佐竹貞義(1287~1352)とは、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武将である。
佐竹氏は清和源氏義光流の一門であったが、治承・寿永の乱で源頼朝と敵対し討伐され、以後鎌倉時代を通して冷遇され続けた。
1331年元弘の乱が起きると、幕府軍として後醍醐天皇の籠る笠置山を攻めた。しかし、1333年の足利高氏の幕府からの離反に従う。1335年の中先代の乱で息子の佐竹義直を失うも、鎌倉に急行して足利直義の三河への逃走を支援し、その後の足利尊氏の進軍に加わり北条軍を打ち破っていった。さらに1336年の足利尊氏の離反に従い、貞義は北畠顕家と対峙する一方、息子の佐竹師義、佐竹義春らを尊氏に同行させたのである。
その後も北朝の幕府軍として活躍し、小田治久との戦いでは息子の佐竹義冬を失ったものの、1339年に高師冬の支援を受けて常陸から南朝勢力を追放することとなったのである。
その結果常陸守護は佐竹氏が世襲することとなり、さらに陸奥南部にも所領を与えられ、佐竹氏は一気に勢力を拡大したのであった。
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最終更新:2024/04/20(土) 13:00
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