丁型海防艦とは第二次世界大戦(太平洋戦争)中、大日本帝国海軍によって計画・建造された軍艦である。
艦名は大量建造が計画されたため、それまでの海防艦(「択捉」「占守」など島の名前がつけられていた)とは違い「第○○号海防艦(○○には一桁から三桁の数字が入る)」と名付けられた。同型艦には「第2号海防艦」以下「第4号海防艦」「第6号海防艦」「第8号海防艦」・・・といった具合に偶数番号がつけられているのが特徴。なお、奇数番号は同時期に建造された「第一号海防艦」から始まる「丙型海防艦」に名付けられている。一番艦の名前から「二号型海防艦」とも呼ばれる。昭和18年・19年に143隻の建造が計画され終戦までに63隻が完成、8隻が建造中、さらに戦後に復員輸送艦として4隻が追加で竣工している。
太平洋戦争が始まると帝国海軍は海上護衛の問題に直面することとなった。最大で西太平洋全域から東インド洋に至る戦線の維持と戦争経済遂行のための東南アジアとの海上交通路の維持が求められたからだ。しかし、帝国海軍にはそれだけの区域の海上護衛に必要な護衛艦の数は全く足りず、旧式駆逐艦や駆潜艇、掃海艇、はては特設艦船(民間船舶を徴用し砲や爆雷などを搭載した、にわか仕立ての軍艦)なども護衛任務に投入したが、はっきり言って焼け石に水、状態であった。そこで帝国海軍は護衛任務に特化した海防艦の量産を企図し、戦前に建造していた占守型海防艦をベースに択捉型海防艦の建造を進めたが、元となった占守型が量産に向かない艦であったため建造は遅々として進まなかった。その後も量産性を高めた御蔵型・日振型が建造され、更に量産性を高めた鵜来型海防艦・丙型海防艦が建造されるにいたった。
丙型海防艦はそれまでの海防艦以上に量産性に配慮され船体も小型化・簡略化が一層行われ、主機も量産の利く二三号乙八型ディーゼルが採用された。しかし、丙型に至ってもなお、護衛艦の要求数を満たせないと帝国海軍は見ていた。端的にいって船体以上に主機の生産が追い付かないのだ。そこで、丙型の設計を流用し別の量産性に優れるエンジンを搭載する海防艦が計画・建造された。それが丁型海防艦である。ちなみに、海防艦に搭載するエンジンについては米英においても量産に苦労しており(米英においてはこの手の艦はフリゲート・コルベット・護衛駆逐艦などと分類された)、タイプによって蒸気レシプロ、蒸気タービン、ターボエレクトリック、ディーゼル、ディーゼルエレクトリックなど様々なエンジンが採用されている(もっとも、全ての建造数や建造したタイプの数は我が国と比べると文字通り「桁」が違うが・・・まさに「必要なのはわかるが、そこまで沢山作る理由がわからない」を地で行った結果である。これだからリアルチートってやつは・・・)
こうして建造された丁型海防艦だが、建造経緯からもわかるように、基本的には丙型海防艦とほぼ同一の艦であった。最も異なるのは前述の通り主機に丙型で採用されたディーゼルエンジンではなく、蒸気タービンを採用した事である。海防艦は長距離にわたって船舶を護衛する、という任務上、燃費の良いディーゼルエンジンが占守型以降採用されていたが、いかんせん構造が複雑で量産性が劣るため、ディーゼル以上に船舶の主機としての歴史が古く信頼性があり、比較的構造が単純で量産体制の整った蒸気タービンを採用したのである。丁型に採用された蒸気タービンは当時量産していた2A型戦時標準船の甲二五型単式タービンで、これを1基搭載しホ号艦本式重油専焼缶2基によって発生した蒸気で2500馬力の出力を発揮した。2500馬力の出力は丙型の1900馬力に比べて600馬力勝り、速力も丁型のほうが1kt優速であった。しかし、燃費は悪化し丙型の14ktで6500nmの航続距離に対し14ktで4500nmと大幅に悪化。燃料搭載量も106tから240tと倍以上に増加している。また缶とタービンを設置するため機関関係の区画も大きくなり、全長も2mほど延びてしまった。一方で蒸気タービンはディーゼルほど騒音と振動が大きくないため、聴音器などの具合がよく、1ktではあるが優速である事と相まって対潜戦は丁型に分があったとも言われている。更に量産性もわずかだが勝っていたようで、一番艦の第2号海防艦は昭和18年10月起工、翌2月竣工と丙型海防艦よりも1カ月短く、第198号海防艦などは起工から完成までわずか75日と、全海防艦中最短記録を保持している。
以上のような経緯で建造された丁型海防艦は、丙型と同じく前線から一隻でも多くの護衛艦を求められていた事もあり、竣工するとすぐに前線に投入されていった。そのため損耗も激しく、短い就役期間の中で25隻も戦没している。
丁型は本来丙型の派生形である。何かを大量生産する時は原則的には一つのタイプに集中する事が正しい。すべてのパーツにおいて量産効果が発揮できるからだ。しかし、丁型はあえてタイプを分けて建造された。それは当時の我が国工業力の現実を見た上での判断であったが、結果としてその判断は正解であったと言える。それはなによりも終戦までに63隻という、丙型をもしのぐ竣工数が証明している。そして、これらの建造が戦後の造船王国の礎となったことも疑いようのない事だろう。しかし、見落としてはいけない。米英は帝国海軍が苦心惨憺して建造した海防艦に類する艦艇を同じ戦争で1000隻以上建造している事を・・・
基準排水量 | 740t |
公試排水量 | 900t |
全長 | 69.5m |
全幅 | 8.6m |
喫水 | 3.05m |
主機 | 艦本式甲二五型蒸気タービン1基1軸 2500馬力 |
主缶 | ホ号艦本式水管缶2基 |
速力 | 17.5kt |
航続力 | 4500nm/14kt |
兵装 |
三式爆雷投射機12基 爆雷投下軌条1基 |
乗員 |
141名 |
※但し追加・改装あり
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最終更新:2024/04/18(木) 20:00
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