佐藤忠信(~1186)とは、平安時代末期に活躍した武将である。
源義経の家来で、奥州藤原氏から源義経につけられた佐藤兄弟の弟の方。佐藤元治と藤原清綱の娘との子らしいが、母親は『平治物語』によると大窪太郎の娘ともあり、実ははっきりとしたことは言えない。
源義朝の挙兵を聞いた源義経がこれに合流しようとした際、兄の佐藤継信とともに藤原秀衡からの命令で彼に付き従うことになった。このため『平家物語』では一の谷の戦い以降何かと源義経のそばに登場し、屋島の戦いの際には平教経の軍勢に討たれそうになった佐藤継信を助ける場面が描かれる。
さらに壇ノ浦の戦いでは梶原景時との先陣争いに強硬派として登場し、兄の分も源義経に忠実に使えた。ところが、源義経が源頼朝から追われる立場となった際、『玉葉』の文治2年(1186年)9月20日によると京都で彼一人が発見され、自害している。後年の編纂物なので事実かは不明だが、『吾妻鏡』によれば佐藤忠信が以前よしみのあった女に出した手紙から居場所が発覚したとのこと。
この結果『平家物語』では佐藤忠信が別行動して死ぬに至った章が割かれ、吉野で源義経を逃がすために孤軍奮闘した結果として一行を離脱し、京都に身を隠していた際に女の元に通っていたところを討ち取られた。
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最終更新:2025/03/29(土) 04:00
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