まいどはや(西)。富山のみなさんきのどくな(東)、こちらは七越焼の記事ながいちゃ。
七越焼(ななこしやき)とは、「あんこ」や「カスタード」などを小麦粉と卵の生地でくるんだ和菓子で、富山における富山市内などで有名な、甘味処の老舗「七越」で販売されるものを「七越焼」、主それ以外の店舗で焼かれるものを「大判焼き」や「今川焼き」と呼びます。
小麦粉に卵を加えて溶いた生地を型のある鉄板に流し込み、その上に「あんこ」を載せ、さらに生地を流して焼いた和菓子のこと。よく「アンコリーノ」「ベイクドモチョチョ」「今川焼き」「大判焼き」など様々な名前がついているが、富山でお菓子の老舗「七越」では、表面に「七」という文字が入っておりデザイン面で少し異なっている。
ラインナップはいくつかあり
が販売されている、富山駅の横の店舗では、7のつく日(7日、17日、27日)で20円引きになっている。
裏切りといったことはなく、富山県でも「七越」の店舗がない地域では、基本「大判焼き」と呼ばれるし、富山に移住された方々はそれぞれの地域名で呼ばれる。また、富山の一部で高齢の方では「ぱんじゅう」といった名称も使われる。
このような呼び名に関して、富山で一般的な新聞「北日本新聞」の記者が取り上げており、奈良大の岸江信介教授(方言学)へ確認したところ以下のような回答だった。
元祖となるお菓子は江戸中期、現在の東京・神田にあった店舗で売られ、近くの今川橋にちなんで「今川焼き」と呼ばれたという説が有力。とはいえ、地方で販売する際、オリジナルの名前を考案して売り出す業者は少なくなかったようで、「大阪では太鼓に見立てて『太鼓焼き』と呼ばれた。和歌山では太鼓焼きから忠臣蔵の討ち入り太鼓を連想し、『義士焼き』として売られた。昭和30年代に愛媛県内のメーカーがこのお菓子を手軽に焼ける機械を開発。当時流行した小説「大番(おおばん)」にちなんで「大判焼き」と名付け、のれんとセットにしたところ、飛ぶように売れたという。
なお、「七越焼」は
「1953年の創業当初は『七越ぱんじゅう』として売り出した。昭和40年代に『七越』と改め、50年代に現在の『七越焼』にしたんですよ
となっている。
つまり、関東「今川焼き」関西「太鼓焼き」は正しく、「大判焼き」が全国区になっているのは富山の反対側にある、愛知県の鉄板メーカーが「大判焼き」で器具を販売したことが大きい。
富山の「七越」。現在では4店舗のみではあるが、上記の「七越焼」意外に「焼きそば」「オム焼きそば」「ソフトクリーム」など、屋台でよく食べる「あの味」がいつでも食べられる、なお「たこ焼き」は取り扱っていない。
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最終更新:2024/04/23(火) 18:00
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