ヴァン・ヘイレン(Van Halen)とは、アメリカのカリフォルニア州で結成されたハードロック・ヘヴィメタルバンドである。
アレックス・ヴァン・ヘイレン(ドラム/兄)とエディ・ヴァン・ヘイレン(ギター/弟)の二人の兄弟を中心に結成されたバンド。その後のHR/HMに計り知れないほどの影響を与えた。
全米で5,650万枚以上、世界累計で8,000万枚以上を売り上げたスタジアム・ロックバンドである。
ヴァン・ヘイレン兄弟以外のメンバーは交代があり、2019年の本記事初版作成現在は、エディ(ギター)、アレックス(ドラマー)、ウルフギャング・ヴァン・ヘイレン(ベース)、デイヴィッド・リー・ロス(ボーカル)となっている。
マイケル・アンソニー(ベース/バックボーカル)、デイヴィッド・リー・ロス(リードボーカル)の体制でバンドを組んだのは1974年のことであった。
78年1月、キンクスのカバー曲『ユー・リアリー・ガット・ミー』をシングル・カットしてデビュー。同年2月には『Van Halen(炎の導火線)』を発表。このアルバムはロックで最も商業的に成功した作品の一つとなり、ビルボードポップチャートで19位、150万枚を売り上げプラチナディスクとなった。このアルバムの今日までの累計売上枚数は1000万枚を超えている。バンドはブラック・サバスの前座など、ほぼ1年間ツアーを続け、結成半年にして同年6月日本公演を行った。
当時その驚異的なギターサウンドに、ギターではなくシンセサイザーなのではないのか?と誤解したリスナーも多くいたといわれるほどの革新的で新しいサウンドであった。
1979年4月、セカンド・アルバム『Van Halen II(伝説の爆撃機)』を発表。ビルボード最高位6位。再びプラチナディスクを獲得。シングルカットされた『Dance The Night Away』が全米15位、『Beautiful Girls』が全米84位と初のヒットシングルとなった。9月には再来日公演。
1980年3月、サード・アルバム『Women and Children First(暗黒の掟)』を発表。カバー曲を含まないオリジナル曲のみで、それまでの明るい曲調は抑えられダークでシリアスなアルバムとなった。
1981年5月、4枚目のアルバム『Fair Warning(戒厳令)』をリリース。このアルバムからキーボードが導入された。
1982年4月、5枚目のアルバム『Diver Down(ダイヴァー・ダウン)』をリリース。全米最高3位。ロイ・オービソンのカバー曲『プリティー・ウーマン』が先行カットされ、全米12位のヒット。
1983年、ロサンゼルス近郊で開催されたUS Festivalに参加した際は、90分で150万ドルという高額の出演料を得、出演料のギネス記録を更新した。
バンドの結成から10年目となる1984年1月、6枚目のアルバム『1984』リリース。このアルバムは爆発的反響を得てヴァン・ヘイレンの第一次黄金期となった。全米最高2位。今日までの累計売上数は1000万枚を超えダイアモンド・ディスクとなっている。
シングルカットされた『ジャンプ』は全米5週連続1位、『パナマ』などヴァン・ヘイレンの定番となったヒット曲も多数生まれた名盤である。
ところがシンセサイザーの本格導入を主張するエディと、従来の路線の維持を主張するデイヴが衝突。1985年、とうとうデイヴィッド・リー・ロスが脱退してソロ活動を表明。
かわりにハードロック・バンド、モントローズでアメリカの声と称賛されていたサミー・ヘイガーを迎えることになった。
1986年3月、7枚目のアルバム『5150』リリース。全米最高1位を記録する。シングル『ホワイ・キャント・ディス・ビー・ラブ』が全米第3位。ギタリストでもあるサミー・ヘイガーの参入により楽曲の質が明らかに向上し、ディヴィッド・リー・ロスが得意としていたパーティーロック・バンド的なコミカルさは殆ど陰を潜め、バラードなどに名曲が多数生まれるようになった。第二次黄金期ともいえるサミー・ヘイガー期の始まりでる。
1987年公開の映画『オーバー・ザ・トップ』に、サミー・ヘイガーはエディとの連名による楽曲「Winner Takes It All」提供。
1988年5月、8枚目のアルバム『OU812』リリース。全米最高1位を記録。前2作と同様にエディによるシンセサイザーの多用が見られる。
シングル『ホエン・イッツ・ラヴ』は全米5位。クラシック・ロックラジオ局では定番の1曲となり。ビルボードのメインストリーム・ロック・チャートでは1位という大ヒットとなった。
1989年1月、10年ぶりとなる来日公演を行う。東京・東京ドーム、大阪、名古屋、京都で6公演を行う。後日東京で追加公演を行った。東京ドーム公演はTV収録されて特別番組が放送された。
1991年6月、9枚目のアルバム『For Unlawful Carnal Knowledge』をリリース。全米初登場1位を記録する。再びギター中心の作曲となった。
1993年2月、初のライヴ・アルバム『Live:Right Here, Right Now』をリリース。全米最高5位。
1995年1月、10枚目のアルバム『バランス』をリリース。全米初登場1位を記録する。人間心理の二面性をテーマとした作品でオリジナルのジャケットは結合双生児を模した画像だが、日本盤は自主規制により同じモデルが一人で写っているものに差し替えられている。ツアーのチケットは瞬く間に完売し、当時のオルタナティブ・ロックの流行にも全く屈しない強さを見せつけた。
ところがサミーとエディの二人はこの頃から次第に心が離れていったという。
1995年10月11月、6年ぶりとなる来日公演を行う。東京、大阪、福岡で7公演を行った。
1996年6月、サミー・ヘイガーの脱退。ベスト・アルバム『Best Of Volume 1』用の新曲のために11年ぶりにデイヴィッド・リー・ロスが招聘され、復帰が噂されたが、3代目のボーカリストは、エクストリームのフロントマンであったゲイリー・シェローンとなった。
1998年3月、11枚目のアルバム『ヴァン・ヘイレンIII』リリース。全米最高4位。シングル『ファイヤー・イン・ザ・ホール』は、映画『リーサル・ウェポン4』の劇中曲となった。
1999年、アルバムのレコーディング中にゲイリー・シェローンが友好的なかたちで脱退。その後、エディの癌、腰の手術などの影響で、バンドは休止状態となる。
2002年にはマイケル・アンソニーが、サミー・ヘイガーとデイヴィッド・リー・ロスによるカップリングツアーにヘイガーのバックバンドのメンバーとして参加したことを理由に解雇された。
2004年にサミー・ヘイガーが復帰してバンドは復活ツアーを行うも途中でエディとサミーは仲違いしてしまう。2枚組ベスト・アルバム『The Best Of Both Worlds』の新曲2曲に参加のあと脱退してしまう。
マイケル・アンソニーも復帰したが正式なメンバーではなく雇われミュージシャンの待遇であった。ツアー後、新ベーシストにエディの息子、ウルフギャング・ヴァン・ヘイレンの加入が発表された。
2007年、バンドは再始動をはじめ、1月にロックの殿堂入り、ボーカルにデイヴィッド・リー・ロスが復帰し、アメリカツアーが行われた。
2012年2月7日、12枚目のアルバム『ア・ディファレント・カインド・オブ・トゥルース』をリリース。全米ビルボード2位、全米ロックアルバム&ハードロックアルバム1位、全英6位、オリコンチャート3位を記録。
2013年6月、15年振りの来日公演を行う。東京、大阪公演は写真やビデオ撮影が許可されショーの様子はYouTube等で観ることが出来る。
2015年3月31日、2013年の東京ドーム公演を収録したライヴ・アルバム『Tokyo Dome Live in Concert(ライヴ・イン・ジャパン)』をリリース。
2020年10月6日、後記のエディ死去により活動停止。正式な解散宣言は出されていない。
2020年10月6日、エディ・ヴァン・ヘイレンは長年の癌との闘病の末65歳で死去。息子のウルフが下記の投稿を行った。
「がんで闘病中だった父がけさ亡くなりました。最高の父親でした。オンステージ、オフステージで一緒に過ごした全ての時間が贈り物でした。心が壊れ、いつこの喪失感から立ち直れるかわかりません。本当に大好きだよ、パパ。」
ヴァン・ヘイレンから脱退したサミー・ヘイガーとマイケル・アンソニーは、ギタリストにヴィック・ジョンソン、レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムの息子、ジェイソン・ボーナムをドラマーに迎えたスーパーグループ「The Circle(ザ・サークル)」を結成し2020年現在、絶賛活躍中である。
掲示板
4 ななしのよっしん
2021/03/16(火) 09:07:31 ID: hrbRxXllyE
「楽屋に茶色抜きのM&M'sのチョコを用意すること」
世界的バンド、ヴァン・ヘイレンが要求するルールは一見ヤバすぎるが実は明確な目的があった
https://
5 ななしのよっしん
2021/10/24(日) 13:33:44 ID: que7KRyeMF
海外版GT4のOPにPanamaが使われてて、アメリカらしさが全面的に出てて面白かった。
6 ななしのよっしん
2022/08/26(金) 12:22:30 ID: HBKAJJnvWs
エディ以前にマイケル・アンソニーのいないヴァン・ヘイレンに用は無い
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最終更新:2024/04/24(水) 12:00
最終更新:2024/04/24(水) 12:00
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