ロータス・107とは、チーム・ロータスが1992年から1994年まで使用したF1世界選手権用のマシンである。
1992年にレイトンハウスから移籍したクリス・マーフィーの手によって設計された。彼は鈴木亜久里がドライブしたローラLC90の設計も担当していた。
全体的にはレイトンハウスCG911のデザインを踏襲し、フロントはハイノーズの上で、若干前に出すように下ろされたアンヘドラルウィングを採用した。
サスペンションは、フロントにモノショックを採用したほか、車高調整装置がつけられたセミアクティブサスペンションとなっていた。しかし、実際には車高調整装置がつかわれなかった。
ドライバーは、ミカ・ハッキネンとジョニー・ハーバートだった。なお投入は、第5戦のサンマリノGPにハーバートのみ、次のモナコGPからはハッキネンにも投入された。
実際のレースではハッキネンが2度の4位入賞を果たし、コンストラクターズランキングで5位に躍り出た。
1993年シーズンは、107を新レギュレーション向けにモディファイし、さらに前後に油圧シリンダーだけで制御するフルアクティブサスペンションを搭載した107Bで挑んだ。フルアクティブサスペンションの採用は、1987年のロータス・99T以来となった。
ドライバーはハーバートに加え、アレッサンドロ・ザナルディがドライブした。
レースでは、ハーバートが3度の4位入賞を果たす一方で、ザナルディは1ポイントのみにとどまった。
さらにザナルディはベルギーGPのフリー走行中に大クラッシュを起こし、残りのレースをペドロ・ラミーが務めた。
最終的にコンストラクターズランキングは6位となったが、アクティブサスペンションのセッティングに手を焼くだけでなく、資金不足で熟成が進まなかったことを考えると、失望のシーズンとなってしまった。
1994年は、メインスポンサーであったカストロールが撤退したことと、アクティブサスペンションの開発費がかさんだことで資金難に陥っていた。
チームはエンジンとして無限ホンダ・MF351HC V10エンジンを手に入れたが、ニューマシンの製造が間に合わず、暫定車として107Cを使用した。
サスペンションはハイテク禁止によってバッシブサスペンションにされたが、107のようなモノショックではなく、ツインショックが採用された。
ドライバーはペドロ・ラミーとジョニー・ハーバートであったが、ラミーが第4戦終了後のテストで大クラッシュを起こして重傷を負い、次のスペインGPからザナルディが搭乗した。このとき、バーバートには新車のロータス・109が支給されていた。
レースでは比較的安定して完走をしていたものの、入賞までには届かなかった。
ロータス・107シリーズにおいては、多くの日本企業がスポンサーについていた。
これはチーム再建を始めた1991年に日本に営業拠点を設け、積極的な営業活動を行った結果でもあった。
当時はバブル経済の余韻が残り、F1のスポンサーになることが一種のステータスとなっていたこともあった。
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最終更新:2024/04/25(木) 23:00
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