中山狼 単語

ジョンシャンラン

4.3千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

中山狼とは、中国語で「受けた恩をで返す悪いやつ」を意味する言葉。

概要

中国の明の時代に「中錫」という人物が著した小説『中山狼伝』がであるとされる。この小説に登場するは、自分の命の恩人である人物「東郭先生」を食べようとした。

ちなみにその助けたに食べられそうになる登場人物「東郭先生」の名前の方も、「悪人に同情して慈悲をかけ、結果として不利益を被る人」「人を信じすぎて付け込まれるお人よし」をす言葉になっている。

「悪いがやり込められて惨殺される」というこの『中山狼伝』のストーリーは、グリム童話の『赤ずきんちゃん』や『オオカミと七匹の子ヤギ』に少し類似している。

また、「人を騙してした悪いが、逆に騙されて惨殺される」というストーリー展開は、日本の童話「かちかち山」に通じるところがあるかもしれない。

『中山狼伝』のあらすじ

(※中国語Wikisource内「中山狼傳 - 维基文库,自由的图书馆exit」から翻訳&要約)

 

時は時代。簡子[1]が大勢の人やを引き連れて狩猟を行っていたところ、が現れてえ、その狩猟の邪魔をした。簡子はすぐにこので射て、見事にブッスリと命中。逃げたが、簡子は怒ってこのを追いたてはじめた。

その頃、[2]の「東郭先生」は仕官することをめて中山に向かっていた。ロバをひき、バッグには書物を詰めていた。

そんな東郭先生が簡子ら追手のあげる土を見て驚いていると、ちょうど逃げてきたが現れ、

かをたすけることに興味はないかな! その昔、毛宝はを逃がしてあげてピンチのときにを渡してもらったという! 隋侯はを救って珠を手に入れたという! ところでは霊に及ばないって知ってた? で、今の話に戻るけど、急いで私をバッグに隠してくれないかな! さあ、毛宝や隋侯になれるチャンスだ! 助けてくれたらのような意を見せる努を惜しまないよ私は!」

と助けをめた(なんだかセールストークみたい……)。

これには東郭先生も「に肩入れして権者に逆らうなんて、どんながあるやらわからんよ……」と気が進まない様子だったが、「とはいえは「兼[3]」を旨とする。よかろう助けてあげましょう」とめに応じてあげることにした。

追手の物音が迫る中で、は東郭先生に頼んで、自分の足を縄で束ねて縛ってもらい、体を丸めて小さくして、書物が入っていたバッグの中に隠してもらった。

を見失って怒っている簡子が東郭先生の元に辿りつくと、で棒をぶった切ってその棒の断面を見せつけつつ「行方を教えろ! をついたらこうだぞ!」と東郭先生に迫った(ガラが悪いなあ)。東郭先生は『列子』の「多岐亡」、『非子』の「守株」、『孟子』の「縁木」など、思想書の内容などを取り入れた学者っぽい会話で簡子を煙に巻き、しらばっくれるのに成功した。

簡子らが去ってしばらくすると、は東郭先生に「バッグから出して! 縄をほどいて! 私の足から矢を抜いて! このままじゃ死んじゃう!」と頼み、バッグの中から出してもらった。

そしては「あーひどいにあった。お腹ペコペコでこのままじゃ飢えて死んじゃうよ……」と嘆いた後、「ところであなた……者ですよね。世の中のためになりたい人ですよね……。じゃあ私に体を食べさせて、私をたすけるってのはどうかな!」と東郭先生にその口とを向けたのだ! まさに人間のクズ!(だけど)

東郭先生もさすがに飢えた狼に身をげるほどの覚悟かったためを殴るなどして抵抗ロバの陰に隠れようとして、追いかけるとともにロバの周りでグルグルしている。双方の体力は拮抗していたらしく、しばらくすると二人はロバを挟んでともに疲れ切っていた。

長い時間が経過し、「日も暮れてきたし、このままの群でも来たら結局私は死んじゃうよなあ」と困った東郭先生は、「俗習として、何か疑問に思うことがあったら老人3人に聞いてみて従うべし、というものがある。老人3人に聞いてみよう。それで食うべしとなったら私を食っていい。ただしダメと言われたら食うのを止めてくれ」とに提案してみたところ、も果てしない攻防に嫌気がさしていたのかこれを了承して、二人は連れ立って老人を探しに行った。

だが、にはも歩いていない。おいたのわきに立っていた老木を見て、「この老人に聞いてみるのはどうよ」と提案したが東郭先生は「木に知恵なんかないんだから聞くだけ駄だ」と言う。だがが「まあ聞いてみようぜ、答えてくれるかも」としつこいので仕方なく「もしもし、このは私を食べるのはアリだと思う?ナシだと思う?」と老木に聞いてみた。

するとき、なんと老木が問いに答え始める。というかなぜか身の上話を始めた。

「私はアンズの木。農夫が私を植えて、もう二十年になる。私はアンズの実をつけ、農夫やその家族や客や使用人などがそれを食べたし、その実を市場で売ってお金にもなった。私の農夫に対する功績は大したものだよ。でも私は老いて実を付けなくなったので農夫は怒り、私を伐採して材木として売り払うつもりらしい。あなたがに対して徳のあることをしたとして、に食べられるのを避ける事などできましょうか。食べられなさいよ」

これを聴いたはこれ幸いと東郭先生に口とを向けた。が、「約束を破るのか! 三人の老人に聞くと誓ったろうが! まだアンズ一人に聞いただけだ!」と東郭先生が言いつのったので、また二人で老人を探しつづけることにした。

次に、老いたを見つけた。がまた「この老人に聞いてみるのはどうよ」と提案したが、東郭先生は「無知木に聞いて馬鹿みたいな事を言われたってのに、お次はケダモノに聞くって? なんになるってんだ」と反対した。だがが「いいから聞け。聞かないならお前を食う!」と聞くので、仕方なくにも聞いてみた。

もこれに対して話し始めたが、その言葉は「アンズの言うことは間違っていない」から始まった。そして「これまで私は農夫に尽くして大変役立ってきたが、老いて役立たなくなったので、農夫の妻から「あのを殺してや皮やを役に立てよう」とまで言われている」という先ほどと似たような事をり、やはりに食べられるのを逃れることはできないと、アンズと同じ意見を述べた。

これを聴いてはまた東郭先生に口とを向けたが、東郭先生は「あわてんなよ!」と制して、さらにもう一人老人を探すことになった(この時点で「食われろ」に2票入ってしまっているので、もう一人が反対票を投じても多数決では負けてしまう気がするが……)。

すると、をついて歩いてくる老人がいた。ヒゲ眉毛はかがやくようで、身に着けているものも上品で、見るからに立そうな人! 東郭先生は嬉しさと驚きのあまり、を後ろにおいて老人の前に進み出て、泣きながらひざまずいて「ご老人、どうか一言を頂き、私を生きながらえさせてください!」と呼びかけた。老人が理由を聞いてきたので東郭先生は一部始終の事情を説明した。

老人はこれを聴いて繰り返しため息をついて、いて言った。「お前は間違っている! 恩を受けたのにそれに背くなど、何と良くないことか! 儒教は、恩を受けて背かないことの大切さについて、への孝にも通じるものとして説く。また、虎やにも子の仁はあると言われている(『荘子』か?)。それなのにお前は恩に背くなんて……これではお前には子の仁もあったものではないな!」と叱った。そして「よ速やかに去れ!そうでなければこのお前をなぐりころす!」と脅した。 パワフル

はこれに答えて「ご老人、あなたはこの人の視点からの一面は知ったが、私から見た別のもう一面は知らないでしょう。私の言い分もお聴きくださった上で判断してください。この先生が私をたすけたとき、私は足を縛られ、バッグに詰め込まれ、一緒に入っていた書物に圧迫され、体を丸めて息もできないありさまでしたよ。追っ手を駄話で説得したようですが、それも私をバッグの中で殺して、その利益を独り占めしようとしたために決まっています。噛み殺さずにおれましょうか」とった。

老人は「もしその通りなら、「羿にも罪有り[4]」ということになる」と言った。

東郭先生はをたすけたのは純な憐みの気持ちからだったことを訴えたが、もまた弁舌巧みにして譲らなかった。

そうしていると老人は「どうも確信を持てないな。ちょっとまたバッグの中に入ってみろ。その様子を見て、そんなに苦しい状況だったのか判定してやろう」と提案した。もこれに賛成した。東郭先生はその案のとおりに縛り、バッグに詰め込んだ。

老人は東郭先生の元で「匕首短刀)は有るかね?」と囁いた。東郭先生が「有りますよ」と言って匕首を出すと、老人は匕首を刺し殺すようにとくばせした。しかし東郭先生は「するのですか?」と戸惑っていた。

すると老人は笑って「恩に背いたケダモノに対して、まだ殺すにびないというのかね? 君はまさしく仁者だが、ひどい愚者でもあるぞ。井戸でおぼれそうな人を危険を冒して救う、衣服い友に自分の衣服を与える、それらは確かに相手にすれば有難いだろうが、それで自分が死んでしまうのはどうかねえ? 先生はそういったたぐいの人なのかね? 仁から愚におちいるのは、君子の振る舞いではないだろう?」と言い、それからさらに大笑いした。東郭先生もまた笑った。

そして老人は手を添えて東郭先生がを刺すのを助け、二人で一緒にを殺した。そしての屍はの上に打ち捨て、立ち去って行った。

関連動画


再生時間15:02~16:21で言及あり

関連リンク

関連項目

脚注

  1. *実在した政治家鞅」のこと
  2. *いわゆる「子」の思想を説く思想/学者。平和と博を説く思想で知られる
  3. *自分も他人も同様に愛し大事にすること。博
  4. *孟子』の引用羿という神話上のの名手が、自ら育て上げた子に殺されたという伝説について、孟子が「殺された羿の側にも、(そのような子を育ててしまったという)罪がある」と評したことをす。つまり「東郭先生にも罪があるな」という意味
この記事を編集する

掲示板

掲示板に書き込みがありません。

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/04/19(金) 22:00

ほめられた記事

最終更新:2024/04/19(金) 22:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP