倉田光吾郎(くらた・こうごろう)
1973年5月27日、東京生まれの西洋鍛冶師にして造形作家である。
1/1スコープドッグやカストロール1号、クラタスの制作で有名になる。
1973年、父親の倉田光太郎が東京吉祥寺にて「アトリエ倉田」を創業、西洋鍛治を始める。
光吾郎は、自宅の庭で西洋鍛治の仕事を見ながら幼少期を過ごす。
1983年、山梨県鳴沢村に新アトリエを創設すると東京吉祥寺のアトリエは東京事務所になる。
1991年、高校在学中の光吾郎は初の鉄作品であるベースギターを制作。
この作品がリクルート主催の公募展である「FROM-A-THE-ART」で佳作を受賞した事から鍛冶師・造形作家としての道を進む。
1992年には初の個展を開催。
1994年、父親の倉田光太郎が株式会社トランスファーを設立、事業内容は鉄を使った造形物の製作 ・ 設計 ・ 施工。
時期は不明だが舞台装置家・小林優仁に師事、オペラの世界と平行して制作活動を続ける。
1996年、デカい鉄の花の制作依頼をオペラの師匠経由で受ける。
お題は、エロいもの作れ。
調香師(香水を作る人)の展覧会で、香りと鉄と絵画を舞台装置家がまとめあげるというコラボ企画で使われた。
場所は青山のスパイラルガーデンで期間は2週間程だった。
1997年、山梨県鳴沢村の新アトリエ側に自作のアトリエを制作して移住する。
1999年頃、個人的に欲しいから作る。
アンティーク調のミシン台の様な机と一体になったデスクトップマシンを制作。
構成は下記の通り。
USB接続のタイプライターキーボード(足踏み式のshiftボタンもあり)
電話が可能な“もしもしマウス”と“ジーコジーコテンキー”
引き出しにはG3MACとCD-ROMドライブ、MOドライブを収納。
全体構成は師匠が担当して、倉田光吾郎が担当したのは個々のデザインと制作。
2003年、1年間の休養を取った光吾郎はドイツのベルリンに滞在。西洋鍛治の本場であるヨーロッパを歴訪する。
スロバキアの大会“Smith’s Days 2003”を訪れた際は、主催者の陰謀(笑)によりハンマーを振るう事になる。
約1年半振りに振るったハンマーで作った作品は鉄製のトイレチェアー。
※機械頼りでハンマーを振るっていなかった。
倉田光吾郎の知名度を押し上げた作品。
根性試しに作り上げた1/1スコープドッグである。
サイト「なんでも作るよ。」とブログ「なんでも作るよ。」を開設した事から飛躍的に知名度が高まる。
2004年2月後半~3月頃に制作を開始して2005年4月頃に完成する。
完成後は「装甲騎兵ボトムズ」の生みの親である大河原邦夫、高橋良輔、塩山紀生が倉田光吾郎のアトリエを訪問して1/1スコープドッグと対面している。
2005年05月21日にはココログにブログを掲載してた縁から「タタキツクルコト 1/1スコープドッグ制作日誌」を出版する。
2005年、東京都目黒区上目黒にあるピザ屋 SAVOY(サヴォイ)からの制作依頼を受ける。
当初は“扉とかなんか鉄で作ってくれない?”との依頼だったのだが、「いっそ、扉とかじゃなく、全部やってくれませんか?」との話になり建物全体を手掛ける事になる。
工場の様な鉄製ピザ窯と鉄製の螺旋階段、2Fと3Fには200個の小窓、1Fには門扉との2重構造でごちゃごちゃとしたステンドグラス門と言ったデザインになっている。(依頼主である柿沼氏の要望による)
2007年6月から聖林館の店名で営業している。
※「新しい形でやるから、名前も変えちゃう」との事で店名も変わっている。
2007年、JFEスチールから高炉モニュメントの制作依頼を受ける。
千葉の製鉄所で使用していた高炉が廃炉になる為、記念として形のある物を残したいとの理由である。
作業場はJFEスチールが数年後に撤去予定の倉庫を提供、事務所に改造して作業を行った。
サイズは実物の1/10で10m(実物は100mの巨大炉)を予定してデザインを行い、最終的には全高12mの高炉モニュメントを完成させた。
2007年、JFEスチールからの高炉モニュメント制作と同時に発足した企画。
全高10mの鉄人28号を作るという事で順調に進んでいたかと思われたが、大人の事情によりお蔵入りになった。
2009年、自宅を建設中に知人(カイブツ社の木谷)からオファーを受ける。
クライアントはオイルのカストロール社。
内容は2010年のワールドカップ用にサッカーボールを時速300㎞で蹴る機械制作。
クライアントからの『エンジンは車が良い』、『最新式っぽいのが良い』、『ロボットっぽいのが良い』との要望を受けた光吾郎はバッテリー駆動で自走し、エンジン駆動でサッカーボールを蹴るハイブリッドマシンをデザインする。
ヤフオクでTOYOTA製の三輪駆動バッテリーフォークを購入(20万円)して分解、前輪を個別に駆動させていたモーター、配線、油圧回路、500kg以上あるバッテリーから足回りを制作する。
追加部品としてヤフオクでモーターとジムニーを購入、ジムニーは分解してホーシングとフレームにしてモーターを搭載、エンジン駆動のキックユニットを制作する。
このエンジン駆動キックユニットは試射で時速200㎞を記録する。
※クライアントからは「時速300kmは難しそうだから、目標は200km、まずは1ヶ月で100km以上をクリアしてね、ダメなら中止」との話を受けていた。光吾郎の元にオファーが回ってきたのは大学や企業に、“そんなのは出来ない”と断られた為である。)
順調に思えたキックユニットの制作も、実際には改良の影響で9mm鉄板のカバーが曲がる事故も発生している。
さらに電子工作隊員(代理店勤務の石塚くん)と協力して加速度センサーによる車体角度検知、ボール位置確認カメラとショット方向確認カメラ、モニターと録画装置、フライホイールのレーザー回転計測等々を搭載、これらをコクピットモニターで確認できる統合システムを組み込む。
前日までに調整を終えたカストロール1号は赤坂サカスで行われるお披露目イベントに備えて輸送される。
場所は赤坂サカスのスケートリンクに人工芝を敷き詰めた特設会場。(素敵な極寒仕様)
光吾郎はこのイベントで、“イベントには魔物が潜む”ことを思い知らされる。
23:30に会場に到着した光吾郎一行は、搬入と入場リハーサルを予定(徹夜!)していたのだが、会場にカストロール1号を充電出来る電源が無い事から人力で輸送したり、特設スロープが陥没したりと言ったトラブルから入場リハーサルは当日に持ち越しとなる。(当然キックユニットの試射も出来なかった。)
そしてイベント当日。
本番開始まではカストロールジャパンのポッスルズ会長に挨拶すると「200キロダセナカッタラ、タイヘンデスヨ」と軽く脅しを掛けられてみたり(どこまで本気かは不明だが)、リハーサルでボール置き係の頭をカチ割りそうになったり試射寸前でガス欠になった事を除いて問題は発生しなかった。
本番でも悪夢は続く。
お披露目イベントが始まりカウントがゼロを告げるとカストロ―ル1号が発進する予定だったのだが、光吾郎がアクセルを全開にしても車体が動かず、モニターからは見た事のないエラーが出る。
スピーカーからは「ゼロー、ゼロー、ゼロー」と発進合図のカウントが響き続ける中、推定重量2tのカストロール1号を大人3人で押し出すことになる。
スタンバイが完了してイベントが進行すると、遂にカストロール1号のキックユニットの実力を示す時が訪れる。
移動形態からキック形態に車体を持ち上げ、キックユニットのエンジンをONにする・・・のだがエンジンが掛からない。
2回セルを回し、最後のチャンスとアクセルを全開にしてセルを回すと・・・やっとエンジンが掛かる。
※この時の経験から数日間はジムニーのセル音を聞くと吐き気がしたとの事。
そしてエンジンは動いたもののなぜか回転計が動かなくなった事から、実際のキックは光吾郎の勘で蹴る事になる。
結果は時速206kmと合格点が出て成功をおさめている。
このイベントはロイター経由で世界80ヶ国にニュース映像を配信されている。
車体が動かなかった原因は、リハーサルでは無かった段差が作られていてタイヤがはまった事による。
見た事のないエラー表示はモーターに負荷が掛かりすぎた事による警告表示である。
キックユニットのエンジンが掛からなかった原因は、リハーサルで試しにエンジンを掛けたことによる。
リハーサル中との事もありエンジンの始動を確認してすぐに切っている。
この事が燃圧が高い状態でプラグの火を止めた事になり、燃焼室内が燃料過多=プラグがカブった状態になっていた。
回転計が動かなかった原因は、本番時に真上に来た太陽の光で、センサーがレーザーを検出出来なかった事による。
倉田光吾郎曰く
後から考えれば全部些細な事の集まり。
対処だって、冷静ならばすぐにできる。
けれどあの場では、大問題。
いやはや、イベントは恐ろしい、、、、
そしてメインイベント、日時は日本vsオランダ戦の当日。
ワールドカップサッカーのPRとして代々木サムライブルーパークでギネスに挑戦する。
時速225kmを記録してギネスに認定される事になり、カストロール1号は役目を終える事になる。
『もう待てないので、オレ作る。』
制作チーム『水道橋重工』が2年半の期間を費やして作り上げた巨大ロボットである。
発案者は倉田光吾郎で全体の制作と電気系を担当、制御系を吉崎航が担当している。
時期は不明。
ヤフオクで購入したFIAT500(レストアベースで床は腐って穴が開き、ドアはボロボロな代物)
ヤフオクで4万円で購入したポンコツユンボ(片側のキャタピラ不動でオイル漏れまくり)
この2つを購入した事から思いついて制作。
フィアットチンクチェント(FIAT500のイタリア読み)+キャタピラ=フィアットチンクタンク
キャタピラを修理したユンボの上を解体してエンジンを後部に移動、車体下部は戦車っぽく作り直し。
操作盤を移動、油圧ホースの取り回しも変更してオイルフィルターも追加。
最後にFIAT500の車体を乗せて最高時速は2~3kmのチンクタンクが完成する。
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