兵庫県民歌(ひょうごけんみんか)とは、1947年に制定された兵庫県の県民歌(都道府県歌)である。ただし、兵庫県は現在「県民歌は存在しない」として、この楽曲の存在や1947年に県民歌を制定したと言う事実そのものを否定している。
第二次世界大戦が終結した翌年の1946年に前任者の公職追放を受けて民間から兵庫県知事に登用された第32代知事の岸田幸雄(1893年-1987年)が日本国憲法公布を記念して制定を提唱し、歌詞の一般公募を実施した。いわゆる「復興県民歌」の1曲であり、同時期に制定された都道府県歌には宮城県の『輝く郷土』(2代目)や『東京都歌』『和歌山県民歌』『鹿児島県民の歌』などがある。
この時期に制定された県民歌の多くはよく「GHQに命令されて制定した」と言われているが、実際には資料からGHQが制定に関わっている事実が認められるのは『東京都歌』1曲だけであり、兵庫県を含め他県ではGHQの命令で制定したと言う事実は特に確認されていない。
歌詞の公募は1946年11月末を締め切りに実施され、北海道から鹿児島県まで720編の応募作が寄せられた。この中から最終候補作34編が選ばれ、翌1947年2月19日付の神戸新聞で入選作1編と佳作10編の受賞者が発表された。
入選者(賞金1万円)は有馬郡生瀬国民学校(現在の西宮市立生瀬小学校)の教員だった野口猛氏(後述)で、佳作(賞金200円)を受賞した中には映画監督で後に『東海道四谷怪談』や『生きてゐる小平次』などの怪談映画で有名になった中川信夫(1905年-1984年)もいた。
作曲は審査委員会からの依頼で東京音楽学校の信時潔が手掛けており、3月11日に完成している。
初演奏は1947年5月3日に神戸の兵庫県議会議事堂で開催された新憲法施行記念祝典の席上で行われ、県立神戸第一高等女学校の生徒が斉唱したことが翌5月4日付の神戸新聞で報じられている。5月8日には改めて親和高等女学校講堂で県主催の発表音楽会が行われ、入選者1名・佳作10名に対する表彰や宝塚音楽学校管弦楽団による演奏が実施された。
同じく5月3日には東京の皇居前広場で『兵庫県民歌』と同じ信時潔が作曲し、GHQから『君が代』の演奏が禁止された場合に後継の国歌とする候補曲として作成された(実際には『君が代』の演奏禁止命令は下されなかった)新国民歌『われらの日本』が演奏されている。また、山形県では戦前から昭和天皇の御製歌に曲を付けた『最上川』が県民歌とされていたが、同じ理由から新県民歌『朝ぐもの』が制定された。この『朝ぐもの』は山形市で開催された新憲法施行記念祝典で演奏されたが、不評だったため再び『最上川』が県民歌に返り咲いている。
ところが、近畿地方で最初の県民歌として華々しく制定された『兵庫県民歌』は1960年代に入ると存在そのものが県の歴史から抹消同然の扱いとなり、それから半世紀以上にわたって「県民歌は存在しない、必要ない」と言うのが県の公式見解とされるようになってしまった。その理由は明確にされていないが、いくつかの仮説が存在する。
このうち最も有力とされるのは2.だが、同時期に制定された宮城県の『輝く郷土』や『鹿児島県民の歌』も復興色の強い歌詞にも関わらず現在も公式に演奏されているのでやはり単独の理由としては弱いと言わざるを得ず、これら複数の要因が重なり合った結果として抹消に至ったのではないかとも考えられる。
前述のように兵庫県は『兵庫県民歌』が存在すること、1947年に制定したこと自体を公式に否定しているにも関わらず県庁舎の向かいにある県公館(旧本庁舎)内の県政資料館では1985年の開館時から2000年代初めまでこの『兵庫県民歌』の楽譜が公開展示されていたことが明らかになっている。それだけでなく、明石市にあり1974年に開館した兵庫県立図書館にも同じ楽譜が所蔵されているが、県立図書館で所蔵資料にこの楽譜があることがわかったのはかなり最近らしく、2004年の時点では存在が把握されていなかったと言うことである。
現在は同じ楽譜が作詞者の遺族からの寄贈により国立国会図書館・神戸市立中央図書館・姫路市立城内図書館・豊岡市立図書館にも所蔵されており、各館で手続きをすれば誰でも閲覧可能になっている。
楽譜の表紙は神戸出身の洋画家・小磯良平(1903年~1988年)の作。
国体では開会式で県旗を掲揚する時に県民歌を演奏するのが慣例になっているが(大阪府・広島県・大分県は代替曲としてそれぞれの府県の体育歌を演奏)、上記のような経緯により『兵庫県民歌』は1956年・2006年のどちらの国体でも一切演奏されなかった。2006年の国体で代用曲として演奏されたのは県政広報番組『週刊ひょうご夢情報』の主題歌だったフォークソンググループ・紙ふうせんの『ふるさと兵庫』で、国体の閉会後もこの曲が県の行事で演奏されるようになっているが、県では同曲に対しても「県に関係する楽曲の1曲」と言う中途半端な地位しか与えておらず、県議会で行われた正式な県民歌としての制定提案も拒否している。
そもそも県議会で県民歌の話題が出るごとに繰り返される「存在しないなら新しく制定すべきだ」「いや必要無い」と言う議論自体がことごとく「1947年に県民歌が制定されていた」と言う事実認識を欠いた状態で行われているため、前提の段階から誤っていると言わざるを得ない。事実に基づいて議論するならば「1947年制定の県民歌を復活させる」「『ふるさと兵庫』を始めとする現代にふさわしい曲に代替わりさせる」「特に何もせず1947年に県民歌が制定されていた(今も廃止されていない)ことだけを認める」のどれを選ぶか、と言うことになるであろう。
その後、2015年1月1日付の神戸新聞や2016年9月3日付の朝日新聞(阪神版)で『兵庫県民歌』が取り上げられた。ニコニコ動画では2016年1月に公開された楽譜を基に打ち込まれたインストゥルメンタルが投稿されているが、今のところ他の動画サイトを含めて「歌ってみた」事例は確認されていない。
『兵庫県民歌』作詞者の野口猛(のぐち たけし)氏は、1906年4月22日に長崎県佐世保市で生まれた。大阪の尋常小学校を卒業後、独学で教員採用試験に合格し兵庫県内の小学校で教員を務める。
1947年の『兵庫県民歌』入選後、1954年には『川西市歌』でも入選。晩年は尼崎市内に新設された複数の小学校で校歌を作詞した。1972年5月3日逝去。
神戸市立本庄小学校の校歌は『兵庫県民歌』と同じ1947年の制定だが、何故か『兵庫県民歌』とほとんど同じ旋律が使われている(東京音楽学校から許可を得て県民歌の旋律を校歌に転用したと言われているが、何故か「作曲者不明」扱いとされている)。
『兵庫県民歌』と同じように政争の影響で存在が抹消同然の扱いとなっている県民歌としては、1971年に制定された『青森県賛歌』がある。『青森県賛歌』は『兵庫県民歌』と違って現在も県の例規集には掲載されているが、2012年に刊行された『全国都道府県の歌・市の歌』では一切触れられていない。
「憲法公布記念の兵庫県民歌があった」伊丹公論第31号(復刊12号)
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最終更新:2024/04/18(木) 21:00
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