一式双発高等練習機とは、大日本帝國陸軍が運用した練習機である。略称は一式双高錬、双発高錬など。
連合軍が付与したコードネームはヒッコリー。
1930年代に入ると航空機が急速に発達。操縦士の他に爆撃手、無線通信士、航法士などが必要になり、列強各国は既存の輸送機や旧式機を練習機に改造して養成に充てたが、日本では専用の練習機をわざわざ造っていた。1939年、陸軍は現行の九五式二型練習機に代わる多目的双発高等練習機キ-54の試作を立川飛行機に指示。一度に操縦訓練生、航法手訓練生、通信手訓練生、爆撃手訓練生、旋回機銃手訓練生とその教官を搭乗出来る設計を要求した。さっそく開発がスタートしたが、立川にとって今回が初の自社製金属双発機だったが、これまでに培ってきたノウハウを惜しみなく注いで製作。エンジンの信頼性が高く、視界も良好、機体の耐久度にも優れた傑作機が誕生した。機内スペースも確保されていて、様々な訓練に対応する事が可能だった。1940年6月14日に試作機が初飛行を行い、陸軍の審査を通過。翌月から量産が開始され、若干の改修を加えたのち1941年7月に制式採用。一式双発高等練習機と命名された。
実用性と性能に優れた一式双高錬は、未来の若鷲の育成に役立った。訓練部隊からの評価も高く、歓喜の声で迎えられた。より効率的に訓練を施すため、それぞれの分野に特化したバリエーション機が造られ、甲型(操縦・航法練習機型)、乙型(通信・爆撃・射撃練習機型)、輸送機用の丙型、対潜哨戒機用の丁型が登場。連絡機や要人用輸送機、落下傘部隊の練習機、民間輸送機としても使用され、戦闘以外の幅広い分野で活躍。満州や支那戦線、インドシナ方面に配備された。縁の下の万能機は陸軍に重用され、破格の生産数を誇った。甲型と丙型は武装なし、乙型は7.7mm旋回機銃4丁(射撃訓練時)、15kg訓練爆弾10発(爆撃訓練時)。丁型は対潜探知機KMXを搭載していた。
1943年10月より、必要資材を削減した木製一式双高錬(キ-110)の開発がスタートし、完成寸前まで漕ぎ着けたが、1945年7月に空襲を受けて機体そのものと図面を焼失。すぐに開発再開したが、終戦で打ち切りとなった。一式双高錬そのものは1945年6月に生産が中止されている。
戦争も末期に入った1945年4月7日、第二総軍が開設。広島市の吉島飛行場に畑俊六元帥以下司令部要員を運び、そのまま飛行場に配備された。中央への連絡飛行では立川や所沢に向かった。8月6日、広島市に原爆が投下された。これに伴って午後12時30分に救援物資を満載した一式双高錬が山口県の小月基地を出発、吉島飛行場に物資を届けている。参謀たちを加古川へ避難させた後、避難民であふれる吉島飛行場に強行着陸を敢行した。
戦後、各地に残っていた機体が第一次インドシナ戦争で再利用。元日本兵が搭乗している。また支那戦線に配備されていた残余の機体が中国側に接収され、1946年3月1日に開校した東北民主聯合航空学校の練習機に使われた。その後勃発した第二次国共内戦でも使用され、このうちの1機の胴体が北京航空館に展示。日本国内には長らく現存機が無かった。
1940年に7機、1941年に100機、1942年に236機、1943年に386機、1944年に498機、1945年に115機が生産され、合計1342機が量産された。練習機にしては破格の数で、いかに一式双高練が優れた機であったかを如実に示していると言えよう。
2010年8月、十和田湖の地底調査を行っていた会社が偶然沈んでいた一式双高錬を確認。国の認可を得て、有志が引き揚げ作業を開始し、2012年9月5日に引き揚げられた。水温が低く、淡水だった事から機体の腐食が少なかった。東北財務局青森財務事務所所管となり修復作業が加えられた後、9月29日に5万2500円で青森県の三沢航空科学館に払い下げられた。2012年11月1日から一般公開され、日本で唯一現存する機となった。2016年7月2日、一般財団法人日本航空協会から重要航空遺産に認定され、東北初の快挙を成し遂げた。
どうやら1943年9月27日に十和田湖へ不時着水した甲型のようだ。製造番号によると1942年製の模様。飛行第38戦隊所属の本機は秋田県能代飛行場から青森県八戸飛行場に向かって離陸したが、何らかの原因で十和田湖に墜落。乗員4名のうち1名のみが助かった。
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最終更新:2025/04/07(月) 20:00
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