レイ・チャールズ 単語

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レイチャールズ

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レイ・チャールズ(Ray Charles Robinson 1930~2004)とは、「ソウルミュージック神様」と称された伝説的なアメリカ歌手/ピアニストである。

概要

Ray Charles

ジョージア州オルバニーに生まれ、フロリダ州北部のグリーン(ズ)ヴィルで育つ。
6歳のころに緑内障で両眼の視を失ってしまうが、持ち前の音楽センスと深みのある音楽活動を続け、1954年アトラティック・レコード契約して以降、“I've Got A Woman” や “What'd I Say” などのヒット曲を次々に生み出していく。

『レイ・チャールズ物語』の記述によれば、初期のレイはナット・コールチャールズブラウンなどの先人歌手スタイルを踏襲していたが、1950年代後半から1960年初頭にかけて、ブルースの曲にゴスペル黒人霊歌)やカントリーソングの要素を融合させていく独自のスタイル[1]確立させていったとのことである。

特に、ABCレコードへの移籍後、1960年に発表された “Georgia On My Mind(わが心のジョージア)” はミリオンセラーを売り上げる大ヒットとなり、1979年にはこの歌がジョージア州の州歌に定められる[2]など、レイの生涯の代表曲となった。

ソウルミュージックカリスマとして不動の地位を獲得していく一方で、レイ麻薬依存にも陥っており、1965年までに麻薬不法所持のために3度逮捕されている。レイ自身の言によれば、この1965年逮捕以後、1年間のオフ期間にリハビリを行い、ヘロインを断ったということである。
また、実は私生児もバンバン生まれており、女性関係においてもトラブルが絶えなかった。 

1989年には、サザンオールスターズの「いとしのエリー」をカバーした “Ellie My Love” を発表し、日本でも更に人気を高めた。

2004年レイの半生を題材とした伝記映画Rayレイ』が開され、撮に参加していたレイもこの映画を楽しみにしていたが、持病の肝臓が悪化し、レイ自身はこの映画にすることなく逝った。享年73歳。

盲目ハンデを背負いながらも、ひとつの時代を築き上げた音楽界の巨人葬儀には、ウィリーネルソンやB.B.キングスティーヴィー・ワンダーなど、大勢の高名な音楽家が集まり、その死を悼んだ。

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左:代表楽曲の一つ、"Georgia On My Mind(わが心のジョージア)"
右:1985年、“We are the World” に参加。

左:映画ブルースブラザーズ』に出演。

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関連項目

脚注

  1. *黒人文化オリジンを大事にするボーカル中心のこの音楽スタイルして「ソウルミュージック」と呼ぶのが、ソウルのひとつの定義である(絶対的な定義ではない)。
  2. *しかし、実際に「わが心のジョージア」がジョージア州の州歌に定められるまでには様々な紆余曲折があり、ジョージア州の黒人差別に反対してコンサートキャンセルしていたレイが、ジョージア州から出入り禁止の処罰を受けたこともあった。
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