久武親直単語

ヒサタケチカナオ

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久武親直(ひさたけ・ちかなお 生没年不詳)とは、久武親信であり、長宗我部元親、盛親の二代にわたって仕えた戦国武将。幼名は七。

一般的に数々の讒言を用い長宗我部を衰亡に追いやったとされる、稀代の奸臣として知られている。
しかし、彼の悪評の多くは「土佐物語」を始めとした後世の軍記物からの出典であり確はない。
これについては、

  • の名を汚さぬために、元親・盛親の側近であった親直が『を滅ぼした奸臣』としてスケープゴートにされたのではないか」
  • 豊臣政権下で、土佐中に蔓延していた不満が元親・盛親の側近である親直に向かい、後世に悪評として伝わったのではないか」

などという意見がある。

ニコ動歴戦界における称は「ククク」 ※「雄の野望」での笑いから。

概要

伊予攻略の最中、土居清良率いる隊の弾に倒れた・親信に代わって督を継ぐ。

1584年伊予軍代に任命され、西園寺公広を下し南伊予定を成功させている。

1586年、戸次の戦いで元親の嫡男・信親が戦死し相続問題が起きる。
親直は後継に四男の盛親を支持し、反対であった吉良親実、江山親らに勝利滝本寺非有、豊永勝元ら奉行人と共に政に大きく関わった。(「土佐物語」には親直が吉良親実、江山親らを元親に讒言し次々粛清させたと書かれている)

関ヶ原の戦いの後、盛親は藤堂高虎と懇意であった元親の三男・津野親忠を殺
この経緯については、

  • 親直が「盛親から命があった」と大義名分を偽造し親忠を殺に追い込んだ ―「土佐物語
  • 親直が「親忠が藤堂高虎と謀って土佐の半を支配しようとしている」と讒言した ―「土佐編年紀事略」

など、親直が関与したとされているが複数説ありはっきりしていない。

を殺してしまったことで家康からの心を悪くした盛親は領地を没収されてしまう。大名としての長宗我部はこの時滅亡した。

易後は肥後加藤に仕官したが、一方で長宗我部の復活動も行っていた。息子・千助は加藤易された際に浪人するが、後に肥後細川に仕えている。

逸話

  • の親信は親直を常々危惧していたようで、元親に「七は腹黒い男ゆえ、必ず御に災いをもたらします。もし自分が戦死しても後を継がせないように」と伝えていた(「土佐物語」。作中でこのやりとりは1581年に行われたとされるが、親信は1579年に亡くなっているため創作の可性がある)。
  • 吉良親実の死後、従兄弟にあたる五月新三郎が怪死する、息子たちが次々怪死する、息子たちの死をの当たりにした妻が発狂して自害する等の悲劇に見舞われている。

ニコニコ歴史戦略ゲーにおいての久武親直

歴戦界では「雄の野望」での強キャラクターが定着し、「腹黒で危ない性格」として描かれる事が多い。加虐趣味を持つ人物として描かれる事もしばしばある。

補足

信長の野望」(PCシリーズにおける久武親直の力一覧。

義理は毎回低いが、武将風雲録ではよりも義理が高い(親信が3、親直が4)。

軍事 内政
戦国群雄伝(S1) 戦闘 45 政治 30 52 野望 63
武将風雲録(S1) 戦闘 57 政治 58 48 野望 52 教養 59
覇王 采配 48 戦闘 51 智謀 74 政治 68 野望 72
天翔記 戦才 124(B) 智才 150(A) 政才 138(B) 45 野望 72
将星 戦闘 58 智謀 82 政治 75
烈風 采配 32 戦闘 47 智謀 78 政治 63
世紀 采配 30 智謀 68 政治 53 野望 72
蒼天 統率 29 知略 75 政治 59
下創世 統率 26 知略 73 政治 55 教養 54
革新 統率 29 武勇 21 知略 82 政治 62
統率 29 武勇 21 知略 82 政治 62
創造 統率 33 武勇 36 知略 79 政治 61

関連動画

ニコ動歴戦界における久武親直メジャー化の先駆けとなった「雄の野望」。

▼【信長の野望 革新PK】地方別武将ランキング四国編では知略部門3位にランクイン

組曲「ニコニコ動画」替え歌。史実の逸話の他、歴戦動画ネタも盛り込んでいる。

ボーナスステージに登場。

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  • 6ななしのよっしん

    2017/09/25(月) 12:57:39 ID: qiloR/A2Fw

    結局のところ親直の悪評ってのは親直個人の問題ではなく継嗣問題で中を統制しきれなかった元親が招いた臣間争いの徴なんだろうね

  • 7ななしのよっしん

    2018/02/01(木) 17:41:05 ID: rkFWveRHQR

    >>1 >>6
    長宗我部の本筋がgdgdで迷走して滅亡
    ・中枢部も粛清
    ・残った臣も後に入った山内白目でみられる。

    こんな中で中枢を担った人物が九州
    トンズラときたら四国に残された連中はイイ感情は
    しないかもね。

    基本親直の資料が後世視点のモノばかりというのも
    案外、現状への恨み節が募って憎しみのこもった
    感情が叩きつけられまくり功績とかは現地人で
    片っ端から抹消とかもありうるかも。

  • 8ななしのよっしん

    2018/11/06(火) 09:39:06 ID: oAc15f8r1O

    評価の難しい人だね。
    まず、嫡男信親亡き後の相続問題については、当元親の進めた末子相続自体が異例なので、中においては支持者自体が少なかったはずだ。
    支持者の少ない政治的判断を当が行い、それをあえて支持するのだから、中の大勢から敵視はされど、当からの信任は得られる。親直は出世のチャンスをつかんだということなのだろう。

    その後の奸臣ぶりを伝える話は、周囲のやっかみや恨みも含まれている様子なので素直に受け取るのは危ういと思われる。親直にはおそらく当以外の支持基盤がなく、敵も多かっただろうから、当への批判を引き受けるという意味でも臣団とは自然と敵対的な関係に陥らざるを得なかっただろう。であれば、「奸臣」という評の下地もそこで作られただろうと想像できる。

    しかしながら中をまとめ上げるような実績を残せていれば、当心・名参謀という別の評価を与えられていたはずで、親直の悪評には相応の根拠もあると思われる。

    個人的には、こういう奸臣的人物が幅を利かせる環境を作ってしまった元親に最も大きな責
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