一つの妖怪がヨーロッパを歩き回っている。共産主義という妖怪が。
支配者階級は共産主義的革命に恐れ戦くがいい。プロレタリアートは鎖以外に失うべきなにものも持たない。彼らは勝ち取るべき世界を持っている。万国の労働者よ、団結せよ!
「共産主義社会は、如何なる方法によれば、もっとも速やかに、かつもっとも容易に達成できるか?」
をヨーロッパに広める為に著した「共産主義的信条表明」である。本著はあらゆる言語に翻訳され世界中の読者に読まれることとなる。
ここ→(共産党宣言)でただで読める。短いので多少本を読むのに慣れていれば2時間くらいで読めるはずだ。この機会にご一読。
共産党宣言というタイトルの通りコテコテの共産主義思想の啓蒙書であり、上にある冒頭の文章と結びの文章は非常に有名である。共産党宣言が書かれた頃は資本論が出版される10年以上前であって、剰余価値理論がまだ確立されていないなど経済理論的空白が目立ってはいるが、政治パンフレットとしての用途の為、比較的分かりやすい文章で構成されている。
日本ではあの大逆事件で有名な幸徳秋水が堺利彦と共著で日本語に翻訳し、日本が二次大戦で敗北するまでの40年もの間発禁になっていたにも関わらず多くの人に読まれていた。
初版のタイトルは「共産党宣言」であったが第二版は「共産主義者宣言」にタイトルが変更された。この二つは似ているようで結構意味が違ってくるのがポイント。「共産党宣言」であれば共産運動の中心は共産党であり、共産党が全てのプロレタリアートを先導する(これを前衛党という)という意味が生まれる。後者の「共産主義者宣言」であれば、共産革命はプロレタリアートがみんなで団結して行うという意味になる。現在「共産党宣言」の方がメジャーなのはレーニンがソビエト共産党の権力を高めるために名前を広めたためと言われている。
共産党宣言は序文+四章で構成されている。第一章は「階級闘争の歴史と今」、第二章は「共産主義者とプロレタリアート、ブルジョアの関係」、第三章は「共産主義者と他の社会主義者との関係」、第四章は「まとめ」の章となっている。
「これまでの全ての社会の歴史は階級闘争の歴史である」から始まる第一章。
中世から近世のヨーロッパは教会と皇帝(国王)が国民を支配するいわゆる「封建社会」であった。しかし、アメリカの発見を端に発する大航海時代によって諸国は植民地を獲得し、経済市場は格段に広がりブルジョアと呼ばれる階級を大幅に発展させた。ブルジョア階級がその力を伸ばしていくにつれて古い時代の住人、教会や王侯貴族との対決が発生する。そして市民革命(宗教改革、仏革命、米独立戦争など)を経てブルジョアは見事に古い制度を打ち倒す。その後、産業革命が発生しブルジョアは近代ブルジョアジーとして一つの完成をみた[1]。
近代ブルジョアの誕生は同時に三つのものを生み出した。一つ目は旧秩序の破壊。二つ目は経済恐慌。三つ目はプロレタリアートである。
①ブルジョアは王制や教皇制を破壊したが、それとともに全てのの封建的、家父長的、牧歌的なものを破壊した。宗教は信頼をなくし、農村などのコミュニティから人の結びつきを奪い、全てを金勘定の関係に生まれ変わらせた。しかも欧州だけでなく、欧州が支配する植民地(つまるところほぼ全世界)でである。
②ブルジョアは留まることを知らない欲望によって経済恐慌を引き起こす。これは生産性を高めすぎたことによって過剰生産が生まれて、デフレ不況[2]が起きることを原因とする。作れば作っただけ売れる時代は終わり、作っても商品が売れず商品が余ってしまうと工場は潰れブルジョアは没落する。ブルジョアは自分たちの行為によって自滅するのである。もちろん恐慌が起きれば労働者にも大打撃を喰らい、餓死者が発生したりする。ブルジョアはデフレ不況を回避するために新規市場を求めるか、既存市場を酷使するかの2択を選ばされる[3]。
③ブルジョアは封建制との対決において自分の体を労働力として売るしかない階級、プロレタリアを生み出した。(階級闘争の項も参照)。プロレタリアは賃金労働制の下、ギリギリ生きていけるくらいのお金しかもらえないのだ。そして全ての階級の中でプロレタリアだけが革命的である。なぜならブルジョアはもちろん中流階級は今の生活に満足していて保守的であるからだ。しかし今後ブルジョアはプロレタリアだけでなく中流階級の搾取を始めるし、ブルジョア同士の争いによりプロレタリアに没落する人たちも生まれプロレタリアの数が増え続ける。今は個別のプロレタリア運動しかないが、増加するプロレタリアが団結し自らの力を自覚した時、共産革命は必然となる。
第二章ではマルクスの想定する共産主義者が具体的にどのような革命をするかについて述べている。「革命が起きたら具体的に俺ら(プロレタリア)の生活はどう変わるの?」、「ブルジョアが色々文句言ってるけど実際のところはどうなの?」という疑問に答える章であり、中々過激な表現でマルクス(とエンゲルス)はそれに答えている。
共産主義者は、私的搾取こそが搾取を生むと考え「私的所有の廃止」を主張する。
私的所有の廃止。これだけ聞くと「うわぁ・・・」と思う人も多いのではないだろうか?やっぱり当時でも「私的所有の廃止!?冗談じゃない!!」と文句を言う人がいた。「そんなことしたら働いて得たお金や物を国に取られてしまう」というのは今でもよく聞く共産主義への文句である。しかし共産主義者はそれにこう反論する。
「人は我々共産主義者が、自分たちが頑張って働いて得たものを奪うと批難する。しかし我々はそんなことをする必要はない。我々が奪う前に労働者が働いて得たものは既にブルジョアが奪っていってしまっているからだ」
ブルジョアと初めとした共産主義を批難する人々は「私的所有の廃止によって土地、所有物、賃金、人格、教育、家族を、国への愛着を、共産主義者によって奪われ破壊される」と言う。しかし、資本主義の下ではそれらの要素は9割方既に奪い取られているものである。共産主義者が廃止するのは、資本家が独占するブルジョア的私的所有(利子、地代、配当などの不労所得)だけであり、所有一般ではない[4]。よってプルードン(仏の社会主義者)が主張するような「賃金の均衡化[5]」はありえない。
共産主義者はプロレタリアをまとめ、先導する存在であり、共産主義がプロレタリアや他の社会主義とは対立するものではない。共産主義者が目指すものは他の社会主義者と一緒、つまり「プロレタリアの団結」、「ブルジョア支配の転覆」、「プロレタリアによる政権奪取」である。
そして共産主義者は、革命が起きた際のマニフェストを10項目あげる。
これによりプロレタリアは階級から解放されていき、やがて完全に階級がなくなったとき政府そのものが廃止される。そうすれば各々の人間が自由に生きることができ、アソシエーションが生まれるのだ。
4.マルクスは「資本とは共同社会の中から生まれ、資本を動かすのは社会の構成員全てである。よって資本は共同社会全体の産物なのだ。よって資本が個人の所有から社会に移るとしてもそれは社会の所有ではなく所有の性格が変わるだけである」と述べた。資本は本来個人のものではなく、もちろん国家のものでもなく、社会全体のものなのだ。このような考え方はマルクスの国家社会論から生まれたものであるが、この辺をソ連や中国共産党は間違えていた。多くの共産主義国家は個人の独占する資本を国家の独占する資本にしただけだったので、結果的に今のアメリカも真っ青なとんでもない格差社会になった。ソ連のような形態は共産主義ではなく国家主導型資本主義であるという指摘もある。
5.共産主義について世間でよくイメージされる「賃金の均衡」。「一生懸命働いても怠けても給料が一緒じゃ誰もやる気がでない。よって共産主義は衰退した」という批難は実はマルクスの思想ではなく、フランスの無政府主義的(アナーキズム)社会主義者プルードンが主に主張した考えである。
第三章はマルクスの属する共産主義の観点から他の社会主義を批判する章。一言に共産主義や社会主義といっても一枚岩ではなく、社会主義の中でも意見の相違が見られ派閥闘争があった。そこでマルクスは、自分の属する共産主義と他の社会主義はどう違うのかを批判的に述べていく。
反動的社会主義とはその名の通り反動的、つまり歴史の流れに逆走して封建社会に戻ろうとする勢力のことを言う。ここでは三つの勢力を解説する。
この勢力に属する者として、まず封建的社会主義者があげられる。封建的社会主義者は過去の歴史の闘争によってブルジョアに敗北した貴族、王族階級である。彼らは自らの地位を取り戻すために政治や執筆などの活動を行ったが今さら彼らの古くさい考えに賛同する者はいない。そこで彼らはブルジョアを打倒するために「私たちの行動はプロレタリアを救うため」という社会主義の御旗を掲げたのである。これが封建的社会主義者の誕生であった。
しかし所詮彼らは古い時代の住人でありプロレタリアも段々とそれに気付いて離れていった。そもそも封建制の下でも搾取は行われていたのであり、更に元を辿ればブルジョアという階級は封建制というシステムが生んだものであるのだから、過去に戻るという形で社会主義を為すのはナンセンスである。
二つ目に反動的社会主義者としてあがるのは小ブルジョア社会主義者である。彼らはブルジョア誕生初期に生まれた存在であり、一応ブルジョアではあるが資本力が弱く近い将来大資本に負けてプロレタリアに身を落とす可能性のある存在である。主にフランスで発展した。彼らは優れた洞察力で経済学を批判したが、結局は新しい時代に破壊された古い生産制度や交通制度に今の社会蘇らせようとする時代錯誤な考えであり反動的であるというより空想的な考えである。
三つ目はドイツ社会主義者または真正社会主義者である。その名の通りドイツで発展した社会主義。社会主義という理念はフランスで発展したのだが、それがドイツに輸入される際にフランスの社会の実状や生身の人間的な理念を捨て去ってしまった。その結果ドイツの社会主義は難解かつ抽象的な概念になり、一般市民には受け入れられず、むしろ官僚や聖職者などの旧時代の住人がブルジョアと戦う武器として使用されることとなる。その結果ドイツの工業的発展は遅れ大ブルジョアの発展を削ぎ、逆に郊外の小ブルジョアを栄えさせた[6]。
6.当時ドイツはまだ統一されておらず分裂状態にあった。これによりドイツは植民地獲得が遅れ、結果的に世界大戦の遠因の一つとなる。
保守的社会主義またはブルジョア社会主義とは、ブルジョアでありながら社会主義に賛同する層である。経済学者、博愛主義者、人道主義者、労働環境の改革者、慈善事業家、動物虐待廃止論者などが属する。彼らは社会主義を曖昧なものに仕立てあげ、プロレタリアの困窮は階級ではなく表面的なものが原因と主張することによって根本的な苦しみを取り除かないまま、生活や労働の改良によってプロレタリアの解放を求める。
「自由貿易をしよう!労働者のために!」、「保護貿易をしよう!労働者のために!」
しかし彼らの主張の本質は「ブルジョアがブルジョアであるのは労働者のためである」という欺瞞に満ちたものであり、抜本的に労働者を救うためではなく極めて利己的な考えが根底に存在する。彼らはプロレタリアに同情して社会主義者になるのではなく、ブルジョアの為に社会主義者になるのだ。彼らが望むのはあくまでブルジョアによる支配である。
共産主義に先行する社会主義者たち。代表的なのがサン=シモン、フーリエ、オウエンの三名である。彼らは社会の問題を「階級」にあるということを見つけたが、プロレタリアートが未発達な時期に社会主義を目指したために、物質的条件(プロレタリアの団結、政治運動など)が揃わず必然的に頓挫した。これらの運動はよくある共産主義に悪いイメージそのままの、人間の欲を否定し悪平等を推進する。
彼らはいまだ揃わない社会主義の達成の条件を探し、それを自分たちの創作(要するに妄想)によって作ることになっていった。彼らにとっての社会主義運動とはその自分の考えた妄想的社会主義理論を宣伝、実行することなのだ。しかも彼らは自分たちが全ての思想の上に立っていると考え、ブルジョアも含めた全ての階級を救おうとしてしまい、ブルジョアに対して自分たちの訴えを起こし、結果的に反革命的になってしまう。彼らの失敗の原因はプロレタリアの未発達による社会主義の未発達によるものだ。
彼らはやがて革命的思想は失い保守的になる。彼らのような空想的社会主義者は自らの思想を正しいと信じ込み、その後資本主義の発展とともに現れた真なる社会主義運動を邪魔する存在になってしまうのだ。このような社会主義を科学的社会主義と対立する空想社会主義と呼んだ。
サン=シモン、フーリエ、オウエンらは空想社会主義者の代表格であるが、マルクスとエンゲルスは彼らを高く評価している。確かに上述のように彼らの社会主義思想には瑕疵が多いが、それは3人がマルクスよりも前の時代に生まれたことによる歴史の未発達が原因であるとされる。マルクスは彼らの社会主義からも大きく影響を受けた。
第四章では共産主義者と、主要国に存在する反政府組織や反政府政党との関わりを説明する。当時のヨーロッパは革命が頻発するほどに国家が安定しておらず、マルクスの主導する共産主義連盟に限らず多くの合法非合法の反政府組織があった。それらの組織は各国の政治事情を反映して生まれたものであるので、この章の読解には当時のヨーロッパの各国の事情を知っておく必要がある。
まずイギリスのチャーティスト、そしてアメリカの農業改革者。共産主義者は現在の利益を求めるが、彼らは現在だけでなく未来の運動をも代表する。次にフランスの社会主義的民主主義の政党。フランスでは共産主義者は彼らと合流したが、このことは共産主義者が彼らの妄想を批判しないことを意味しない。スイスでは共産主義者は急進派を支持するが、けしてスイスの急進派がブルジョワ色を持っていることを見逃したりはしない。ポーランドでは共産主義者が農業革命を起こしてくれることを期待されている。
いまだ封建制の残るドイツという国の共産主義者はブルジョワジーと共に王制、封建制、そして小市民層と戦うが、その戦いが終わった後にはブルジョワが旧勢力を倒すために用いた政治的諸条件を次はプロレタリアートがブルジョワに対して向けることになる。共産主義者の中でもドイツの共産主義者は注目に値する。なぜならドイツはブルジョワ革命の前夜にあるからであり(1848年にフランスで発生した革命がドイツに飛び火した三月革命のこと)、またドイツはヨーロッパのどの国よりもプロレタリアートが発展しているからである。よってブルジョワ革命はプロレタリア革命の序章でしかないのだブルジョワ革命とプロレタリア革命の違いは階級闘争の項目を参照)。
共産主義者は現在存在するどの革命的運動をも支持する。共産主義者は全ての場所で民主主義的諸政党の協力と提携に努める。
共産主義者は社会秩序の転覆によってのみ自分の目的が達成できることを公然と宣言する。支配階級は共産主義的革命に恐れ戦くがいい。プロレタリアは共産主義革命において、自分の鎖の他に失うものは何一つとしてない。彼らが得るべきものは一つの世界である。万国のプロレタリアよ、団結せよ!
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最終更新:2024/04/19(金) 23:00
最終更新:2024/04/19(金) 23:00
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