ロベルト(競走馬)単語

ロベルト

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ロベルト(Roberto)とは、1969年生まれのアイルランド競走馬種牡馬である。

欧州競馬界では最大の悪役とも言われる
名前の由来はメジャーリーグの名選手ロベルト・クレメンテで、本の生産所有者だったジョンガルブレスがクレメンテが所属するピッツバーグ・パイレーツオーナーだったことから名付けられた。

概要

は大種牡馬Hail to ReasonCCAオークスなどを勝った活躍Bramalea二冠馬Nashua。血統が示す通りアメリカである。血統表を見てもらえばわかるがなかなか複雑なクロスがかかっている。NearcoBlue Larkspurなど名クロスもあるので、案外このクロスかもしれない。

ガルブレスロベルトアイルランドへ送り、名伯楽ヴィンセントオブライエン(現在アイルランド無双中のエイダンオブライエン血縁関係はない)に預けた。
そのロベルト、2歳時は4戦3勝。遠征したフランスGⅠグランクリテリウムでは*ハードツービートの4着に負けたが地元では3連勝で、アイルランドの最優秀2歳を受賞するなど順調な滑り出し。営は英クラシック戦線に照準を定める。

明けて3歳、まずは英2000ギニー標にトライアルレースを快勝。堂々と本番に臨むが半身差の2着に敗れてしまう。しかし3着には6身差をつけており、中に不利を受けたもあった敗戦だったので、ロベルトの評価はむしろ上昇。2000ギニーHigh Topダービーを回避したこともあり、ロベルト英ダービーの有補と見られるようになる。

かしここで、ロベルト人気が落ちる第一の事件が発生する。
ロベルトにはそれまでビル・ウィリアムソンという豪州出身のベテラン騎手(当時49歳)が騎乗しており、2000ギニーで不利を受けながら2着まで持ち込んだのも彼だったのだが、そのウィリアムソン騎手ダービー10日前に落し軽いケガをした。幸い大事に至るものではなく、医師も「ダービーに騎乗しても問題ない」と診断。しかしガルブレスは万全でない騎手を大一番に乗せたくないと乗り替わりを強硬に、ついにレース2日前(!)になって名手レスター・ピゴットに騎手を変更してしまった。これにファンは反発、ロベルト営を非難するが上がり、ロベルトは大きく人気を落としてしまう。

とはいえ馬券では1番人気で迎えた英ダービー中は中団で進み、直線で々に先頭に立つと追ってきた後の凱旋門賞*ラインゴールドと壮絶な叩き合いを演じた末に短頭差で下し勝利。見事ダービーとなり、ガルブレスは史上初めてケンタッキーダービー(1963年*シャトーゲイ1967年Proud Clarion)とエプソムダービーを両方所有したオーナーとなった。しかし前述の理由もあってか、写真判定でロベルト勝利の結果が出てもファンからは拍手一つなかったという。
ただレース自体は非常に評価が高く、後に英競馬史の名レース100選では第14位に選ばれている。ちなみにこのダービーには、日本でもお染みの名種牡馬Lyphard(*ダンシングブレーヴ、*モガミなどの)も出走していた(15着)。

続くアイリッシュダービー競馬にならずSteel Pulseの12着と惨敗。名誉挽回をかけて、この年新設されたGⅠベンソン&ヘッジス金杯(現:英インターナショナルS)に出走する。しかしそこに待ち構えていたのが、英国英雄Brigadier Gerardであった。デビュー以来スピードにものを言わせた圧倒的なレース勝利勝利を重ね傷の15連勝。Ribotの持つデビュー16連勝という記録に1勝まで迫っていた。もっと昔にはKincsemとかいうチートもいたがそれはそれである。

営は英ダービーで騎乗したピゴット騎手に騎乗を依頼するが、英ダービーフランスGⅠを勝って同レースに出走した*ラインゴールドの騎乗を優先され断られてしまう(ピゴットは情より勝利の可性を考える騎手だった)。ウィリアムソン騎手にもベルギーで騎乗のため断られる。困った営がガルブレスに相談したところ、ガルブレスアメリカで騎乗していたパナマ出身のブラウリオ・バエザ騎手を呼び寄せることにした。この抜、実はある理由があった。

英国最強Brigadier Gerardが出てくるとあってみんな逃げてしまい、僅か5頭立てのレース論1番人気Brigadier Gerard。2番人気が*ラインゴールドロベルトはオッズにして13倍の低評価だった。いくら前走惨敗だからって英ダービーがそこまで低人気とは……ずいぶん嫌われたものだ。

そして本番、それまで差す競馬をしていたロベルトがなんと逃げを打つ。それも「地獄から来た蝙蝠のように悪魔的」と言われるほどのハイペースで。
実はこれこそバエザ騎手を呼んだ理由だった。ガルブレスはかねてから、このレーススタミナのあるロベルト逃げを打たせてBrigadier Gerardを出し抜こうと考えていた。そこでアメリカ逃げ競馬に慣れているバエザ騎手を騎乗させ、Brigadier Gerardに奇襲を仕掛けようという作戦だったのである。

ここまでハイペースになってはBrigadier Gerardも深追いするわけにはいかず、つかず離れずの位置でロベルトを見る競馬ロベルトは先頭のまま直線に突入する。そこに外から並びかけてきたのがであろうBrigadier Gerard。観客のもが「よし、16連勝もらった」と思ったに違いない。

……が、ロベルトBrigadier Gerardと競り合うどころか、二の脚を使って引き離していく。なんとロベルトさん、ハイペース逃げていたのにまだ余たっぷりだったのだ。Brigadier Gerardジョー・マーサー騎手も死に物狂いで追うが、一向に詰まらない差を見て敵わないと思い、ついに追うのをやめてしまった。ロベルトはそのままBrigadier Gerardに3身差をつけ世界レコード勝ち。Brigadier Gerardデビュー以来の連勝は15で途切れ、記録更新ならず。この年のシーズン一杯で引退したBrigadier Gerardにとってこれが生涯一の敗戦だった。Brigadier Gerardはこのレースの前に不向きと言われた12ハロンキングジョージを使っており、体調不良だったための敗戦といわれているが、残っているレース映像を見ると、体調がよくてもロベルトが勝ったんじゃないかと思えるくらいヤバいレースをしている。是非ご覧いただきたい。

さて、ロベルトからすれば、奇襲作戦が見事にハマった大金星である。しかし大人をただでさえ不人気が出し抜けで勝ったとあって、ロベルトは世紀の悪役として全に定着してしまったのである。

その後ロベルトニエル賞を挟んで凱旋門賞に挑むが、後に日本に来てウインザーノットを産む*サンサンの前に7着と惨敗(このレースには日本からメジロムサシが出走ブービーに惨敗していたほか、ハギノトップレディ*サンシーも出てたりした)。翌年はコロネーションカップでもう一つGⅠ勝利を積むがキングジョージで名Dahliaの前にブービー負け。このレースを最後に引退した。

引退後は故郷のアメリカ種牡馬入り。芝王者*サンシャインフォーエヴァーや英セントレジャーTouching Woodなど多くの名を送り出し、Hail to Reasonの系統拡大に貢献した。19歳とややい死にはなってしまったが、十分な活躍を見せた。

輩出したGⅠの多くは繁殖として大成できなかったが、それとは裏に現役時代は二流以下だったたちが種牡馬として成功。Kris S.は93年にリーディングサイアーき、Red Ransom快速Electrocutionistを、Dynaformerは薄命のケンタッキーダービーBarbaroを輩出しサイアーラインを広げた。

そしてロベルトの子孫は日本でも活躍。日本に輸入された*リアルシャダイライスシャワーなど長距離として活躍し93年に日本リーディングサイアーを獲得、(実はGⅠの)*ブライアンズタイムナリタブライアンマヤノトップガンなど数多くの一流となり日本に一大勢を築いた。他にも先述のKris S.からはシンボリクリスエスSilver Hawkからはグラスワンダー日本GⅠを制している。

系としては日本では豊富なスタミナを特に伝えたが、スピードパワー、成長も兼ね備えたが多かった。特に孫のライスシャワー尽蔵のスタミナレコード叩き出すスピード、そして役殺しの悪役という点までロベルトと似通っていた。ライスシャワーナリタブライアンElectrocutionistBarbaroなどの大物世したこともあり一時にべて系は勢いを失いつつあるが、Kris S.の子孫が日で安定した活躍を見せており、とくにエピファネイアの活躍が素晴らしい。他にも日本ではグラスワンダースクリーンヒーロー ― モーリスラインもあり、しばらくは一系統として存在感を示し続けると思われる。

種牡馬としてのロベルトの成績は、ライバル(?)の*ラインゴールドはおろかベンソン&ヘッジス金杯で破ったBrigadier Gerardすら上回る偉大なものだった。ロベルト現在に至るまで悪役と評価され続けているが、悪役ヒーロー食い物にするくらいの実がなければ務まらない。ロベルトが背負った「史上最大の悪役」の汚名は、裏を返せば「史上最大の英雄を倒すほどの実者」という勲章なのかもしれない。そしてその実として明して見せた……のかもしれない。

血統表

Hail to Reason
1958 黒鹿毛
Turn-to
1951 鹿毛
Royal Charger Nearco
Sun Princess
Source Sucree Admiral Drake
Lavendula
Nothirdchance
1948 鹿毛
Blue Swords Blue Larkspur
Flaming Swords
Galla Colors Sir Gallahad III
Rouge et Noir
Bramalea
1959 黒鹿毛
FNo.12-c
Nashua
1952 鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Segula Johnstown
Sekhmet
Rarelea
1949 鹿毛
Bull Lea Bull Dog
Rose Leaves
Bleebok Blue Larkspur
Forteresse
競走馬の4代血統表

クロスNearco4×4(12.5%)、Blue Larkspur 4×4(12.5%)、Sir Gallahad III=Bull Dog 4×4(12.5%)、Mumtaz Begum 4×5(9.38%)、Pharos5×5×5(9.38%)、Plucky Liege 5×5×5(9.38%)、Sardanapale 5×5(6.25%)

関連動画

関連コミュニティ

関連項目

子孫たち

Roberto1969
Kris S. 1977
||Hollywood Wildcat 1990
||Arch 1995
|||Blame 2006
||*シンボリクリスエス 1999
|||サクセスブロッケン 2005
|||サナシオン 2009
|||エピファネイア 2010
||||アリストテレス 2017
||||デアリングタクト 2017
||||エフフォーリア 2018
||||ディヴァインラヴ 2018
||||サークルオブライフ 2019
|||ルヴァンスレーヴ 2015
Silver Hawk 1979
||*グラスワンダー 1995
|||スクリーンヒーロー 2004
||||ゴールドアクター 2011
|||||ウマピョイ 2020
||||モーリス 2011
|||||ジェラルディーナ 2018
|||||ジャックドール 2018
|||||ピクシーナイト 2018
|||||Hitotsu 2018
|||||カフジオクタゴン 2019
|||||モーメントキャッチ 2020
||||ウインマリリン 2017
||||ボルドグフーシュ 2019
|*リアルシャダイ 1979
||シャダイカグラ 1986
||イブキマイカグラ 1988
|||イブキライズアップ 1998
||ライスシャワー 1989
||ステージチャンプ 1990
|*ブライアンズタイム 1985
||チョウカイキャロル 1991
||ナリタブライアン 1991
||マヤノトップガン 1992
||エリモダンディー 1994
||サニーブライアン 1994
||シルクジャスティス 1994
||ファレノプシス 1995
||トーホウエンペラー 1996
||タニノギムレット 1999
|||ウオッカ 2004
||ノーリーズン 1999
||フリオーソ 2004
|||ファーガス 2019
Dynaformer 1985
||Barbaro 2003
||Point of Entry 2008
|||*ロータスランド 2017
Red Ransom 1987
||Intikhab 1994
|||Snow Fairy 2007
||Electrocutionist 2001

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