二式水上戦闘機とは、大日本帝国海軍が第二次世界大戦時に開発・運用した水上戦闘機である。
略称は「二式水戦」、制式番号「A6M2-N」。米軍のコードネームは「Rufe(ルーフェ)」であり「Zeke(ジーク)」や「Zero(ゼロ)」ではない。
第一次大戦ごろまで水上機は、滑走距離をほぼ無制限に取れることから機体重量の増加≒エンジンの大型化、大出力化に対応でき、意外な事に高速機として世界各地で研究、開発され活躍していた。
飛行艇や水上機が活躍するジブリ映画「紅の豚」も、ちょうど第一次大戦終了後のイタリアが舞台となっている。
しかし第二次大戦の開戦までには航空技術やエンジン等の技術開発が進み、滑走距離に制限のある陸上機でも十分に速度を発揮でき、航続距離も飛躍的に長くなっていった。
また航空母艦が飛躍的に進歩を遂げた事や飛行場開発のための重機の導入などで艦上機や陸上機の守備範囲が格段に広がったことで、フロートの分だけ重く空力にも難がある水上機の役割は専ら、カタパルトを備えた戦艦や巡洋艦などに搭載しての偵察(フロートは主に着水用)に限られていく。
当然ながら、最も過酷な運動性が求められる戦闘機としての運用がなされることは減っていった。
世界的にも水上戦闘機の開発は次々と打ち切られていく事になる。
しかし我らが大日本帝国海軍では米国と違って飛行場建設能力及び空母の保有数と量産能力に乏しく、支配域も太平洋各地に広がっていたため、海上で駐機、離着水できる水上機戦闘機には需要があった。
また、零式水上観測機などの水上偵察機が空戦を行なってそこそこ戦果を挙げるなどしており、水上機に対する期待も低くはなかった。
これにより、飛行場ができるまでの「繋ぎ」であり、前線ですぐに戦える戦闘機として水上戦闘機の開発計画が持ち上がった。第二次大戦時においては世界的に見ても数少ない本格的な水上戦闘機計画である。
海軍はさっそく川西航空機に十五試水上戦闘機(強風)開発を指示。主任設計者は二式飛行艇開発も手掛けた菊原静男技師であった。
例によって、当時の主力だった零戦一一型を超えるスペック(速度、武装など)の水上機を作るよう海軍から無茶振りをされた川西はがんばって要求を満たそうとするが、開発が難航したのは言うまでもない。到底間に合わないと判断した海軍は、強風完成までの「繋ぎ」として、中島飛行機に零戦一一型を水上機型へ改造することを命じる。
こうして「繋ぎの繋ぎ」としてこの世に生を受けたのが、二式水上戦闘機A6M2-Nである。
総生産数は327機と少ないが、水上戦闘機としては世界最多の生産数である。そもそもほとんど世界の航空機史上に存在しないジャンルなのであるから量産しただけでも珍しいのだが。
素体となった零戦から大きな変更はなされておらず、着陸脚など必要のない物を取り去ってフロートなど必要な物を付け、防水を考慮した程度である。
フロートはメインフロートを胴体直下の1つにして左右の翼に補助フロートを用いる「単フロート式」を採用。水上偵察機などのようにメインフロート2つからなる双フロート式に比べ、いくらか小型軽量で済ませることに成功している。
当初は既存機の改造で対応する予定だったが、零戦は開口部が多かったためにそのまま改造では不備があり、結局は設計だけ受け継いで新造することとなった。
なお中島飛行機は零戦の開発元ではなく、ライセンス生産を担っていた会社である。本来の零戦開発元である三菱重工業はいろいろプロジェクトを抱えさせられて手一杯であり、また水上機の開発経験は中島の方が豊富だったこともあって、二式水戦への改造は三菱でなく中島に命じられている。
太平洋戦線の前線に配備されて活躍している。強風完成までの繋ぎとして急遽投入された機体であるが予想以上の戦果を挙げており、強風の立場はどこへやら……
零戦に比べるとフロートの分だけ当然スペックは劣るが、零戦譲りの申し分のない格闘性能を有し、陸上・艦上戦闘機と戦って撃墜した例もある。水上戦闘機としては圧倒的な高性能を発揮した機体であった。
なお前線基地からの運用が前提である為、カタパルト対応はしていない。
しかしあくまで「水上機としては高性能」であり、パイロットの技量や状況に恵まれて陸上・艦上戦闘機を撃墜したことはあれども、それらに比べて性能で優位に立てる機体ではなかった。またオリジナルの零戦がそうであったように、米軍戦闘機の進化によってどんどん太刀打ちできなくなっていってしまう。
さらに、戦局悪化で戦線は縮小の一途を辿り、前線基地や水上機を必要とする場面が次々になくなってしまい水上戦闘機は徐々に不要になってしまったのであった。
こうして1943年に二式水戦の生産は中止されたが、既に生産され実戦投入された機体はなんだかんだで零戦と同じく終戦まで活躍を続けた。一部は特攻機としても用いられたという。
終戦時に24機が残存していたとされるが、全て処分され現存機はないとされていた。フロートのみ大刀洗に展示されていたが、これも今はもうないらしい。
ところが2015年になってミクロネシアのチューク諸島(旧トラック諸島)にあるウエノ島沖の海底に本機が沈んでいるのが発見された。何故そこに沈んでいるのか、誰の機体かなどは詳しくわかっていないが、損壊は少なくほぼ原形を留めており大変に貴重な存在である。
WarThunderでは海軍機ツリーで最初に使用できる零戦の派生機であり、同時に最初に使用できる20mm機銃搭載機でもある。今までと比べ物にならない大火力で思い入れの深いプレイヤーも多いのではないだろうか。
ちなみにフロートに破壊判定がなくやたら頑丈だったため、陸上基地へ強引に着陸(および再び離陸)することができ基地占領で活躍したプレイヤーも多い。
流石に完全に止まった状態からの再発進は出来ないので、占領して乗り捨てるか戦艦ドリフトならぬ水上機ドリフトでフロートを滑走路に滑らせながら占領しそのまま離陸するか占領中に蜂の巣にされるという凄まじい光景がよく見られる。
さらに、以前は無敵フロートで敵機に蹴りを入れて相手だけ撃墜するというデストロイヤー菅野もびっくりの戦法が使えたりしたのだが、体当り時の計算式が変わった影響で本機より重い機体には通用しなくなってしまった。
艦これにも二式水戦改としてカタパルト対応型が登場。乗せられる艦が多く便利な機体であるが、入手方法は零式水偵からの更新のみで、しかもボーキサイトと零戦21型を多く食う為入手はなかなか辛いところ。
当然、空母には搭載できないため艦上機に比べると搭載数が少なくなるものの、空母の制限される海域では制空の要として活躍できる。
一方で、本命であった強風の方はなんとか形にはなったものの、機体性能はおよそ満足のいくものではなく、搭載したエンジンがなまじ高出力だったため扱いも難しかった。さらに繋ぎであったはずの二式水戦が良好な性能で零戦をとの操作互換性が高くため「もうこっちでいいんじゃないかな」という感じで活躍の場を奪われ、しかも出来上がった時には既に戦局悪化し水上機イラネ状態……という状況であった。(´・ω・) カワイソス
可哀想な強風は、やむなく陸上戦闘機への転用のため改修を施されることとなるのだが、陸上機の開発経験に乏しい川西の技術者は苦労し、やはり流用ではなくあれこれ仕様変更する羽目になった。皮肉にも零戦を水上機化した二式水戦とは真逆の経緯となる。
丁度海軍も次世代戦闘機となる予定の烈風の開発遅延に悩んでおり、また強風開発が無駄になると大打撃を受ける川西への配慮もあったと言われる。
こうして生まれた機体が紫電であり、さらにこれを大幅に改良した機体が、かの紫電改である。
ちなみに強風には1機だけ敵機撃墜記録があり、零戦と戦闘中のF6Fヘルキャットに襲い掛かって格闘戦の末撃墜したとされる。たった1機だけの撃墜記録であるが、強風による名機F6Fの撃墜は心に沁みる物がある。イイハナシダナー
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最終更新:2025/04/18(金) 12:00
最終更新:2025/04/18(金) 11:00
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