伊達組とは、ブラウザゲーム「刀剣乱舞」に登場する刀剣男士のうち、伊達家に所有されていたことに言及のある太鼓鐘貞宗(刀剣乱舞)・燭台切光忠(刀剣乱舞)・大倶利伽羅(刀剣乱舞)・鶴丸国永(刀剣乱舞)を指すグループタグ、非公式の名称である。
2016年6月23日に太鼓鐘貞宗が実装されるまでは、関係が窺えるボイスや絢爛図録での設定等があるもののゲーム内では直接交流が発生している訳ではなかったが、彼の実装と同時に伊達組に関する回想と内番が追加された。
細川家所縁の刀剣と伊達家所縁の刀剣による回想『九曜と竹雀のえにし』シリーズにおいては、小夜左文字から伊達組は仲が良いと言われている(単に燭台切光忠がうまくまとめているからでは?とも言っていたが)。同回想では四振りともそれぞれ活躍の機会がある。
太鼓鐘貞宗と史実で長く一緒だった大俱利伽羅を関ヶ原に出陣させると回想『関ケ原へは……』が発生する。
畑当番では太鼓鐘貞宗・燭台切光忠・大倶利伽羅・鶴丸国永から二人組み合わせて任命すると特殊会話が発生し、それぞれ気の知れた間柄な様子が見られる。
2017年7月4日のアップデートで太鼓鐘貞宗の極が実装され、手合わせで燭台切光忠・大倶利伽羅・鶴丸国永を相手にすると特殊会話が発生するようになった。
なお、太鼓鐘貞宗(が極めていなくてもこの特殊会話は発生する。
ちなみに史実では燭台切光忠と鶴丸国永に伊達家での面識はない(燭台切が水戸徳川家に渡った後に鶴丸が伊達家にやってくるため)。燭台切の方に確たる資料がないが、あるとすれば織田信長の元で共に過ごしていた可能性はある。
相州貞宗の作で、長く伊達家に在った短刀。
伊達者という言葉が今に残るだけあって、派手好きでお洒落を尊ぶ性質をこの太鼓鐘貞宗も受け継いでいる。
燭台切光忠とは「みっちゃん」「さだちゃん」と呼び合う仲。
伊達忠宗が所持していた。快活な性格の少年。ふとももが眩しい
お洒落に気を使う伊達男、うまいもの好きで、料理も出来る。
有機農法に拘る燭台切光忠に対して自然農法を提唱しており、農作にも造詣がある様子。
燭台切光忠とは昔は一緒に組んでいたらしく、台詞も対になっているものが多い。
彼と同様に「ここにはいろいろ刀がいるけど、みっちゃんはいるかい?燭台切光忠、通称みっちゃんだ!」と審神者に尋ねるものもある。
大俱利伽羅とは史実では長く一緒であったためか、馴れ合いを嫌う彼が珍しく気を許した対応をしている。
鶴丸国永とは悪ふざけし合える仲で、畑当番や手合わせでは仲良さげな様子が見られる。
【伊達家に関する来歴】
元和3年(1617年)、紀州徳川家初代・徳川頼宣から徳川秀忠に献上され、同年に秀忠の養女・振姫が伊達政宗の嫡子・伊達忠宗に輿入れする際に、秀忠から忠宗に下賜される。
延宝5年(1677年)、仙台藩四代藩主・伊達綱村が老中・稲葉正則の娘、仙姫と結婚した際、祝儀として稲葉家に贈られる。しかし貞享5年(1688年)、正則の嫡子・稲葉正往が親戚の不祥事に連座して免職・転封となり、財政難となった為か、伊達家に買い戻された。
明治16年(1883年)、仙台から東京の伊達邸に移転。昭和4年(1929年)3月の「日本名宝展覧会」では、伊達伯爵家から大倶利伽羅と共に出展された。
戦後に伊達家を離れ、現在は重要文化財指定を受けて個人蔵。
備前長船派の事実上の祖といわれている刀工、光忠の作。
名は、伊達政宗がこの太刀で家臣を斬った際にその勢いで燭台まで斬れたという話が由来。
伊達者で格好の良さにこだわる。
同じく伊達家にあった太鼓鐘貞宗とは「みっちゃん」「貞ちゃん」と呼び合う仲。
伊達政宗が命名した太刀。格好良さにこだわる伊達男。
料理好きで、仲間の和を大事にする。近侍ボイスでは審神者に「さだちゃんはこっちに来てる?太鼓鐘貞宗。通称さだちゃんだよ」と尋ねており、仲の良さが窺える。
最近は有機野菜作りに凝っているらしく、肥料の悪臭も良い野菜が出来て料理でみんなが喜んでくれれば苦ではないようだ。出来た青年である。
有機野菜への拘りは強いようで、伊達組との畑当番特殊会話では毎回言及する。肥料の臭さにたじろぐ鶴丸国永にも「大丈夫。怖くはないよ」とにこやかに迫っていた。
【伊達家に関する来歴】
伊達家伝来の資料には、慶長元年(1596年)に伊達政宗が豊臣秀吉に御座船を献上した折に、秀吉から光忠を拝領したとあるため、この光忠が燭台切光忠ではないかという説がある。
伊達政宗の手に渡り号が付く。その由来は、政宗が小姓の罪を咎めて手討ちにした際に側にあった燭台も一緒に斬れたことから。その後は伊達家に伝来したが、水戸徳川家の徳川頼房(徳川光圀との説もある)が強く所望した為、水戸徳川家に渡った。
現在は徳川ミュージアム所蔵。
相州伝の広光作といわれている打刀。
伊達家伝来のため、燭台切光忠、太鼓鐘貞宗、鶴丸国永とは旧知の仲。
だが、必要以上のなれ合いを嫌う孤高の存在。
不動明王の化身である倶利伽羅竜王の彫り物を持つ。
必要以上の馴れ合いを嫌っており、近侍ボイスでも審神者に「慣れ合いは光忠や貞宗とやってくれ。俺は連中とは違う」と言うものがある。
言われたぶんの仕事はきっちりやってくれる律儀な面もある。畑当番では鶴丸国永に自分から声をかけて仕事を促したり、燭台切光忠には「……言われたぶんは手伝ってやる」と譲歩したり、気分が乗らない太鼓鐘貞宗に対しては上手く操縦していつもの倍働かせる。
ちなみに、審神者の前では太鼓鐘貞宗を「貞宗」と呼んでいたが、本人の前では「貞」と愛称で呼んでいるようだ。
【伊達家に関する来歴】
元和6(1620)年に伊達政宗が徳川秀忠から拝領。なお、当時の政宗は仙台にいた為、受け取りを行ったのは忠宗である。
明治に入り仙台から東京の伊達邸に移転。昭和4(1929)年3月に開催された「日本名宝展覧会」には伊達興宗伯爵所持として、太鼓鐘貞宗と共に出展された。
昭和初期まで伊達家に伝来。現在は重要美術品指定を受けて法人蔵。
平安時代の刀工、五条国永の在銘太刀。
鶴を思わせる白い衣を身に纏い、赤は戦ううちにつくだろうからなどと軽く言ってのける。
そのさが、軽妙で酔狂であっても戦うことを忘れたことはない。
平安時代に打たれた太刀。主を転々としてきた。「驚き」を好む、気さくで男前な性格。
太鼓鐘貞宗とは悪ふざけし合える仲で、一緒に畑に驚きをもたらしたり、手合わせで蛇を使って驚かせたりしていた。燭台切光忠との畑当番では有機肥料の臭さには勝てなかったようで、珍しく慌てる場面が見れる。大俱利伽羅との畑当番では働くよう促されるが、鶴丸国永が畑に何かした?らしく「……誰だ、こいつに当番まわしたのは」と言われる始末。
【伊達家に関する来歴】
「伊達家腰物由緒書」によると、元禄年間に4代藩主・伊達綱村の頃に購入された。
明治34(1901)年11月に第30代当主・伊達宗基が明治天皇に献上するまで、伊達家代々の当主に継承されていた。
呼ぶ側 | 呼ばれる側 | |||
太鼓鐘貞宗 | 燭台切光忠 | 大俱利伽羅 | 鶴丸国永 | |
太鼓鐘貞宗 | 俺 | みっちゃん | 鶴さん | |
燭台切光忠 | 貞ちゃん (さだちゃん) |
僕 | 伽羅ちゃん | 鶴さん |
大俱利伽羅 | 貞宗 貞 |
光忠 | 俺 | |
鶴丸国永 | 光坊 | 伽羅坊 | 俺 |
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