井上慶太(いのうえ けいた)とは、将棋の強い熱狂的なタイガース親父将棋棋士である。1964年1月17日生まれ。兵庫県芦屋市出身。若松政和八段門下。棋士番号157。
加古川の名伯楽として知られ、プロ棋士になった弟子に稲葉陽、菅井竜也、船江恒平、出口若武、横山友紀、狩山幹生、藤本渚がいる。
関西所属。コテコテの関西弁が特徴で、テレビや生放送でも標準語はあまり使わない(関連動画・関連生放送参照)。また、自他共に認める棋界随一の阪神タイガース党であり、トラ縞の法被を着て甲子園で熱狂的な応援をしている姿が目撃されている。その熱狂ぶりは、兄弟子で同じく阪神ファンでもある谷川浩司をして「あいつには負ける」と言わしめている。
奨励会入会は高1とかなり遅いほうだが、入会後は好調に勝ち進み、3年後の1983年に19歳で四段昇段(プロデビュー)を果たした。1985年に新人王戦、1986年に若獅子戦で優勝。このころは“関西のアイドル”と呼ばれたこともある。
順位戦ではC級2組を抜けるのに7期かかったが、その後は順調に昇級し、1996年度に順位戦A級に昇級を決める。なお、B級2組を抜けたときは9勝1敗の成績だったが、この1敗は藤井猛に藤井システムで狙い撃ちされた1局である(この対局があまりにセンセーショナルだったために未だに語られることが多い。それゆえ、彼をただの切られ役と勘違いしている人も)。1997年度は最終局で横歩取り8五飛を採用して勝利、A級残留を決めると同時に米長邦雄を陥落に追い込み、同戦法が流行するきっかけをつくった。
2008年度の順位戦においてはA級返り咲きを果たしているが、これは11期ぶりの快挙である。一方、タイトル戦には全く縁が無く、順位戦A級や竜王戦1組を経験しながら、タイトル戦の挑戦者決定戦にも進むことができず、将棋界の七不思議とまで呼ばれていた。
2018年3月、藤井聡太の中学生最後の対局で勝利、藤井の連勝を16で止める。この時点で一門の対藤井戦績が3戦3勝(藤井の通算成績は71勝12敗)となり、井上一門は「藤井キラー」と呼ばれるようになる。この勝利について、ウィキペディアでは「藤井六段に勝った唯一の棋士」とネタにされる。また、2021年現在、公式戦で藤井聡太に勝利した最年長棋士であり、谷川浩司に記録の更新が期待されたが達成できず、この記録が破られる見込みは立っていない。
その後、既に勝利していた弟子の菅井・稲葉に続き、出口が棋王戦で藤井に勝利、船江も非公式戦ながらABEMAトーナメントで藤井に勝利するなど、藤井キラー一門は健在である。解説会などでは「藤井聡太に勝ちました井上です」と挨拶するのが恒例となっているらしい。
なお、「羽生善治七冠に初めて勝った棋士」でもある。
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最終更新:2024/10/12(土) 14:00
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