久保姫(くぼひめ 1521年~1594年)とは、岩城重隆の娘であり、奥州に比類なき美姫であり、あまりにかわいすぎてさらわれた姫であり、人さらい伊達晴宗の妻である。号は栽松院。通称は杉目御前、笑窪御前など。
1521年岩城重隆の娘として出生。
1534年頃岩城重隆は名門・結城義綱と結んで伊達・相馬・田村連合の脅威に対抗しようと、義綱の嫡男・結城晴綱へ久保姫の輿入れを約定していた。ところが時期悪く、姫を伊達家に貰い受けたいと相馬顕胤の仲介が入ってしまう。
先約がある旨断りを入れると、伊達稙宗の鬼謀によって事態は軍事衝突寸前にまで緊迫してしまった。
結城家への輿入れは強行されたが、久保姫の容姿端麗さを見初めた伊達晴宗が自ら軍勢を率いて嫁入り行列に横槍を入れる驚天動地の事件が起きる。
これが伊達晴宗・久保姫夫婦運命の邂逅であった。
蹴散らされる護衛の怒号、生け捕りにされた侍女の泣き叫ぶ声が響く中、伊達家の力を目の当たりにした姫は冷静だった。貞操を守る懐刀は晴宗と相対しても終ぞ抜かれなかったのである。
その後、我が娘に勘当を言い渡し頑なに反伊達派を貫いた結果、伊達・相馬・蘆名・石川・二階堂連合に囲まれ逼迫した父に対し、晴宗との婚儀を認めてくれるよう何通も書状を出して岩城家を戦火の最中から救った。
※さらには第1子を跡継ぎにさせる確約を取り付け、両家の関係も確固たるものにしている。
1537年長男・鶴千代丸(岩城親隆)誕生。約定通り岩城家へ入嗣。
1544年嫡男・彦太郎(伊達輝宗)が誕生。奥羽を二つに割る天文の乱中に跡継ぎが生まれたことは晴宗にとってなによりの果報だったに違いない。久保姫、東国一の大手柄である。
その後も子宝に恵まれ続け、計6男5女を産み上げた。 略奪婚でありながら相思相愛だったようで、側室はいなかった。
また夭折した子は一人として居らず、皆成人して戦国の世を生き抜いた。
1577年伊達道祐晴宗示寂。その最期を看取った後は髪を下ろして栽松院と号し、琥珀山宝積寺を立て菩提を弔った。
幼少時に失明してふさぎ込んでいた梵天丸を諸難から守ったという。
同年六男・伊達直宗が杉目城に入り、杉目直宗と改姓して久保姫の守備についた。
1585年粟之巣の変事により嫡男・伊達輝宗が無念の死に至る。
荼毘に付された寿徳寺は杉目から目と鼻の先であった。
1587年五男・国分盛重の国分家で二度に渡り内紛が起き、伊達政宗は盛重に咎有りとしてこれを成敗しようとする。
久保姫は庭坂まで輿を出して取り成そうとするが、政宗の命を受けた伊達成実によって引き止められた。
1588年政宗、成実が久保姫へ会いに行く。
実子の殆どが伊達家の敵に回ってしまったため、肩身の狭い思いをしないようにという配慮だろうか。
1589年二階堂家が政宗によって攻め落とされる。捕らわれた長女・阿南姫と杉目城にて会見。
その後伊達家の謀略により従者を殺されたため、阿南姫は母の実家であり長兄の家でもある岩城家へ逃亡した。
政宗は「伯母上のお心のままに」とこれを黙認したが、久保姫の取り成しがあったのかもしれない。
1590年豊臣秀吉の奥州仕置により石母田の地に移る。
1591年再び仕置が行われ、岩出山転封に従って宮城郡根白石に隠遁。
1594年没。享年74。遺言により居住地跡には夫の眠る菩提寺と全く同じ名前の寺が建立された。
二人の愛は死しても尚、永遠に違うことはなかったのである。
戒名:栽松院殿月盛妙秋禅尼大姉
長男・岩城親隆(いわき ちかたか 1537年~1594年)
幼名・鶴千代丸。岩城重隆へ嫡子として入嗣。佐竹義昭の娘を娶ったため岩城家中に佐竹家の介入を許し、人取り橋の際には伊達家と対立。家臣・窪田十郎が鬼庭左月斎を討っている。父・晴宗と次弟・輝宗が対立した際には仲裁し、叔父・実元に書状を送るなど、佐竹に実権を握られる前は伊達家との関係を重視していた節もある。子に岩城常隆。
常隆が早世すると豊臣秀吉の意向により孫・岩城政隆(復姓して伊達政隆)は追放される。五妹・宝寿院の佐竹家より岩城貞隆が入嗣するが、実兄・佐竹義宣と対立し所領没収。親隆死後、岩城家再興に奔走し宿願を成し遂げている。
長女・阿南姫(おなみひめ 1541年~1602年)
号は大乗院。二階堂盛義正室。子に蘆名盛隆、二階堂行親、岩城御前(岩城常隆正室、死別後伊達成実の継室)他。
夫が蘆名盛氏に敗れて子を人質に取られるが盛氏後継・蘆名盛興の早世から一転、当主・蘆名盛隆となる。
盛興未亡人の四妹・彦姫は正室として盛隆に嫁した。これを利用して二階堂家は勢力を拡大するが、夫・盛義、嫡男・行親、さらには盛隆と相次いで不幸に見舞われ死去。やがて蘆名を滅ぼした伊達政宗の前に滅亡の危機となった。
大乗院は須賀川城代として頑強に抵抗し、二階堂最後の砦として政宗を苦しめた。落城後は甥・岩城常隆を頼り、その死後は五妹・宝寿院を頼って甥・佐竹義宣の下へ走った。秋田転封の道中に須賀川にて死去。
四妹・彦姫と盛隆の遺児・岩瀬御台を養女とし、最期まで二階堂家復興を画策していたが叶わなかった。
次男・伊達輝宗(だて てるむね 1544年~1585年)
幼名・彦太郎。嫡子。言わずと知れた伊達家第16代当主。祖父・伊達稙宗と相馬顕胤の約定に起因する、相馬の領土侵略へ父・晴宗の家臣が組したとして征伐したところ、一時父と対立する。最上義守の娘・義姫を娶り、兄弟姉妹の家と結んで伊達領回復に奔走した。甲斐あって相馬との領土争いは終焉を迎えている。家督を嫡男・政宗に譲って隠居したが、畠山義継の処遇を巡る事変により無念の内に横死。輝宗の急逝により奥羽には再び戦火が巻き起こってしまった。
子に伊達政宗、伊達政道(伊達小次郎)、伊達秀雄(大悲願寺住職)他。
次女・鏡清院(きょうせいいん 1545年~1591年)
名不詳。伊達実元の正室。伊達成実の母。
三女・益穂姫(ますほひめ 1546年~1617年)
号は天光院。小梁川盛宗(泥播斎)に嫁ぐ。子に小梁川宗重他。
前田慶次が米沢の住まいとした堂森善光寺を中興させたという一説がある。
三男・留守政景(るす まさかげ 1549年~1607年)
幼名・六郎。留守顕宗へ入嗣。黒川晴氏の娘を娶る。
大崎合戦にて泉田重光と軍議で激しく口論し対立。統制の取れないまま厳寒の戦場で立ち往生していたところ、岳父・晴氏の伊達家離反もあって大敗を喫し、重光を大崎義隆後見の最上義光に人質として取られる失態を犯す。
秀吉の小田原参陣要請に従わなかったため、所領没収。伊達配下として上座で保護される。
長谷堂城の戦いでは政宗の命により最上義光の援軍に赴いている。政宗の思うところあってか具体的な軍事行動は取っていない。晴宗子女の中では珍しく、徹頭徹尾伊達家に忠誠を誓っている。のち姓を復して伊達政景。
四男・石川昭光(いしかわ あきみつ 1550年~1622年)
幼名・小二郎。石川晴光へ入嗣。足利義昭の偏諱を賜る。
佐竹・蘆名・田村それぞれから圧迫を受け続け、佐竹家に半ば臣従する形となり政宗家督相続以降に対立する。
秀吉の小田原参陣要請に従わなかったため、所領没収。伊達配下として上座で保護される。
その席次を巡って成実が出奔する一因となった。伊達家服属以降は忠勤に励んでいる。
四女・彦姫(ひこひめ 1552年~1588年)
初め蘆名盛興に嫁ぐが男子無く死別。長姉・阿南姫の二階堂家から人質に取っていた甥が当主に据えられ蘆名盛隆となり、その正室となる。盛隆が痴情のもつれから刺殺されると遺児・亀王丸を擁して伊達小次郎の入嗣を阻んだ。
しかし亀王丸までもが夭折してしまい、五妹・宝寿院の佐竹家から子を貰い受け当主・蘆名義広として娘を正室にした。
ところが心労が祟って自らも早世。彦姫の死後、蘆名氏は摺上原の戦いに敗れて滅亡となった。盛興との子に小杉山御台(円通院、蘆名義広正室)、盛隆との子に亀王丸、岩瀬御台(昌寿院、長姉・大乗院養女のち佐竹義宣側室)他。
五女・宝寿院(ほうじゅいん 1552年~1631年)
名不詳。佐竹義重正室。子に佐竹義宣、蘆名義広、岩城貞隆他。
長兄・岩城家へ貞隆入嗣。長姉・二階堂家滅亡後に大乗院を庇護。四姉・蘆名家へ義広入嗣。五弟・盛重を庇護。
義宣と貞隆が対立した際には仲を取り成している。長姉・阿南姫と混同されていることが非常に多い。
五男・国分盛重(こくぶん もりしげ 1553年~1615年)
幼名・彦九郎。国分盛顕に入嗣。
初めは伊達家に協力的であったが家中の反発を招いて板挟みとなった。統制が上手くいかずに母・栽松院自らが調停に出動する事態となったが、政宗の命を受けた成実により引き止められている。結局国分家は政宗直轄の家来として組敷かれてしまった。のち出奔して甥・佐竹義宣の下へ走り、秋田転封に従って横手城を与えられた。
六男・杉目直宗(すぎのめ なおむね 1554年~1584年)
次兄・輝宗の命により父・晴宗亡き後の杉目城主に任命される。母・栽松院とともに住んだ。嗣子無く断絶。
※不詳年については色を灰色とした。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||
覇王伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||
天翔記 | 戦才 | - | 智才 | - | 政才 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||
将星録 | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||
烈風伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||
嵐世記 | 采配 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||||
蒼天録 | 専用イベント有り | |||||||||||||
天下創世 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | 教養 | - | ||||||
革新 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||
天道 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - |
※武将としては登場しない。
戦国大戦では時代が遡ったVer2.2の伊達家で登場。台詞は穏やかだが計略は物騒。
「ごめんね、貴方もう助からないかも」
この台詞から放たれる計略「吸精姫の采配」は、そのままでは伊達家の味方の武力を少し上げる采配。
ただしこの効果を受けた味方が敵と乱戦すると敵の武力が下がる。乱戦部隊数が多くなる程敵の武力は下がっていく。数の暴力で真価を発揮する計略と言える。
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最終更新:2025/07/18(金) 17:00
最終更新:2025/07/18(金) 17:00
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