この記事は競走馬の記事です。ゆにPの楽曲「Lost in the Fog」についてはこちらを参照のこと。
ロストインザフォグ(Lost in the Fog)は、アメリカ合衆国で競走生活を送った2002年生まれのサラブレッドの競走馬。2004年のデビューから2005年のBCスプリントで敗れるまで10連勝を記録し、アメリカの短距離競馬界を席巻した名馬である。
あちこちで招聘されては飛んでいった全米横断行脚、そして癌がもとで死亡するという馬としては珍しい死因でも知られる。
父Lost Soldier、母Cloud Break、母父Dr. Carterという血統のフロリダ州産馬。父ロストソルジャーは45戦11勝GIII1勝、母クラウドブレイクは不出走馬、母父ドクターカーターはGI2勝だが種牡馬としてはパッとしていないという、目立たない血統である。
フロリダはアメリカにおける競走馬の大生産地のひとつで、現地のセリ市でロストインザフォグも売りに出されたが、血統もイマイチだったせいか、2歳になるまでなかなか買い手が付かなかった。
2歳3月に最終的に落札された時の価格は14万ドルだった。後に稼ぎ出す賞金を考えれば、大当たりにも程がある買い物である。
買い手がついたロストインザフォグは、故郷を離れて西海岸はカリフォルニア州ゴールデンゲートフィールズ競馬場の厩舎に送られた。調教も非常に順調で、2歳戦も盛りの11月になって地元でデビュー戦を迎えることができた。
このデビュー戦でロストインザフォグは終始前に行ったまま譲らず、そのまま7馬身半差をつける圧勝パフォーマンスで初戦を飾り、関係者各位を大いに驚かせた。新馬戦というものはたまにそういうことがあるものではあるが、5ハロンで7馬身半差をつけるのはそうよくあることではない。
そして2戦目にしてロストインザフォグは「よくある初戦だけの馬」の予想を完全に拭い去った。カリフォルニアのお隣アリゾナ州のターフウェイパーク競馬場で迎えた2戦目において、なんと14馬身3/4差をつけての大圧勝劇を見せ、コースレコードも掻っ攫っていったのであった。ここまでやらかして話題にならない道理はなく、この時点で「なんかカリフォルニアにすごいのがいる!」と全米競馬界の話題となり、またスター不足に悩んでいた西海岸の競馬関係者の希望ともなった。
この2戦とも鞍上を担当したのは地元の名手ラッセル・ベイズで、以降もほとんどの競走でロストインザフォグの手綱を握ることになる。
年が明けて2005年、3歳になったロストインザフォグは遠征に遠征を重ねる大行脚を始めることになる。
年明け初戦は故郷のフロリダ州へ出戻り遠征。ガルフストリームパーク競馬場のフロリダ・カリフォルニア産馬限定競走に出走。ここでも4馬身半差をつけての圧勝であった。さらに同競馬場で初のグレード競走・スウェイルステークス(GII)に出走して、これも余裕の4馬身3/4差で勝利。あっさりと重賞勝ちをものにしてしまった。
そこから地元に戻らず、今度はニューヨーク州へ向けて北上、アケダクト競馬場のベイショアステークス(GIII)もまた4馬身1/4差での楽勝。かれこれ負け知らずの5連勝、もうGIでも行くべきじゃないかと思う戦績である。あるいはシーズン末に出るであろう大一番に備えて休めばよかったのかもしれない。
が、なんとここで空気の読めない本拠地・ゴールデンゲートフィールズ競馬場より「やあ! おらが村のヒーローのために、特別競走を用意したんだぜ! 頼むから出てくれよ!」という依頼が来てしまった。ファンのためにもとホイホイ誘われてニューヨークから地元へアメリカ横断とんぼ返り。地元のヒーローのために創設された3頭立てのショボい特別競走に出るや否や、無謀な挑戦者2頭を置き去りに10馬身差の大圧勝を見せつけた。この時の勝ち時計1分7秒32という記録はコースレコードを塗り替えるものであったが、もう少しで全米レコードにも達しようというものであった。相手が弱かったため、「本気を出していたら全米レコードも塗り替えていた」といわれたりするのも頷ける。
東へ北へ西へと半年でアメリカをぐるり一周してきたロストインザフォグ。ここでロストインザフォグを管理する陣営はまたしても東のニューヨーク、ベルモントパーク競馬場にロストインザフォグを送り込んだ。この年だけでも4回目の長距離輸送である。輸送費とかどれだけ掛かったことやら……。
乗り替わりなどのトラブルがありつつも何とか勝ったロストインザフォグは、1ヶ月と経たぬうちにフロリダへ向かい、コールダー競馬場でコースレコードのおまけつきの圧勝劇を繰り広げた。そして翌月にはまたニューヨークに戻ってくるのである。……本当に大丈夫だったんだろうか、人馬の体力とか、輸送費とか……。
8月27日、サラトガ競馬場のキングズビショップステークスでついにGIの檜舞台に登場したロストインザフォグは、4馬身3/4差で実にあっさりとGI勝ちの栄誉を掻っ攫っていった。おそらくこの時点で、誰もが「あー、BCスプリント勝つのもう決まったわ」と思っていたことであろう。
その年のブリーダーズカップはニューヨークのベルモントパーク競馬場での開催であった。キングズビショップステークスの後、そこに留まっていればまだよかったものの、ここで空気の読めない地元カリフォルニアのベイメドウズ競馬場から「やあ! おらが村のヒーローのために、特別競走を用意したんだぜ! 頼むから出てくれよ!」という依頼が来てしまった。もちろん行った。もちろん圧勝した。そしてまたニューヨークに急遽戻るのである。
広大なアメリカ合衆国の空を東西に5度と南北に5度、デビューから休みなく10回もの競走、3度のレコードタイム。この道程の最中で馬が壊れなかったことは、ある意味奇跡であったのだろう。
そして10月29日、全米短距離競馬の大一番となるブリーダーズカップ・スプリントにロストインザフォグは出走した。しかし、今まで前に馬を置かなかったはずのロストインザフォグは先頭に立つこともなく、中団に収まったまま進み、そのまま見せ場もなく7着に沈んで競走を終えたのである。奇跡は続かなかった。
この年が明けて、2005年エクリプス賞(全米競馬の最優秀表彰)において、ロストインザフォグはBCスプリントで大敗したにもかかわらず、短距離部門で最優秀賞に選出された。これはシーズン中の怒涛の8連勝が評価されたものだが、それと同時に「あの敗戦はたまたまのもの」「疲労が溜まっていたせい」などと思われていたのであろう。
2006年春になってロストインザフォグは始動したが、初戦に迎えた地元の競走でまさかの敗戦を喫する。再び東海岸へと遠征して勝ち星を得るが、その翌戦で今までにない惨敗を見せることになる。
レース後の裂蹄で休養していた2006年8月、急激に体調を崩したロストインザフォグの不調を診察していたカリフォルニア獣医科大学は、衝撃的な診断結果を発表した。ロストインザフォグが脾臓癌に冒されており、それもメロンサイズの大きな腫瘍であるというものであった。どうやらブリーダーズカップの頃には既に出来ていたらしく、ずっとそんな病巣を抱えながら競走を続けていたというのは驚きである。
絶望的な状況はさらに深刻化し、手術も施せないような位置の腫瘍も次々見つかっていった。もはや延命の余地すらなくなったロストインザフォグに、陣営は最期の時を慣れ親しんだ地元厩舎で過ごさせることにした。そして9月17日、苦痛を訴えて倒れたロストインザフォグに、安楽死の処置が執られた。
死後の検死により、悪性腫瘍はリンパ腺を経て下半身全体を蝕んでいたことが明らかとなった。
ロストインザフォグの死後、ゴールデンゲートフィールズ競馬場はその死を悼み、競馬場内にその遺骸を埋葬している。また記念競走も創設されているなど、その存在が同競馬場にとって大きかったことを示している。
遠征中に2度も招待競走という形でロストインザフォグが呼び出されたことは、しばしばBCスプリントでの敗戦、ひいては後の病の遠因とされたりもする。しかし当時の西海岸競馬全体の経営状況は非常に苦しく、スターホースの人気を利用してでも客を集めなければならなかったのかもしれない。依然として競馬業界の状況は苦しく、招待競走を用意した競馬場の一つであるベイメドウズ競馬場は後の2007年に廃業している。
2006年のアメリカ競馬界では、無敗でケンタッキーダービーを勝ったバーバロが同じく瀕死の重傷を負い、闘病生活の末に死亡している。
Lost Soldier 1990 鹿毛 |
Danzig 1977 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Pas de Nom | Admiral's Voyage | ||
Petitioner | |||
Lady Winborne 1976 鹿毛 |
Secretariat | Bold Ruler | |
Somethingroyal | |||
Priceless Gem | Hail to Reason | ||
Searching | |||
Cloud Break 1992 芦毛 FNo.19-b |
Dr. Carter 1981 芦毛 |
Caro | *フォルティノ Fortino |
Chambord | |||
Gentle Touch | Chieftain | ||
My Dear Girl | |||
Wistful 1977 鹿毛 |
Maribeau | Ribot | |
Cosmah | |||
Margaret's Number | Native Charger | ||
Dungiven |
クロス:Bold Ruler 4×5(9.38%)、Native Dancer 5×5(6.25%)、Almahmoud 5×5(6.25%)
掲示板
1 ななしのよっしん
2012/03/29(木) 19:37:06 ID: uvP0ouZ4Jv
記事作成ありがとうございます!
癌が発生したのはそのサイズから6月ごろとも言われており、もしそうだとれば、癌を抱えたままニューヨークとカリフォルニアを往復しながら歴史的パフォーマンスを見せ続けていたことになります。
この馬の底知れなさが際立ちますね・・・
2 ななしのよっしん
2013/03/27(水) 23:50:33 ID: esh6ppD+1N
ロストインザフォグという馬名の由来もその最期も、どこか儚さがつきまとう馬だね
3 ななしのよっしん
2020/10/30(金) 22:22:42 ID: zdn4A5jvFp
シルキーサリヴァンという伝説と一緒に埋葬されているのは凄い。
しかも、シルキーサリヴァンは超追い込みでロストインザフォグは基本先行と逃げという逆属性。
戦ったら、どうなったんだろう
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最終更新:2024/04/20(土) 04:00
最終更新:2024/04/20(土) 04:00
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