一般的には「お伊勢さん」「大神宮さん」と親しく呼ばれ、辞書やメディアなどでは「伊勢神宮」と紹介されているが、正式名称は単に『神宮』である。神宮と言えば伊勢神宮を指し、検索でも最初に表示される。
全国に1万8千社ある神明神社の総本社であり、日本の約8万社の神社を包括する宗教法人『神社本庁』では、神宮が古来より至高至貴神社であるので、全国の神社の総親神として本宗と仰ぐ。
全ての神社には社格という定められた格式が与えられている中、神宮には社格がなく、文字通りの別格として定義されている。伊勢の地が神都と呼ばれ、神宮が神道の核を為す聖地とされる由縁である。
神宮とは、皇大神宮(こうたいじんぐう,通称:内宮(ないくう))と豊受大神宮(とようけだいじんぐう,通称:外宮(げくう))の二つの正宮のほか、伊勢市からも離れた4市2郡に跨る別宮、摂社、末社、所管社を含めた125のお宮(神社)からなる総称である。
大東亜戦争末期には、日本の戦意を削ぐためB-29によって三度の爆撃に遭った。しかし、不思議な事に境内に落ちるはずの焼夷弾が不自然な軌道を描いて五十鈴川の対岸へ外れ続けたという。それでもトラック3台分の焼夷弾が境内に降り注いだが、大半が不発弾だった。何発かは起爆したものの、神職や軍人が決死の消火活動を行ったためボヤ程度で済んだ。名木の太郎杉や一部の建物は失われてしまったが、伊勢神宮はほぼ無傷で残った。神の力が働いたのだろうか…。
日本書紀によると、天照大御神が宿る御神体の八咫鏡は、当初宮中にて代々天皇により祀られてきた。第10代崇神天皇の時代(紀元前97~29年頃)に、大和の笠縫邑にて豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が祀ることとなり、その後、第11代垂仁天皇の時代(紀元前29年~紀元69年頃)に御杖代である倭姫命(やまとひめのみこと)が新たに八咫鏡を奉祀する土地を探すことになった。倭姫命は大和、伊賀、近江、美濃の国など、20もの土地を巡った後、垂仁天皇26年に伊勢の地に辿り着いた。
倭姫命が八咫鏡を抱え伊勢の地を通った時に、『この神風の伊勢の国は常世の浪の重浪(しきなみ)の帰(よ)する国なり、かた国のうまし国なり、この国に居(お)らむとおもう』との天照大御神の御宣託があり、約2000年前に伊勢の国の宇治にある五十鈴川の川上に社を築いて鎮座し、磯宮と呼ぶようになった。この磯宮を朝廷が崇拝するところと成り、現在の神宮に至る。
天照大御神の御神体で、三種の神器のうちの一つ。2000年間一度も滅失した記録がない。
光華明彩(ひかりうるわ)しくして六合(あめつち)の内に照徹らせり、または、国の内に隈なく光が照り徹るとされる。
八咫鏡の所有者である天皇陛下さえも、その御鏡をご覧なさったことはない。八咫鏡を見た者は祟られて死ぬとされており、御袋に包み木箱に収められて厳重に安置されている。かなり大きなもので、その重量も複数人でやっと持てるものと伝えられる。
天照大御神が天の岩戸に隠れた岩戸隠れの際、石凝姥命が拵えたという神鏡で、天宇受売命が踊りを舞い、何事かと思った天照大御神が岩戸を開いて、「貴方より優れた神が顕れて、御名で喜んでいる」といわれ「何か怪しい」と更に岩戸を開いて「その神の御姿を見られよ」と天照大御神のお姿を映した八咫鏡を見せ更に岩戸を開いて、表に出た所を天之手力男之神が力一杯天照大御神の御手を引っ張って天ノ岩戸開きをした。
伊弉諾尊によって生み出された三貴子の一柱である天津神。八百万の神々の中心的存在で、太陽を神格化した女神。高天原(天上世界とその一部である地上世界)の主宰神(統治者)であり、世に光と秩序を与え、五穀豊穣、安寧をもたらすとされる。
東に一柱。天照大御神がお隠れになった天岩戸をこじ開け、天照大御神の御手をお引きになった天津神で最も地力が強いとされる男神。筋力や腕力の象徴、力の神、スポーツの神様として信仰される。
西に一柱。天照大御神の御子の天忍穂耳命と結婚し、天火明命と瓊瓊杵尊を産んだ女神。織物の神として信仰される他、安産、子宝等の神徳をもつとされる。
天照大御神の荒御魂を別宮として御祀りする社殿。賽銭箱があるので、身に余る個人的なお願い事は必ずこちらの御宮でする。内宮の荒祭宮と、外宮の多賀宮。神宮を代表する二柱の荒御魂を御祀りする宮社には鳥居がない点も興味深い。
近鉄鳥羽線、五十鈴川駅から歩いて10分。天照大御神の弟神である月の神様 「月讀尊」を御祭神とする。縁結びや夫婦円満を願う人にお勧めする。社殿を守るような大きなクスノキには参拝客も圧倒される。
御幸道路側から入るのが表参道、23号線側から入るのが裏参道となっており、表参道から入るのが正式。参道は右側通行。
お社に向かって、左から①伊佐奈弥宮(いざなみのみや)、②伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)、③月讀宮(つきよみのみや)、④月讀荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)となっています。参拝の順序は③月讀宮→④月讀荒御魂宮→②伊佐奈岐宮→①伊佐奈弥宮が一般的。4社が仲良く並んでいるとても優しく穏やかな雰囲気に包まれた神社。罪 、穢れを祓い、清める力が強いとされる。
JR紀勢本線、滝原駅から歩いて15分ほど。倭姫命が天照大御神の御鎮座の場所を求めて各地を旅する中で、倭姫命がこの土地の美しさに惹かれ、御宮を一時建てられたのが起源とされる神社。清らかな川と平行して伸びる真っ直ぐな参道を森の奥へ進んでいくと、せせらぎの音が聞こえてくる。社殿には黒と白の玉石が敷かれており、とても雨が似合う御宮。
近鉄志摩線、上之郷駅から歩いて3分ほど。森の奥にある伊雑宮(いざわのみや)は、数々の巨木が神秘的な雰囲気を醸しており、岩のように見える巨木が魅力。地元民は「いぞうぐう」と呼び、古くから海の守り神として猟師や海女さんに親しまれてきた。静寂の中で心も洗われる御宮。
伊弉諾尊の御子神で、特に風雨を掌られる神、級長津彦命、級長戸辺命を御祀りする。雨風は農作物に大きな影響を与えるので、神宮では古より正宮に準じて丁重に扱われる御宮。毎年5月14日と8月4日の2度、風雨の災害が無いよう、また五穀が豊かに実ることを祈願する風日祈(かざひのみ)祭が行われる。これは鎌倉時代の「御笠(みかさ)の神事」を元とする。
1975年に新左翼の共産主義者同盟戦旗派(現アクティオ・ネットワーク)が起こした放火テロ事件、風日祈宮放火事件を境に、神宮では赤外線監視装置の設置について議論され、日本警備保障(現セコム)に打診すると、日本警備保障は自然木のように特別に偽装した機械警備システムを伊勢神宮に無償で奉納した。
JR東海伊勢市駅と近鉄宇治山田駅から三重交通神都線バス(外宮・内宮循環)の「徴古館前」で下車すると、すぐ表参道の鳥居が見える。広大な倉田山の森に包まれ、ゆるやかに蛇行した参道や石段が変化に富んだ景観を作り出し、どこか女性的で大らかな雰囲気を味わえる倭姫宮。
甚大なる御功績を御示しになられたにも関わらず、倭姫命を奉る御宮が伊勢市に存在しなかったことを嘆き、御徳をお慕いしたいと大正の初年から神宮司庁と宇治山田市(現在の伊勢市)が命を奉る御宮の創立を請願してきた。そして大正10年1月4日、皇大神宮別宮としてのご創立が許可され、同12年11月5日に御鎮座祭が執り行われた。地元民の愛が、皇大神宮別宮という大変立派な格式の御宮に倭姫命を御鎮座するという価値ある結果を結んだのだ。神宮の御宮の中でも、最も新しい神社である。
皇大神宮が伊勢に御鎮座してから約500年後に、『丹波の国の比治(ひじ)の真名井(まない)の原という所にまつられている豊受大神を御饌(みけ)つ神として私の近くによんでほしい。一人では大御食(おおみけ)(お食事)も安心して食べられない』と天照大御神から雄略天皇への神示があり、丹波の国から伊勢の度会の山田原にお迎えして御宮を建てられたことが、豊受大神宮(とようけだいじんぐう)の由緒である。伊勢神道(度会神道)は、豊受大御神をお祀りする外宮が内宮より至上の神社と考えた。
豊受大御神が天照大御神の大御気を司る神であることから外宮だけにあるのが御饌殿(みけでん)。毎日朝夕の二度、神々に御食事を用意する日毎朝夕大御食祭(ひごとあさゆうおおみけさい)、通称常典御饌は、1500年以上前から、一日たりとも欠かさず営々と続けられている日本(世界)最長の祭事。忌火屋殿(いみびやでん)は神様の御気を調理する台所とされる。忌火とは「特別な火」の意味ですべての神事や宮中で使用される清浄な火であり、外宮では弥生時代に発明された「舞錐式発火法」で火をきりだす「御火鑽具(みひきりぐ)」を使用して、神饌(神様の食事)を調理する忌火を現代でも起こしている。また、神様にお供えする御料水は、毎朝、上御井神社(かみのみいのじんじゃ)から汲んでおり、この御水は、高天原の天の忍穂井(あめのおしほい)から移されたと伝えられている。
三座。東に一座、西に二座。天照大御神の専属総料理長である豊受大御神をサポートする。
一説には田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命という宗像大社関係の三神が祀られているとされる。 (この三神は天照大御神と素戔嗚尊の御子で、豊受大御神とともに丹後から遷られたとされている。或いは、天津彦々火瓊々杵尊、天児屋根命、太玉命。
正宮前の池の横の亀石を過ぎ、土宮と風宮の間にある石段を98段登った丘の上に鎮座。外宮での個人的なお願い事は、是非多賀宮で。外宮の多賀宮と、内宮の荒祭宮。神宮を代表する二柱の荒御魂を御祀りする宮社には鳥居がない点も興味深い。
JR伊勢市駅前から南に10分。また、外宮から北に徒歩で10分。厚生小学校のすぐ裏手にあり、皇大神宮別宮の月讀宮が月讀尊と月讀尊荒御魂がそれぞれ社殿を分けて御祀りしているのに対し、こちらは月夜見尊の和御魂と荒御魂が一つの社殿に合わせて御祀りされている豊受大神宮(外宮)別宮の神社。楠、欅、杉その他常緑の木々のおい茂った社がある。一歩神域に入ると、町中の御宮とは思えない清らかな静謐が感じられる。地元では「つきよみさん」と親しみみを込め呼ばれている。
「豊受大神宮(外宮)」の北御門と「月夜見宮」を結ぶ一直線の道は通称「神路通り」と呼ばれる路で、神の通い路として神話の時代から存在していたと伝承され、道の真中は歩かない、また穢れに触れてしまった者はその道を避けて通らなかったという習慣があった。月夜見命が白馬に乗って豊受大御神の許へ向かったとされる「白馬伝説」も伝えられている。神路通りの白い石畳が、月夜見尊の御馬へと変身するのだ。
『宮柱建て初めしより月讀の神の往きかふ中のふる道 月讀の宮仕へとて夙(つと)に起き通ふ神路を清めざらめや』
風宮は風の神様で、風と雨の順調をお祈りする農業に関する神様を御祀りする御宮であるが、元寇の際に二度の神風を起こしたのが風宮とされ、以降は護国の祈願対象にもなっている。 また昭和33年の伊勢湾台風で神宮の参道の巨木が次々となぎ倒された際も、神宮では倒木のために風宮の茅葺屋根のみが真っ二つに裂けて壊れただけで、内宮外宮共に風宮以外は一切の被害が出なかった。神職や地元民からは自らが受け入れ他の社を守られたという逸話が根強く伝えられ、困難なときに現状打破を願ってお参りすると道が開けると信仰される。
日本では、古来より神の御魂(御霊、御心)について人間に様々な恵みをもたらす一面、「和御魂(にぎみたま)」と逆に天災などの災いをもたらす別の荒々しい一面、「荒御魂(あらみたま)」の2つの側面があると考えられており、同一の神でも全く異なる程の激しい神性を持つと考えられてきた。これは、日本人の自然に対する感謝と畏敬の観念が、神々に対する思想として反映されたアニミズム的解釈論である。災いをもたらす程の荒々しい一面である荒御魂は荒魂(あらたま)と呼び、能動的で勢いのある神性は、伊勢神宮では別宮として両方を御祀りする。
神宮では、20年に一度神宮式年遷宮(式年遷宮)と言う、社殿・御装束(おんしょうぞく)・御神宝(ごしんぽう)を全く同じ形で新造し、御神体を新しい御正殿に移す儀式『遷御の儀』が1300年に渡り連綿として執り行われている。簡単に言うと、『神様に全く同じ形の新居にお引越し願う儀式』であるが、紛れも無く日本国の最重要祭事なので、神々にリフレッシュしてもらうための並々ならぬこだわり振りが発揮される。
飛鳥時代の7世紀から原則20年ごとに行われた伊勢神宮の式年遷宮だが、朝廷の力が落ちた中世になると、遷宮のための多額の費用と時間を捻出できなくなった。しかし、織田信長が天正13年(1585年)の式年遷宮を計画し、1582年に本能寺の変で討ち死にする。それを家臣であった豊臣秀吉が実行し、天下人が変わった徳川家康が継続させた。戦国時代に式年遷宮を復活させたのは、何を隠そう彼ら戦国三傑武将である。
準備期間……約8年 / 総工費……570億円以上 / 使用する御用材……ヒノキ1万本 / 1300年前と変わらぬ宮大工の工法
一新される御装束や御神宝。それらは714種、1576点を数え、内宮と外宮の両正宮と14の別宮に奉献される。人間国宝ら当代随一の名工、名匠が、数年から十数年をかけて丹念に作り上げる。もちろん、全てボランティアでの制作。
この式年遷宮には、「常若(とこわか)」と言う、常に若々しく輝きを放つ存在としての神への思想が根付いている。20年毎に神宮の建物を総とっかえすることで、神宮はどの時代においても「古く」ならず、常に「新しさ」を備えて伊勢の地に佇んできた。神宮が世界遺産に登録されない唯一の理由だが、そんなものはどうでもよく、神々にさらなるご威光を発揮していただくことが何より先決して大事である。
百五経済研究所では、2013年度の式年遷宮に伴う参拝客の急増などによる経済効果を、2416億円と試算した。
伊勢市の面積の約1/4を占める内宮の宮域は、五十鈴川の川上につらなる神路山と島路山で総面積は5500ヘクタールの広さがあり、奥の方の3500ヘクタールには将来の式年遷宮御用材造成と水源確保のためのヒノキの造林となっている。神域と宮域林に大別され、神域は社殿を中心とした付近93ヘクタールの区域で創建以来一度も斧を入れたことの無い禁伐林となっている。宮域林はさらに神域周辺と宇治橋付近1000ヘクタールの第一宮域林とそれ以外の4400ヘクタールの第二宮域林に区別される。第一宮域林は大部分を天然林が占め、樹木の育成に必要な場合を除いて伐採が禁じられている。第二宮域林は五十鈴川水源と宮域の風致保全を目的としている他、社殿造営用の備材もここで育てられている。式年遷宮で御用材として必要なヒノキの数は1万本とされている。
神宮の建物は『唯一神明造り(ゆいいつしんめいづくり)』といい、出雲大社の大社造とともに、日本最古の建築様式を伝える。ヒノキの素木を用い、切妻、平入の高床式の穀倉の形式から、宮殿形式に発展したものである。屋根は萱で葺き、柱は掘立、全て直線的である。屋根の両端には内削(水平切)の千木が高くそびえ、棟には10本の鰹木が列び、正殿を中心にして、瑞垣・内玉垣・外玉垣・板垣の4重の御垣がめぐらされている。 正殿のお屋根は萱葺で、両妻は直径79cmの太い棟持柱が支えている。その棟には屋根の重しである鰹木が10本列び、その東西両端、破風板の先端が屋根を貫いて、千木になっている。内宮では、千木の先は水平に切られていて、これを内削(うちそぎ)という。
内宮では千木が水平切の内削ぎ、鰹木が偶数の10本。外宮では千木が垂直切の外削ぎ、鰹木が奇数の9本と覚えるといい。同様に、別宮では祭神の男女を問わず内宮別宮は内削ぎ・偶数の鰹木、外宮別宮は外削ぎ・奇数の鰹木であり、摂社・末社・所管社も同様である。同じ女神であるのにこのように違いがあることは興味深い。
平安時代に編成された「伊勢太神宮式」では、「天皇以外の者が奉幣すること」が禁止と書かれており、そもそも民衆が神宮に立ち入ることはまかり通りませんでした。
それでも伊勢に行きたいという民衆の気持ちが抑え切れず、江戸時代には「お蔭参り」・「ええじゃないか」として熱狂的な一大ブームにまでなりました。参拝者は参宮が叶った喜びや、生きていることの神恩感謝を伝えたとされます。
内宮・外宮ともに御正宮には御賽銭箱が設置されてありません。御正宮には白い敷布が敷いてあって、そこにはおさい銭がちら ほら見られます。あれは、おさい銭を投げ込む輩がいて、人の手が触れたお金が地面に接触して聖域が穢れてしまうのを防ぐための 「防御装置」です。式年遷宮用の募金箱が用意されていますので、そちらに寄付しましょう 。
宇治橋や神域に架かる他の橋、御正宮へと続く玉砂利の敷かれた神苑、それらの道の中央を歩かないようにしましょう。中央は 「正中」と言い、憚られます。参拝時も正面に立つのではなく、少し脇に寄って二拝二拍手一拝をしましょう。
神宮におみくじはありません。外宮・内宮の神楽殿ではご祈祷を受けたり、神楽を奉納奉拝することができます。神宮大麻、お守りも受け取ることが出来ますが、神宮大麻・お守りともに神様の御魂分けがなされたありがたい品ですので、必ず神棚にお供えしましょう。詳しくは 神宮大麻 - 西野神社 社務日誌 をご覧ください。
国民も常に心を洗はなむ みもすそ川の清き流れに
何事の おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる
深く入りて神路の奥をたづぬれば また上もなき峰の松風
ここは心のふるさとか そぞろ詣れば旅ごころ うたた童にかへるかな
御子良子の 一本ゆかし 梅の花
お伊勢七たび、熊野にゃ三度、愛宕さんへは月参り
お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り
「伊勢神宮参りでは、内宮に行く前、宇治橋を渡るだけでもう清涼な雰囲気を感じて、伊勢神宮に来たという気持ちになる」
「宇宙規模の大きさがあって、その前に立っていられるありがたさがある」
「この聖地において、私は、あらゆる宗教の根底的な統一性を感得する」
「世界で一番古くて新しいもの」
「あそこに<永遠なるもの>の祖形が、遷宮という仮象を通して千古なお生き続けている」
「初めて伊勢神宮を訪れたときも、私はまるで違和感を覚えなかった。むしろなつかしささえ感じ、すっかり気持ちがやすらいだものだ」C.W.ニコル
「神宮の建築は、ギリシアのパルテノンに比すべき、すばらしいものである。天から降ってきたようなこの建築は、日本固有文化の精髄であり、世界建築の王座である」
全国に二十五社ある神宮号の神社で、参宮と呼ぶのは神宮への参拝だけです。昔から「一生に一度は詣りたい」と言われる神宮は、三重県伊勢市の駅からすぐ近くの以外にもアクセスの良い立地にあります。
直会をするまでが正式な参宮です。神宮での参拝が完了したら、すぐ近くにある伊勢神宮内宮の鳥居前門前町「おはらい町」の中ほどにおかげ横丁があります。赤福やアワビ、松阪牛に手こね寿司と美味しいものがたくさんあります。朝9時営業開始のお店も多いので、朝一で外宮から猿田彦神社、内宮を経ての買い物と食事、という事も出来ます。キャッシュレス対応のお店が多いので、手持ちが少ない時でも安心です。
外宮から内宮までは5.5kmと以外に距離があります。そんな時に役立つのが、式年遷宮で観光客が賑わいを博す伊勢に新たに運行を開始した「神都バス」です。外宮前⇔内宮前で、大人700円・小人500円です。昔懐かしいチンチン電車のデザインです。
伊勢神宮だけでなく鳥羽方面でも楽しみたい!という方には三重交通のフリー切符・伊勢鳥羽みちくさきっぷがお勧めです。1枚で伊勢・鳥羽エリア全域の三重交通バスに乗り放題な上、各種観光施設での割り引きが付く上に伊勢神宮からVISONへの高速バス料金が半額になるお得な切符です。
1DAYと2DAYの2種類があるので現地で1泊する時にも使えます。三重交通グループアプリをインストールしておけばスマホでもカード決済で購入可能なので、切符を無くす心配もありません。
※年末年始やゴールデンウィーク、伊勢神宮で大きなイベントが開催される際は交通規制が行われます。その際は、伊勢西IC・伊勢ICではバス・タクシー・バイク・緊急自動車・許可車以外は降りられなくなります。
そのため、うっかり玉城ICを通過してしまった場合は伊勢自動車道に直通する伊勢二見鳥羽有料道路に誘導され、特設有料駐車場に強制的に駐車のうえ、専用シャトルバスで伊勢神宮に向かうことになるので要注意!
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最終更新:2025/04/02(水) 03:00
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