レイトン・ヒューイット 単語


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レイトンヒューイット

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レイトン・ヒューイット(Lleyton Hewitt)とは、オーストラリアテニス選手である。2016年オープンを最後に引退

カモーーーーン!!の掛けで有名。

概要

ロジャー・フェデラーと同じ1981年生まれのテニス選手。いわゆるニューボールズ世代の中でもマラト・サフィンと並んで最もくから活躍しはじめた選手の一人である。非常に熟な選手でランキング1位の史上最年少記録を保持している。小柄な体格ながら闘志あふれるファイター(称の身長サバを読んでいるらしい)。なおwikipediaによると日本ジュニア選手の間で「カモン!」の掛けがはやったのは彼のなんだとか。

タイプとしては芝・ハードなど高速系サーフェスに強いベースライナー。最近だとラファエル・ナダルノバク・ジョコビッチが「これを返すのか!」というようなコートカバーを見せるが、2002年ごろはこのポジションヒューイットがいた。リターン力も高く、全盛期の頃には「世界一リターナー」と呼ぶ人もいた(かつてはアンドレ・アガシがそう呼ばれていた)。また伝家の宝刀と言われるほどロブが上手い。最近のテニス界はベースラインからのストローク戦が流になっているが、彼の全盛期にはサーブボレーヤーがまだ上位に残っており、ウィンブルドンなどではネットプレーに対して絶妙のロブでかわすシーンがよく見られた。

2年連続で最終ランキング1位を確保した2002年の時点では、そのメンタルタフネスから数年間は下が続くと予想する人も多かった。しかしディフェンディングチャンピオンとして迎えた2003年ウィンブルドンオープニングマッチでは予選から勝ち上がってきたクロアチアビッグサーバーイボ・カルロビッチにまさかの1回戦負けを喫してしまう。結局2003年TOP10陥落。2004年から2005年にかけてアンディ・ロディックと争うところまでランキングを戻したものの、既に1位に立っていたフェデラー、さらには2005年ランキング一気に上げてきたナダルとの差はどんどん広がっていってしまった。2006年以降は散発的な活躍こそあるものの4大大会での決勝進出はく、度重なる故障による離脱、ランキング100位以下に落ちることが増え、かつての強さを知るものにはさびしい状態になってしまった。

リューマチと長年のプレイで足の形が変形してしまい、2012年2月の手術では左足のを切断して金属ネジに差し替えているという。手術が4年間で5回と満身創痍での現役生活が続いており、2012年には一時期200位以下までランキングを落としていたが、2013年以降はTOP100内に戻してきている。2014年ブリベン決勝でフェデラーを下して2010年ハーレ以来3年半ぶりの優勝を挙げたほか、ニューポートでは3年連続の決勝でようやく優勝、こちらは単複同時優勝となっている。

後輩に多数の有力選手が出てきたことで決心が付いたのか、2015年オープン期間中に自身20回となる2016年オープンを最後に現役を退く意向を発表。2015年ウィンブルドンデビスカップに集中するとしていた。最後のウィンブルドンでは初戦で同じく引退を表明していたヤルコニエミネンと対戦。勝てば次の相手がノバク・ジョコビッチだったのでセンターコートプレイできるチャンスだったが、惜しくもフルセットで敗れてしまった。一方デ杯では準決勝カザフスタン戦で0勝2敗と追い込まれる中、まずサムグロスと組んだダブルスで勝つと、2勝2敗で迎えたR5シングルスにも勝って見事チーム救世主となった。ヒューイットは昔からデ杯に積極的な選手として有名だが、引退後はデ杯監督に就任することが決まっている。

最後の全オープンは1回戦で自後輩ダックワースを下して2回戦進出。この試合の最後は見事なロブで決めている。2回戦はダビド・フェレールとほぼ同世代の小柄対決となったが、ここで敗れたのがシングル最後の試合となった。世代的には同世代だが自身のランキングがまだ低かった頃に小柄な体格で活躍していたためか、フェレールにとってヒューイットアイドルだったという。グロスと組んでダブルスにも出場していたが3回戦で敗れたのが現役最後の試合となった。

・・・はずだったのだが。2016年デ杯アメリカ戦ではニック・キリオスが離脱したため、ダブルスで急遽「代打オレ」をすることに。その後もウィンブルドンダブルスに登場しており「あなた引退したんですよね」と言いたくなる状況になっている。好意的に見るならよほどテニスが好きなんだろう、今後もスポットでの大会出場が見られるかもしれない。

フェデラー全盛期の被害者No2

かつて2003年終了時点ではフェデラーに対して7勝2敗と較的得意にしていたのだが2004年に入ってから状況は一変、全く勝てなくなってしまった。2004年オープン決勝で6-0を2つつけられたのが有名だが、この年はそれまでに全オープンハンブルグウィンブルドンでもそれぞれ6-0を1回ずつつけられており、前兆は既にあったといえる。結局2010年ハーレ決勝で勝つまで15連敗。この間4大大会決勝での敗戦が1回、準決勝が2回、それ以外の大会でも決勝が2回とロディックほどではないもののかなりの被害を受けている。全盛期の年間マッチ成績は3位に定着した頃のジョコビッチあたりとべても、それほどそん色いのだが、対フェデラーの連敗のせいか最近はロディックとともに過小評価されがちである。

なお引退に際してBIG4と後輩キリオスのメッセージを集めたビデオレターexit開されているが、最初に収録されているのがフェデラーだった。同世代のライバルだっただけにジンと来る人も多かったのではないだろうか。

日本とのつながり

日本メーカーであるヨネックスラケットを使用しており、来日の機会も男子トッププレイヤーの中では多い部類に入る。ジャパンオープンには5回出場しており2001年優勝、それ以外でも毎回準々決勝まで勝ち残っている。過去には日清カップヌードルCMに出演したこともある。2012年には東日本大震災チャリティエキシビションマッチドリームテニスARIAKE」にも出場している。

微妙なところではTVアニメ版「テニスの王子様最終回にて、全オープン越前リョーマが対戦している相手だったりする。同アニメスポンサーヨネックスが付いていたのか、テニス用品は全てヨネックス製品で固めていたとのこと。放映時の2005年は既にフェデラー下だったにも関わらず彼が描かれたのはヨネックスユーザーで当時一番のビッグネームだったからだと思われる。(ちなみに内容的には越前に負けて「まだまだだね」とか言われる役…。これ考えたスタッフは怒られてもいいと思う)

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