全日本大学駅伝 単語

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全日本大学駅伝とは、大学駅伝日本一を決める大会である。

正式名称は『秩父宮賜杯 全日本大学駅伝対校選手権大会』だが、正式名称で呼ばれることはほとんどなく「全日本大学駅伝」「全日本」と呼ばれることがほとんどである。また走る場所から「伊勢路」とも呼ばれ、「出雲路」「箱根路」とともに学生三大駅伝を構成する。

概要

日本学生競技連合催する大会であり、1970年開始。熱田神宮 - 伊勢神宮106.8kmを8区間に渡って競い合う。現在2018年以降)の詳細なコースは以下の通り。

高校大会における全高校駅伝(通称・都大路)や実業団における全日本実業団駅伝(通称・ニューイヤー駅伝、または上州路)に相当する大会。

なのだが、男子大学駅伝ローカル大会に過ぎない箱根駅伝の方が権威・知名度で圧倒的に勝るため、全な前戦扱いとなっている。

それでも昭和時代は開催時期が箱根駅伝終了後の1月だったこと、一部の関東学連の大学(早稲田など)を締め出していたことなどが重なり、関東勢以外では福岡大学(3回)、京都産業大学(1回)が優勝したこともある。とはいえ基本的に関東勢の方が圧倒的に強く、それ以外の優勝校はすべて日本体育大学(11回。すべて昭和時代で、うち3連覇2回)と大東文化大学(昭和時代に5回、平成初期に2回)であった。

1988年(昭和63年)から11月開催となって以降、関東勢の勢いが加速。1990年代はそれでも京都産業大学が一桁順位に踏みとどまっていたが、シード制導入後は低迷。2008年には日本人エースとして中野選手を擁した第一工業大学(鹿児島県)が出雲駅伝で3位に食い込み、全日本大学駅伝でもシード権にあと一歩の7位と健闘したが、2011年に留学生の出場が一人に規制されてからはあからさまに強化のやる気をなくしたこともあってそれ以降は極度に低迷。特に2016年以降は関東勢15校が15位までを占めるケースが6回と格差が開き続けている。

特に2022年は7区でトップを独走していた駒澤大学が区間新を出したもあるが、関東と何気に関東最下位に沈んだ日本大学より速いタイムで走破した日本学生選抜以外の大学が最終中継所である第7中継所ですべて繰り上げスタートになってしまった。
これ以上酷くならないかと思いきや、翌2023年駒澤大学は季節外れの暑さの中大会歴代2位の好タイム優勝したこともあり、地方大学に加えて国士舘大学も繰り上げになってしまった。一方日本学連選抜は繰り上げしで15位相当で走破している。

出場枠

2012年以降は各地方ごとに1を保し、最大で15までというやり方に統一されている。

そのためかつてが9-12しかなかった関東箱根以上に厳しかった予選会が実質緩和される一方、実格差[1]を考えればやむを得ないのだが地方は実質関西以外がほぼ単で、年によって東海が2取れるかどうかになっている。

2000年より上位6校、2019年から上位8校にシード権が与えられているが、シード権過去全て関東勢が独占している。というか8位以内に入ったのも2008年の第一工業大学の7位が最高と地方勢は非常に苦しくなっている。ただ90年代シード制が導入されていたら20世紀では一桁常連だった京都産業大学シード争いでは常連になっていただろうが……

2006年より東海予選で落選した大学から構成される東海学連選抜がオープン参加している。さらに、2015年からは予選会落ちした大学全てから地方ごとで最大3人まで出場できる日本学連選抜もオープン参加している[2]日本学連選抜は2019年以降、毎回関東勢に先着している実績があり、東海学連選抜も2016年関東勢こそ食えなかったが、地方最先着の16位相当でゴールしたことがある。

大会トピック

1992年から1995年に掛けて、当時の学生におけるスター選手だった渡辺康幸選手を擁した早稲田大学が初出場から4連覇を達成。特に95年における1分29差の最終区における逆転は今でもり継がれるほどで、これは日本人アンカーが逆転優勝した差では2023年までの大会においても最大のタイム差である。

1998年は後にマラソンで活躍する藤田史選手を擁した駒澤大学が初優勝。以後に大会歴代1位となる16回の優勝を重ね、ついた異名が『平成常勝軍団』である。なおこシーズン駒澤大学出雲も制して、一当時は取っていなかった箱根駅伝学生駅伝三冠を狙ったものの、9区で順天堂大学に敗れて三冠を逃した。2013年も同じく2冠を取りながら箱根東洋大学に屈したが、2022年では24年越しの3度目の正直に挑み、悲願の学生三冠を達成した。

2000年クインテットと呼ばれた3年生5人を擁した順天堂大学が初優勝2位がそれまで4回と全日本では勝ちきれなかったが、ライバル駒澤大学を6区で振り切った。この時期の順堂は特に出雲駅伝に強く、 1999-2001 年にかけて3連覇を果たした。この年の順天堂大学クインテットの中でも中心選手と言われたのが3000メートル障害で活躍した岩嘉孝選手であり、この年は箱根も制して学生駅伝三冠を達成した。

2009年日本大学が4年ぶり3回優勝を飾り、出雲に続き学生二冠を獲得。しかし出雲に続き留学生頼りの勝ち方がにつき、箱根では5区における大ブレーキがあったとはいえ15位に大敗。結果として物議を醸すこととなり、2011年より留学生の出場が1人に規制されることになった。

2015年東洋大学が悲願の初優勝柏原竜二選手や双子設楽選手といったスター選手を擁しながらも全日本は勝ちきれなかったが、この年は服部勇馬・弾兄弟を中心としたチームで、5区を除いてすべて首位で通過する圧巻の強さであった。ただし箱根では逆に青山学院大学優勝を許してしまい、結果的に相手を本気にさせてしまったとも取れるのだが……

2016年青山学院大学が初優勝。現代の箱根常勝軍団となった青学も全日本大学駅伝はこの年が初優勝で。ちなみにこの年の青学出雲箱根も制しており学生駅伝三冠を達成。この年の青学の中心選手は2年時からエース格であった一色恭志選手である。ただし前年のエースで、1つ上の学年に当たる神野大地選手の方が箱根5区ので知名度が高い。

2017年1996年・97年に大学駅伝で連続で2冠を獲得した神奈川大学が20年ぶりとなる3回優勝。この年の中心選手は後にマラソン日本記録を出した鈴木健選手。当然箱根でも優勝補として殴り込んだのだが、2区で鈴木選手が2年連続区間賞こそ逃したものの区間4位で走り、さらに4区では区間賞を取るなど4区終了時点では上位争いをしていたのだが、5区の選手が低血糖を起こすアクシデントでまさかの往路15位。復路も追い切れず最終順位も13位に終わりシード権すら失ってしまい、結果としては山の魔物に屈してしまった。8年前に復路順位でも16位に沈んだどこぞの大学とは違い、復路の方はシード権まで4分近い大差という悪条件ながら9位とまずまずの結果で優勝補としてそれなりに走れていたので、アクシデントさえなければ(仮に5区の選手が区間18位相当で走っていれば総合9位相当だったので)少なくともシード権は確保できていただけに惜しまれる。

大学駅伝三冠やその他の記録について

出雲駅伝・全日本大学駅伝・箱根駅伝の全てで優勝することを「大学駅伝三冠」や「学生駅伝三冠」と呼び、1990年の大東文化大学2000年順天堂大学2010年早稲田大学2016年青山学院大学2022年駒澤大学が達成している。[3]

特に全日本大学駅伝で最多優勝を誇る駒澤大学1998年2013年出雲全日本と二冠を取りながら箱根で敗れ、2022-23年のシーズン3度目の正直に挑んでようやく三冠を勝ち取ったように最も三冠の難しさを知っている大学である。そしてその翌年も2年連続三冠偉業に王手をかけたが、青山学院大学の意地に屈し、三冠が掛かった年では4回中3回となる箱根2位に終わっている。

三冠門になるのは出雲駅伝であり、かつては全日本の勝者は大体箱根も制して二冠を取るケース立った。実際にデータ上でも出雲箱根で二冠経験があるのは山梨学院大学東洋大学青山学院大学とわずか3校のみである。

ただし2008年以降は三冠を取った早稲田大学青山学院大学駒澤大学、そして出雲が中止になった2020年に二冠を取った駒澤大学以外で全日本と箱根を連覇したケースく、むしろ全日本の勝者は箱根を勝てないケース立つ。特に出雲全日本で2冠を取りながら、2009年日本大学2013年駒澤大学箱根で5区を制した東洋大学に敗れている。2018年青山学院大学も4・5区で大きく失速し、復路こそ制したものの往路でトップと5分半にも及んだ遅れを挽回するには至らず、終盤に失速した往路優勝東洋大学を捉えての2位が精一杯で、往路で4分以上先行し5区と復路も堅実に2位でまとめた東海大学とは30程度しか詰められなかった。2023年に2年連続三冠が濃厚と言われた駒澤大学も2区以降は全区間で青山学院大学に遅れを取るなど負けし、三冠獲得に失敗している。

このデータで裏打ちされるように、2014-2015年以後の箱根で10戦7勝と常勝軍団となっている青山学院大学は、全日本での優勝は2回にとどまっているようにやや苦手としている。ちなみに全日本を捨て試合にしているわけではないことはコメントからうかがえるので、他の大学の方が全日本時点では仕上がりがいいのかもしれない。

記録としては山梨学院大学2002年までに2位を10回記録している。山梨学院大学出雲で6回、箱根で3回の優勝を誇り、平成の中期まで強として知られていたが、全日本だけ勝てなかったのは不思議である。もっとも惜しかったのが1999年で2区から7区まで1位キープ、しかも1区と7区以外は区間2位以上で走りながら、最終区で駒澤大学に50差をひっくり返されている。

関連項目

脚注

  1. *その理由としては関東が出場を減らしたのは出場の増減が出来た1990年以降でさえ、途中棄権で最下位扱いになった2003年早稲田大学の時のみである。
  2. *いずれもチーム記録参考記録だが、個人記録は認められる。ただし、コロナ禍を受けた2020年は選抜チームの編成はなし。
  3. *なお三大駅伝になって以降、三大駅伝をすべて制したことがある大学は上記以外だと東海大学東洋大学のみで計7校だけである(日本大学記録上は三大駅伝をすべて制しているが、同校の箱根駅伝優勝はすべて昭和時代のもので、最後の箱根優勝は第50回大会と半世紀以上前である)
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