一条兼良 単語

イチジョウカネヨシ

一条兼良(いちじょう・かねよし/かねら 1402~1481)とは、関白・太政大臣・学者である。一条8代当一条経嗣の六男。歌人連歌を大成した関白・太政大臣である二条良基の孫。桃華三関老人後成恩寺などと称した。

名門として公卿に

一条の隠居により11歳で元する。翌年の1413年に従三位に叙せられて卿に列した。

1429年に左大臣に任じられるが従兄弟二条持基に実権を握られた。

その後卿としては不遇の生活を送った。

学者になる

しかし、学者としての名は高まり、将軍の歌などに参与した。

1455~57年ごろに『日本書記』の注釈書である『日本書紀』(全6巻)を著す。

応仁の乱においては一条室町の邸宅と書庫「文庫」を焼失する。

1468年には戦火から逃れるために、子・尋尊がいる興福寺大乗院に身を寄せる。奈良では『源氏物語』の注釈書『余情』を完成させる。

父や祖父を超える

学者ということもあり、色々な分野の学問を研究していただけに、対も広く有職故実から和歌・連歌能楽にも詳しかった。

時の人々からは、「日本無双の才人」と評され、兼良自身「菅原道真以上の学者である」と語するほどであった。

一条兼良の子供たち

兼良は正室・側室の5人の女性を娶った。

判明してるだけでも10男10女の精力でもあった。

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