DF リカルドロドリゲス 1992.8.25 2024 リノ
13 GK ドリアン 1987.1.3 2024 リヴァプールFC
14 MF ウィリアム・カルヴァーリョ 1992.4.7 2018 スポルティングCP
15 DF ロマン・ペロー 1997.9.22 2024 ニース
16 MF セルジ・アルティミラ 2001.8.29 2023 タフ
18 MF パブロ・フォルナルス 1996.2.22 2024 ウェストハム
19 MF クチョ・エルナンデス 1999.4.29 2025 コロンバスクルー
20 MF ジオヴァニ・ロ・チェルソ 1996.4.9 2024 ビジャレアルCF
21 MF マルクロカ 1996.11.26 2023 リーズ
22 MF イスコ 1992.4.21 2022 セビージャFC
23 MF ユスフ・サバ 1993.3.5 2021 ボルド
24 DF アイトール・ルイバル(C) 1996.3.22 2017 ガネ
25 GK フランシスコ・ビエイテス 1999.5.7 2023 ベティスB
30 GK ヘルマンガルシア  2004.2.1 2024 ベティスB
31 GK ウィリアムフェルナンデス  2001.3.28 2025 ベティスB
32 DF ノーベル・メンディ 2004.9.3 2024 ベティスB
33 DF シャビブレゲスエロ  2003.1.14 2025 ベティスB
34 MF カルロスギラオ  2003.4.27 2024 ベティスB
36 FW ヘスス・ロドリゲス  2005.11.21 2025 ベティスB
37 MF ダニペレス  2005.7.26 2022 ベティスB
38 FW アサン・ディアオ 2005.9.7 2023 ベティスB
40 DF アンヘル・オルティス  2004.7.25 2024 ベティスB
41 GK マヌ・ゴンサレス  2007.7.18 2024 ベティスB
42 DF パブロブスト  2005.9.15 2024 ベティスB
43 DF ルーカスアルカサル  2002.7.11 2023 ベティスB
46 MF マテオ・フローレス  2004.4.7 2024 ベティスB
47 FW カルロス・レイナ  2004.8.10 2024 ベティスB
52 FW パブロガルシア  2006.8.15 2025 ベティスB
57 DF セルヒオ・アリレス  2003.2.10 2025 ベティスB

はベティスB所属選手。

過去に所属したおもな選手

歴代監督

関連動画

関連項目

この記事を編集する
関連記事

親記事

子記事

兄弟記事

掲示板

掲示板に書き込みがありません。

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2025/05/21(水) 12:00

ほめられた記事

最終更新:2025/05/21(水) 12:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP