佐倉城 日本100名城 20 |
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別名 | 鹿島城 |
城郭構造 | 連郭式平山城 |
天守構造 | 非現存 |
築城主 | 千葉邦胤 土井利勝 |
築城年 | 1611年(慶長16年) |
廃城年 | 1873年(明治6年) |
佐倉城とは、千葉県佐倉市にあった日本の城である。佐倉市史跡、日本100名城に指定されている。
佐倉城は佐倉市の中心地域となる佐倉地区の京成佐倉駅から西に徒歩20分(JR佐倉駅からは徒歩25分)程度にある鹿島台と呼ばれる一帯に築かれた平山城である。付近には市を南北に縦断し印旛沼に注ぐ鹿島川が流れている。
明治に入り廃城されたことで建物自体はほとんど残っていないものの、跡地は「佐倉城址公園」としてよく整備されていて、建物の跡や石垣を使わずに張り巡らされた土塁に空堀などなど城を構成していたものは良好な状態で残されている。
様々な樹木のある緑豊かな公園となっていて梅、桜、睡蓮に花菖蒲、紅葉などなど四季折々の風情を味わえる。
もともと本佐倉に割拠していた千葉親胤(1541-1557)が鹿島台に城を築き始めたのだが、北条氏の横槍を受けて暗殺されてしまい、作業は中断。
その後10数年の時を経た当主の千葉邦胤(1557-1585)が再び築城しだしたのだが、今度は邦胤が小姓のオナラを叱責したことを恨まれ後々刺殺されてしまい、またもや頓挫。
邦胤には子供はいたが、「まだ幼い」と北条氏の横槍が入り、千葉家には北条氏政の実子が送り込まれ乗っ取られてしまった。
事実は小説より…とは言うもののオナラ一発(二発かましたとかなんとか)で刺し殺されるのではたまったものではない。
実際のところ、男色のもつれではないかという見方をする研究者もいるとか。
1610年(慶長15年)に佐倉に封じられた土井利勝は千葉氏の残したものを基に築城を再開。
1611年(慶長)から1616年(元和2年)にかけての工事の末、築城を完了した。
幕閣の重鎮として権勢を揮った利勝は加増を積み重ね14万4千石を領するようになり、1633年(寛永10年)下総国古河に転出。
1651年(慶安4年)堀田正盛(ほった まさもり)が三代将軍家光の死去にともない殉死(家光とアッーな関係で栄達を重ねたので、まあわかる)。
正盛の跡を継いだ正信(まさのぶ)は1660年(万治3年)突然、幕政批判を行い江戸から勝手に佐倉に帰るという暴挙をやらかし、最終的に頭がお狂いになられたので仕方ないよねというところに落ち着き所領ボッシュートに。(なお、その後も預け先で色々やらかし方々に迷惑をかけている。)
といった騒動も起きたりしつつ、1746年(延享3年)に堀田正盛の三男・正俊の系統の堀田正亮(ほった まさすけ)が佐倉に入るまで、主がコロコロ変わる状態が続いた。
正亮から4代経た正睦(まさよし)は1857年に通商条約の締結を求めて下田へ入港したタウンゼント・ハリスとの交渉に臨んだことで知られており、城址公園内に正睦とハリスの銅像が建てられている。
廃城後には帝国陸軍の駐屯地とされていたため、陸軍関係の遺構も残されている。
土井利勝が領主となってから400年ということで、佐倉城に住んでいた妖が佐倉の魅力を発信するために「現代に復活」したという設定のゆるキャラ。コンセプトとしてはゆるキャラ以上萌えキャラ未満とか。
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https://twitter.com/kamurochan/status/1079750333906194432
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最終更新:2025/02/10(月) 00:00
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