今注目のニュース
ファミレス店員に偽札と間違われる「二千円札」、受け取り拒否はNG?
死にそうでも休ませてくれないブラック企業「緊急搬送されても出社強要」「点滴してたのに呼び出され14日間会社に缶詰」
大型連休中に一気読みしたい漫画ランキング

今川義元単語

イマガワヨシモト

掲示板をみる(210)
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

今川義元とは、日本戦国大名である。戦国時代の名今川氏(駿今川)の第9代当

北の武田氏と同盟を結び、その後勢争いをしていた東の北条氏とも同盟を結び後顧の憂いを絶つと、三河をその領土に加え、尾に侵攻の途中、桶狭間の戦い織田信長に討たれ死ぬ。武田氏、北条氏と姻戚関係にあり、正室は武田信玄。子は今川氏真臣に太原雪斎朝比奈庵原之政

ニコニコ動画では戦国時代を扱ったゲームでの登場が多い。このようなゲームではしばしばネタキャラ化される。公家言葉(おじゃる)、蹴公家化粧など。

概要

俗説

今から500年ほど前、駿河遠江その他諸々を支配する大大名今川義元は、今こそ下に覇を唱えるため二万五千とも言われる大軍を率いて上を開始した。

しかし自らの兵を過信した義元は、桶狭間の戦い織田信長の奇襲を受け戦死。これを機に信長下人への第一歩を踏み出し、今川は没落の一途を辿る事になる・・・

これが「暗愚」義元と「天才信長の差だったのである。

また貴族の血筋故か公家文化に溺れ、乱世の世を生き抜く器量に欠けたと評されることもある。

実際の所

しかしちょっと待って欲しい。義元は三め上げているのである。

例えば某「蝮」の斉藤三などは生涯をかけても美濃しか手に入れられなかった(しかもそれも微妙)し、某信玄や某北条氏と言えども義元存命中は今川圧迫され続けていた。

一方、優れた臣団にも恵まれた義元は、辣腕を発揮しての広げた領土を更に拡大し、の作った今川仮名録を定し、見事に治めたのである。

また義元は末として出させられたり、督争いを生き抜いたりした苦労人であり、ただのボンボンではない。貴族文化に対する理解も教養の高さを示しているだけであり、惰弱さと繋げるのは脳筋すぎる発想である。むしろ惰弱どころか、ですら避けた足利将軍との縁切りを行い、今川戦国大名に転身させている。

何より当時、「下で一番上に近い男」と呼ばれて居たのである。その実は想像に難くない。

実のところ前述の義元無能説は江戸時代から続く講談等によって作られたイメージでワリ、それらの大元となった甲陽軍鑑も現代では祖先顕物であり、歴史資料としての価値は武功話同様の価値という扱いと成っている。
ちなみに信頼の置ける義元と同時代の武将達の発言等の歴史資料によれば、まさに名将の代表格として扱われている。 

桶狭間の戦い

それが、負けた。

今日においても客観的に考えれば、信じられない話である。数万(2万~5万、信長公記では4万5千)もの大軍を有しながら、ぽっと出の、それこそ「うつけ」と呼ばれた相手に負けたのだ。しかも、この時の織田軍はわずか数千であった。 この桶狭間の戦いでの織田勝利に関しては、当の信長自身が「あれはマグレ」と言い切っている程である。

時の人々の動揺は計り知れない。現在当てはめるとアメリカ軍が進攻先の北ベトナムボコボコにされ、逆に戦線の泥沼化の結果反戦運動内に蔓延し、全軍撤退して保護の南ベトナムが滅亡ルートへと確定し、その上並行してと鼻の先のキューバ革命が起こって親米政権が一夜反米政権となったあげくにミサイル発射基地を設置して、ホワイトハウスが敵の核ミサイルの射程距離内に入る(キューバ危機)といったレベルの大事件である。このレベルの大が負けるとどうなるか?

まず、その加護を受けていた存在は非常に困る。例えば今川に組み込まれていた地方族とか、弱小大名とか。いまいちピンと来ない君は、一週間後君の住んでいる地域がモヒカンが闊歩するヒャッハー世紀末状態になる事が確定したと考えてみよう。法律など世界である。警察も居ない。武器を持った屈強なちゃん達数人に囲まれて、事で居られるだろうか?これと同じ事が、彼らの身に降りかかったのだ。

義元亡き後、下の人や小大名達は、周辺諸からの諜略もあり、続々と今川の下を離れていく。義元はそれだけ頼りにされていたのであり、義元が不在かつ武田信玄 上杉謙信 北条氏康といった強に周囲を囲まれている今川に、下を取れるとは微も思えなかった。

(ちなみに、今川はその後500石だけを残して、江戸時代になるまで存続した)

名家中の名家・今川家

今川の祖先はかの足利尊氏室町幕府代将軍)の高祖足利泰氏である足利長氏にまで遡る事ができる。足利長氏は足利の子ながら側室の子であった為に跡が継げず、代わりに「吉良」という分を開いた(吉良長氏)。そしてその長氏の次男が、「分の分」を開いて今川を創設したのである。

つまるところ、尊氏のひいひいおじいちゃん(泰氏)の(長氏)が今川の祖であり、ひいひいひいおじいちゃん(義氏)の子孫として足利本家の分筋にもあたるわけである。後の徳御三家がそうであるように、吉良今川足利本家バックアップとして本家を支え、「足利絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」と詠われた。

従って足利鎌倉幕府滅亡後の混乱で立身を果たすと、今川も一門としてその覇業に大いにを貸している。足利による幕府成立後も今川範氏・今川貞世兄弟が活躍するなど幕府の重臣であり続けた。第4代当今川範政の代には幕府副将軍を務め、その息子である今川範忠の代には足利本家より「下一名字」の名誉を受けている。

応仁の乱を契機に室町幕府の支配が崩れ、今川戦国乱世の時代を迎える。血統も上下関係も関係ない、下克上と実義が全てを支配する政府状態の中で、数多くの名れ滅んでいく。今川も例外でなく、今川は当・義忠を乱世で失う窮地に立たされてしまう。

しかし次代の当となった氏親は熾督争いを制し、当としても叔父で幕府官僚でもある北条早雲と手を結びながら、傾きかけた今川を見事に建て直した。氏親は晩年卒中により寝たきりとなったが、妻の寿桂尼長男の氏の成人までコレを支えた。しかしその氏も若くして病に倒れ、その死後再び督争いが起きてしまうが、今度もまた前述の通り寿桂尼の末息子である義元がこれを制する。そして早雲の孫である北条氏康との対立を経て甲相駿同盟を結び、更に領を拡大して「一の取り」と称される大大名となるのである。

まさに何度踏まれても立ち上がり、更にを増すという雑草の如きタフな貴族であるのが戦国今川であった。しかし「二度あることは三度ある」という訳にはならず、の急死から始まる周辺諸からの政略合戦という事態に第10代当今川氏真は対処できなかった。というか、義忠の死亡時には北条早雲、氏親及び氏死亡時には太原雪斎という全幅の信頼を置ける片腕が居たが氏にはそうした存在がかったこともあり、寿桂尼の死後、早雲ひ孫にあたる氏政の支援しく、今川で預りの身であった外祖武田信虎や、外部からそれと通じていた叔父武田信玄の謀略によって臣団を切り崩され大名としての今川は滅亡する。(ちなみに、信長のことは戦国の習いと全に割り切り、家康の頼みもあって朝廷外交の手伝いすらした氏ではあるが、今川の衰亡期に裏切りを働いた旧臣については生涯許していない。)

だが氏は多芸さから一族が滅んだ後も生き延び、その後も続く乱世で次々と英雄が現れては消える中を生き抜いた。江戸300年の太ではその素養が生かされ、公家と武の中間とも言うべき高家に列せられた。どうあれ、今川の血(ひいては足利の血)を絶やさないという点では氏も責務を果たしたのである。今川の終焉は幕末の世の事となる。

盛者必衰の理通り、かつての臣下である徳の時代も終わろうとしていた。今川最後の当今川範叙は徳川慶喜から若年寄の重職を与えられ、東征軍に対する交渉を行っている。明治維新後、旧・武士階級に対する処遇は一定以上の石高を持つものを族として寵する一方で、それ以下のものは士族として段階的に特権を奪って行くという内容だった。

一見して公家側に近いように思える高家だが制度上は武であり、おまけに様々な特権と引き換えに石高自体は旗本程度であった。…つまり幕府自体の特権は奪われ、族にもなれず、他の士族とも染めないという三重苦であった。晩年の範叙は親類のに身を寄せて過ごしたと伝えられる。

子息である淑人にも先立たれていたため、範叙の死によって500年以上続いた今川はひっそりと、明治時代の影で断絶したのである。

ゲームでの登場

信長の野望

信長の野望」(PCシリーズにおける今川義元の力一覧 

軍事 内政
戦国群雄伝 戦闘 86 政治 89 93 野望 92
武将風雲 戦闘 79 政治 87 92 野望 95 教養 85
覇王 采配 83 戦闘 69 智謀 55 政治 87 野望 96
天翔記 戦才 146(C) 智才 130(B) 政才 170(A) 94 野望 92
将星 戦闘 63 智謀 77 政治 80
烈風 采配 87 戦闘 45 智謀 74 政治 80
世記 采配 76 智謀 66 政治 79 野望 99
蒼天 統率 72 知略 64 政治 80
下創世 統率 73 知略 69 政治 80 教養 77
革新 統率 85 武勇 70 知略 79 政治 89
統率 85 武勇 70 知略 82 政治 89
創造 統率 93 武勇 67 知略 87 政治 98

概ね政治・軍略の双方に長けた野心の名君として設定されている。やはり狭間のイメージが強いのかやや内政より軍略の方が苦手と設定される場合も多いが、「政治べて低い」という程度で十分に優秀。また「教養」が数値化されている作品では例外なく教養人としても設定されている。

また、史実シナリオにおける義元存命中は徳独立する前の状態のため、家康をはじめ徳勢の多くを配下としてスタートできる。その分、ゲーム的には初心者向けの強といえるため、応えが欲しい人は息子今川氏真)で亡きの大望を追うのがお勧め。

グラフィックは細面かメタボかの違いはあれど、基本的に公家の壮年男性に描かれており、コーエー名物の二名顔とはあまり縁がなかった。とはいえ化すような描かれ方はせず、大君としての格のあるグラフィックとなっている。そして2010年のPK版で満を持して悲願の「イケメン若義元」が登場した。武者震いがするのう!!

さらに2013年、次回作の創造では「イケメン若義元」の踏襲とともに武勇以外の値が大きく上昇しており、合計順位が史実武将中17位というトップクラスを誇る武将となった。ただし狭間での悲運を考慮してなのか、特性では不運を所持しており、戦で壊滅した際には捕縛されやすいので注意が必要である。しかし成長させていけば、特性幸運を得ることができるため欠点をすることができる。名だたる一の取りとして着実に評価されているのだから、ますます身震いがするのぉ!!

戦国無双シリーズ

信長の野望シリーズと共に近年のコーエーにとって看タイトルとなっている「無双シリーズ戦国時代版。1ではNPC、猛将伝でプレイアブルとなった。2では一旦リストラされたものの、猛将伝で再登場。ひき続いて3ではシナリオがなく、猛将伝/Zで追加された。ナンバリングでは3回連続で追加版じゃないとシナリオがつかないキャラクターとなってしまっている。

NPC時代は桶狭間の戦いやられ役程度の出番。丸々と太った厚化粧公家息子の氏(の逸話)と全にフュージョンした蹴設定、「狭間で勝っても、もう一度狭間で奇襲されて負ける」ほどの戦下手など、世間の古い俗説を背負った描かれた方に少なくない批判が集まった。

このような批判をうけてか、「実者であるが戦に興味はない。」という性格に変更され、器量の大きさを見せる。1猛将伝ではで蹴をする為に上し、各勢を引っ掻き回すこととなる。

2では戦乱の世の中を憂いて蹴仲間を探し、「皆が蹴って暮らせる世」を掲げ、各地の戦場乱入するシナリオであった。

3のシナリオでは伊達政宗にそそのかされ(史実では義元が死んだときにまだ政宗が生まれてないことを突っ込んで 、「蹴を通じて日の本を統一し、南蛮の蹴名人と戦う」ことを標としている。同シナリオでは義元以外の武将の意外な側面を見ることができる。戦場で遭遇する女性キャラの「脚」を品評するセリフイベントがある。

いずれも突っ込みどころ満載ネタシナリオであるが製作元のコーエーが「のぶやぼ」の製作元である事を踏まえれば、ライト層を狙っての意図的なネタである事は間違いない。

婚姻同盟を結んだ関係で武田信玄北条氏康とは義兄弟で、彼等には親しげに振る舞う。特に氏康の妻は義元そっくりのとされており、氏康は義に対してやりにくさを感じている。桶狭間の戦いでは徳川家康今川を離反する展開が毎回ある。家康自信は今川に対して「恨みもあれば恩もある」というスタンスであり、義元のシナリオで絡む時は彼に翻弄されながらも敬語で接している。特に関連のない伊達政宗と1猛将伝の上杉ルートや3猛将伝のシナリオでは組むのだが、政宗は義元に翻弄されるツッコミ役となっている。

地方別になった4ではPCではあるのだが、今川ストーリー無双演武で操作できるステージもなく、実質桶狭間の戦いに出てくるNPCである。
しかし、徳の章において口調は同じであるものの、突如として低くエコーのかかったになって家康を存続させることの苦難を説き、散り際もその格を漂わせたものであった
ユーザーからは魔呂とも形容されるその姿は、家康が見た幻影なのか、それとも普段はにひそめている彼の本性だったのかは定かではない。

余談だが義元の声優を担当している河内孝博氏は無双シリーズで他に龐統孫策も担当しており、その演じ分けはまず初見では気づかないと思われる。

戦国大戦

現在三枚の義元が存在する。

「圧倒的、圧倒的よのお!」
一枚は一般的なイメージである公家姿の義元。ただし、顔にはペイント(今川武将は特徴としてフェイスペイントが施されている)、後虎口攻めをすると分かるがガーターベルトを着用している。なおコーエーと違っておじゃるとは言わない。それは息子今川氏真のほう。
計略は「上の幻」。今川の武を大幅に上げるが、効果終了時には効果を受けた全員の兵が大幅に下がるというハイリスクハイリターンな大名采配。「下に一番近いと称された男が圧倒的な武で押し切る」計略となっている。
なお計略中は自には入れないために戻って兵回復は出来ない。
公家扱いなので虎口に入ると輿に乗って敵をするシュールがみられる。
ver1.1までは制圧・魅という自身が足軽というのもあって中々の良特技だったが、Ver1.2で制圧が削除されて攻になった。本人の統率もそこそこあり劣勢を覆せるチャンスは上がったと言える。

今川今川五郎義元じゃ!」
二枚目は「センゴク外伝 狭間戦記」での若かりし姿。計略は「果てき遊び場」。
の幻と較すると武上昇が少ない代わりに発動時兵が回復する。こちらは戦線維持という点で上に勝る。
しかし戦国大戦では単純なで敵を押しこむ事は強ではあるがデメリットもあり制圧できるとは限らないので、やはりひと癖ある計略の持ちと言える。
本人の武・統率がそれぞれ2コストで7、8と今川で数少ないハイスペックなこともあり、計略を使わずにスペックだけでデッキに投入される事も多かった。そのためか計略は散々な下方修正を受けている。

「大大名、今川義元が参るぞ!」
Ver1.10にて更に1枚追加された。
計略は「大勢の爆進」。今川の武を上げる大名形で、形に居る味方の数が多い程武が上がる。
あれ、何かこんな計略持った武将が三国志大戦にいたような。まあ、あっちも名門だしその繋がりであろう。
絵師あっちの名門と同じく、漫画家島本和彦である。
Ver1.20では似たような計略の大祝戦国数奇として他に追加されているが、効果時間はこちらがかに長い。範囲はこちらがやや狭いが。それに向こうは桃園の誓いよろしく1部隊でも死ぬと全部撤退なので、一概に較もできない。

戦国乙女

今川ヨシモトの記事を参照。

関連商品

関連項目

掲示板

  • 208ななしのよっしん

    2018/02/25(日) 10:20:07 ID: 6ddYSw2v+b

    むしろ本に踏み止まるよりさっさと逃げた義元のとんずらスキル評価されるべき
    ただし撤退戦の今川軍の活躍からすると、踏み止まって敗軍の立て直しを図るのが正解だったかもしれない
    どちらを選んでも討死だったかもしれないけど
    信長公記の記述では、織田軍に猛追された今川軍は数十人単位ごとに踏み止まり戦死確実の殿軍引き受けて奮戦
    義元が生きている間、今川軍は過酷な状況で組織的な軍事行動ができていた

    その死をも厭わない精鋭たちが義元が死んだ途端に散り散りになって逃げ惑い、沼地に嵌って信長の小姓たちに首を狩られた
    義元の死を知って心が折れてしまったのかもしれんね

  • 209ななしのよっしん

    2018/09/07(金) 03:57:59 ID: jezRLfSVVA

    まぁ最近過大評価な感じはある
    かといって室町以後の東の名門の中で、4男から最盛期を描いた一傑ではあるからなんとも評価が難しい

    斎に担がれた輿ってのは多分事実で、本人がどれだけだったのかっていうのはなんとも…
    ただ駿府とか都市家康がずっと愛し続けてたのを考えると、当時の東海今川の治世によって土地のポテンシャル以上に発展はしていたんだろうな

  • 210ななしのよっしん

    2018/09/19(水) 20:24:40 ID: 6ddYSw2v+b

    >>209
    近年の研究だと寿桂尼との仲は険悪で、生みのではなかった説も出てきてる
    さらに倉の乱で寿桂尼が味方したのは兄貴の方で、それを義元が攻め潰して督を奪ったのではないかという

急上昇ワード

最終更新:2019/07/22(月) 12:00

ほめられた記事

最終更新:2019/07/22(月) 12:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

       

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

TOP