ロナウジーニョ単語

ロナウジーニョ

1.5千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

ロナウジーニョとは、ポルトガル語圏の称で小さなロナウドというような意味である。

本項では、ブラジルサッカー選手、ロナウジーニョ・ガウショ(ロナウド・ジ・アシス・モレイラ)について記述する。

概要

ブラジルポルトアレグレ出身、1980年3月21日生まれ。ポジションはFW、攻撃的MFであり代理人を務めるロベルトは元Jリーガーだったりする。

幼少期は貧しい庭で育ったが、前述のロベルトブラジルの名門グレミオでプロになってからは良い暮らしができたようである。その後の後を追うようにグレミオに入団し、プロキャリアが始まる。

2001年にはイングランドアーセナルスコットランドのセント・ミレンなど欧州クラブへの移籍が浮上するも、労働許可パスポートの不備で頓挫。最終的にフランスリーグ1のパリ・サンジェルマンFCに移籍した。

2002年FIFAワールドカップではブラジル代表として出場。ロナウド、リバウド、そしてロナウジーニョからなる「3R」を形成し世界王者にく。
PSGでは中心選手として活躍するが、最終シーズンチームリーグ11位と低迷し欧州カップ戦への出場権を逃した事から本人は移籍を希望

2003年FCバルセロナマンチェスター・ユナイテッドによる獲得競争の末にバルセロナに入団。
移籍初年度の2003-04シーズンは、それまで『暗期』と呼ばれていたチームリーグ2位に押し上げ、2004-05シーズンリーグ優勝、05-06シーズンリーグ連覇とUEFAチャンピオンズリーグ優勝の2冠を達成。05年と06年のバロンドールを受賞している。

2006年ドイツワールドカップでは大きな期待を背負って大会に挑んだが、ベスト8でフランスに敗れ連覇はならず。では勝手に建てられた彼の彫像が勝手に破壊されるという悲劇も起こった。
2007-08シーズンは度重なる負傷離脱、遊び報道、同胞からの「」発言などもあって散々な結果に終わる。

2008年ペップ・グアルディオラの新監督就任に伴い構想外となり、同年をもってバルセロナを退団し、イタリアセリエAACミランに移籍。

2011年ブラジルのCRフラメンゴに移籍。
翌年には同じくブラジルのアトレチコ・ミネイロに移籍し、2013年にはクラブ史上初となるコパ・リベルタドーレス制覇に貢献。同年末にモロッコで行われたFIFAクラブワールドカップ南米王者として出場したが、準決勝で開催国王者のラジャ・カサブランカに1-3でまさかの敗戦。2006年リベンジ達成とはならなかった。

 

バンダナ笑顔トレードマークプレー中もいつもニコニコしている。
トリッキー創造性溢れるプレーを持ち味としており、プレーキックの精度も高い。

全盛期バルセロナ時代)はスピードに乗ったドリブル突破も多く見られた。2005年エル・クラシコでは対面のセルヒオ・ラモス(当時19歳)とマッチアップし、何度も置き去りにしていた。その試合で自身の2ゴールを決めた際、敵地サンチャゴ・ベルナベウのレアルサポーターからロナウジーニョに対するスタンディング・オベーションが起こった事は現在となっている。
当時はフィジカルコタクトも非常に優れており、CLチェルシー戦では屈強なDFとして知られるジョン・テリーを正面から弾き飛ばしてドリブル突破しゴールを決めた。

そのスター性はファンのみならず対戦相手をも魅了し、2013年クラブワールドカップでは試合終了と同時にカサブランカの選手達に取り囲まれ、ユニフォームスパイクを脱がされた後お持ち帰りされるという追い剥ぎのようなが見られた。

 

関連動画

関連商品

関連項目

この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

急上昇ワード改

最終更新:2024/03/29(金) 08:00

ほめられた記事

最終更新:2024/03/29(金) 08:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP