七越焼 単語

ナナコシヤキ

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まいどはや(西)。富山のみなさんきのどくな(東)、こちらは七越焼の記事ながいちゃ。

七越焼ななこしやき)とは、「あんこ」や「カスタード」などを小麦粉の生地でくるんだ和菓子で、富山における富山市内などで有名な、甘味処の老舗「七越」で販売されるものを「七越焼」、それ以外の店舗で焼かれるものを「大判焼き」や「今川焼き」と呼びます。

概要

大判焼き by ID: /QO30WJd/z チラシの裏スレ#3209

小麦粉を加えて溶いた生地をのある鉄板に流し込み、その上に「あんこ」を載せ、さらに生地を流して焼いた和菓子のこと。よく「アンコリーノ」「ベイクドモチョチョ」「今川焼き」「大判焼き」など様々な名前がついているが、富山お菓子の老舗「七越」では、表面に「七」という文字が入っておりデザイン面で少し異なっている。

ラインナップはいくつかあり

が販売されている、富山駅の横の店舗では、7のつく日(7日、17日、27日)で20円引きになっている。

…おかしい、富山では「大判焼き」のはずだが…まさか裏切り?(cv:高山みなみ)

裏切りといったことはなく、富山県でも「七越」の店舗がない地域では、基本「大判焼き」と呼ばれるし、富山に移住された方々はそれぞれの地域名で呼ばれる。また、富山の一部で高齢の方では「ぱんじゅう」といった名称も使われる。

このような呼び名に関して、富山で一般的な新聞「北日本新聞」の記者が取り上げており、奈良大の江信介教授(方言学)へ確認したところ以下のような回答だった。

元祖となるお菓子江戸中期、現在東京神田にあった店舗で売られ、近くの今川にちなんで「今川焼き」と呼ばれたという説が有。とはいえ、地方で販売する際、オリジナル名前を考案して売り出す業者は少なくなかったようで、「大阪では太鼓に見立てて『太鼓焼き』と呼ばれた。和歌山では太鼓焼きから忠臣蔵の討ち入り太鼓を連想し、『義士焼き』として売られた。昭和30年代に愛媛県内のメーカーがこのお菓子を手軽に焼ける機械開発。当時流行した小説「大番(おおばん)」にちなんで「大判焼き」と名付け、のれんセットにしたところ、飛ぶように売れたという。

北日本新聞exit

なお、「七越焼」は

「1953年の創業当初は『七越ぱんじゅう』として売り出した。昭和40年代に『七越』と改め、50年代に現在の『七越焼』にしたんですよ exit

北日本新聞exit

となっている。

つまり、関東今川焼き関西「太鼓焼き」は正しく、「大判焼き」が全区になっているのは富山の反対側にある、愛知県鉄板メーカーが「大判焼き」で器具を販売したことが大きい。

ちなみに…

富山の「七越」。現在では4店舗のみではあるが、上記の「七越焼」意外に「焼きそば」「オム焼きそば」「ソフトクリーム」など、屋台でよく食べる「あの味」がいつでも食べられる、なお「たこ焼き」は取り扱っていない。

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