ロシア5人組とは、チャイコフスキーと同じくロシアの第2世代の作曲家であり、ロシアの国民楽派を代表する五人のことである。正式名称は「力強い仲間たち」。
説明しよう!ロシア5人組とは!
「作曲家にしてプロデューサー!5人組のリーダー!ミリイ・バラキレフ!」
「辛口批評家の軍人!代表曲がなくて一人だけ影が薄い!ツェーザリ・キュイ!」
「本職は医者!だったん人の踊りはサントラじゃない!アレクサンドル・ボロディン!」
「編曲版の方が有名!作曲したのはこっちなのに!モデスト・ムソルグスキー!」
「実は家は貴族です!たぶん一番有名人!ニコライ・リムスキー=コルサコフ!」
「「「「「5人そろってМогучая кучка!」」」」」
どん!
以上だっ!
ミハイル・グリンカやアレクサンドル・ダルゴムイシスキーといった西欧音楽の波及をじかに受けた第1世代のロシア人作曲家たちが活躍していた19世紀半ば。しだいに彼らの音楽や教育を体験した新しい作曲家たちが生まれつつあった。それこそがピョートル・チャイコフスキーであり、彼らロシア5人組である。
グリンカの弟子であったバラキレフはやがて同じ志を持ったキュイたちと出会い、彼らの取りまとめ役となる。もちろんバラキレフのグループに参加したのはこの5人だけだったというわけでもなく、ほかにも様々な作曲家や音楽評論家が集まった。あくまでもロシア5人組とは諸外国から見て彼らのことをこのように認識していたのであって、決して統一されたまとまった存在ではなかったのだ。
自分たちで自分たちの新しい音楽を作り出そうとしたこれらロシア5人組はそれぞればらばらの個性を持ち、時にはぶつかり合いながら自分たちの音楽を作っていったのである。
彼らが知られるようになったきっかけは1867年のサンクト・ペテルブルクでのコンサートである。このコンサートの成功で音楽評論家のウラディーミル・スターソフは、彼らをМогучая кучка、つまり力強い一団として呼んだのである。
ロシア音楽の旋風は、彼らやルビンシテイン兄弟のピアニストとしての活動などによって次第にフランスなどクラシック音楽の本場に新しい刺激を与え、その異国の音楽は様々な影響を与えていった。こうして次第に確固としたロシア音楽の成立とルビンシテイン兄弟によって築かれた教育機関の整備によって、アレンスキー、グラズノフ、タネーエフ、リャードフといった1880年代ごろから活躍をする次の世代に移っていくのである。
西欧的で従来のクラシック音楽との親和性が高いチャイコフスキーとは対立とまではいかなくても当時から比較される対象であった。これは現在も変わらず一般向けのコンピレーションアルバムでは彼らの曲はあまり紹介されることはない(特にキュイとかキュイとかキュイとか)。しかし彼らロシア5人組はチャイコフスキーと同じく新しい音楽を芽吹かせた存在であり、現在のクラシック音楽を取り巻く環境もあって少しずつではあるが代表曲以外も取り上げられるようになってきている。
掲示板
4 名無し
2020/11/12(木) 19:16:26 ID: Lsvp9Bh3et
音楽家と楽器の美少女ゲーム「ガールズシンフォニー」にメドヴェーチ五人娘として登場。
5 ななしのよっしん
2021/01/04(月) 22:16:30 ID: AR/BZDfsSt
ツェーザリ・キュイって代表曲はわからないけど、もしかしたらだけど日本人には有名な作品があるよ。
何といっても彼は19世紀末の段階で本職では既にロシア帝国軍の要塞築城学の大家でした。ということは未完成ながら「あれ」が代表作だろうな。
旅順要塞!(何らかの関与はあるはず)
6 ななしのよっしん
2021/05/01(土) 07:41:30 ID: pIDvSugLua
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最終更新:2024/04/23(火) 22:00
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