内山高志とは、第39代WBA世界スーパーフェザー級王者である。通算成績27戦24勝2敗1引き分け20KO。
通称「KOダイナマイト」。その名の通り、日本歴代1位のKO率を誇るハードパンチャーである。
世界王座を11度防衛しており、これは日本歴代3位の記録である。[1][2]
2005年にデビュー。デビュー前は全日本選手権を3連覇するなど、将来を嘱望されるアマエリートだった。
しかし五輪代表になることかなわず、一旦はボクシングの道から外れることを決意。
周囲の説得もありプロに転向したため、プロデビューは25歳と非常に遅い。
この際、観光会社の営業マンとして働いていた経験もあり、世界王者になった後でもチケット販売では自ら営業に立つことがある。
デビュー前の有名な逸話として「パンチングマシーンを破壊した」というものがある。
社会人時代、格闘技をやっている友人らとともにゲーセンのパンチングマシーンで遊んでいたら、内山はなんと700kgを叩きだしてしまったのである。そして衝撃でパンチングマシーンは破壊された。
常人のパンチ力はせいぜい100kg程度である。その異常さ、お分かりになられただろうか。
一応言っておくが、これは本人いわく実話である。
歴代の世界王者のなかでも非常に謙虚な性格で知られる彼が実話と言うのだから、おそらく本当のことなのだろう。
このでたらめ過ぎるパンチ力こそ、内山が後に「KOダイナマイト」と呼ばれるに至る所以である
ちなみに拓殖大学入学当初は全く期待されておらず、補欠にも入れずに雑用係としてこき使われていたという。
そんな中県代表として出場した全日本選手権で部のエース格であった先輩をボコボコにし、周囲を見返したとか。
デビュー後は出世街道を突き進む。KOを量産し続け、8戦目で東洋太平洋Sフェザー級王者決定戦に勝利。
この際戦ったナデル・フセインは「こいつはハードパンチャーと聞いていたが、むしろテクニシャンじゃねーか」との言葉を残している。
そう、内山は日本人の他のハードパンチャーに見られるような、剛腕を振り回すタイプのボクサーではない。
左リードを丁寧に突き、相手との距離を制圧し、弱ったところで右の大砲をぶち当てるという、アマエリートによくいる良く言えばきれいな、悪く言えば塩分濃度が高いスタイルだ。
ただ一つ、凡百のアマエリートと違う点。それは「一撃が全て必殺の威力を持つ」という点である。
後述するように、左ジャブだけでもKOできるという常識外れのパンチがある。
だからこそ、KO率が高いうえに非常に高い安定感をも持つのである。
本人も自覚しているように打たれ弱いから慎重なスタイルになっているというのもあるが
2010年に14戦目でWBA王者、ファン・カルロス・サルガドに挑戦。
終始圧倒し判定でも勝利は間違いなかったが、敢えて最終ラウンド倒しに行き、ダウンを奪いTKO勝利した。
ちなみにこのサルガド、当時は「天才」ホルヘ・リナレス相手にラッキーパンチで勝って戴冠できた穴王者と見られていたが、その後IBF王者になるなど実は案外強い王者であった。IBF陥落後の成績が無残とか言ってはいけない
内山はそのサルガドの肋骨をへし折った上でKO。エグいの一語である。
そんな圧倒的な勝ち方で戴冠した内山であったが、世界王者になってからさらにその強さは凄みを増している。
というより、内山と戦った相手は大抵ただでは済んでいない。
以下、犠牲者の一覧である。
王座奪取 サルガド→肋骨骨折 ※この後IBFで世界奪取
V1戦 グラナドス→顎骨折
V2戦 ムクリス→強打6連打を受け頬骨折。ほとんど動けず担架退場
V3戦 三浦隆司→
ダウンを奪われ右手拳を脱臼…したと思ったら左リードだけでフルボッコ、顔面を変形させギブアップさせる
敗戦後の三浦は「このままやっていたら殺されていた」と語った ※この後WBCで世界奪取
V4戦 ソリス→左フック一撃で失神 ※暫定王者
(V5戦 ファレナス→3回負傷引き分け。相手のヘッドバッド戦法でまぶたに負傷させられたため)
V6戦 バスケス→50連打滅多打ち公開処刑 ※暫定王者
V7戦 パーラ→左レバーブロー1撃でリングに嘔吐、のた打ち回ってKO
(V8戦 金子大樹→内山をダウンさせるなど健闘し、大差ではあるが判定決着。年間最高試合にも選ばれた)
V9戦 ペレス→ジャブとボディブローでフラフラになり戦意喪失、棄権
敗れたペレスは「相手は強くなかった」と負け惜しみを言った模様
V10戦 ジョムトーン→1R右強打で眼窩底骨折、2R再び右で失神KO
V11戦 フローレス→左ボディブロー1発で悶絶、身動きが取れなくなってKO
V11までの世界戦12戦10KO、そのすべてが凄惨なKOであり、(金子を除き)マトモに負けさせてもらった相手が誰一人としていない。
もちろん、内山は淡々と作業をこなしただけである。その結果がこれだよ!
ちなみに、「強い相手とやっていない」との評価がかつてはあったが、ご覧のように後の世界王者やら暫定王者ばかりに勝っているのが分かるであろう。
特にV4戦のソリスは「あの」パッキャオやガンボアなど超一流にしか負けていなかった、隠れた強豪であった。
そのソリスに何もさせず、一撃で潰したのは高い評価を得る要因となっている。
(ちなみに、この試合でソリスは引退に追い込まれている)
他にも3度目の防衛戦で倒した三浦隆司は後にWBC王者となり、4度の王座防衛後は3度もメキシコやアメリカといった海外の本場のリングに上がった。特にメキシカンのボクサーに強く、5度目の防衛戦で激戦の末に敗れたバルガス戦、そして王座陥落後にWBC指名挑戦者決定戦で戦ったローマンとの激闘の2試合は年間最高試合候補に挙がるほどの好勝負となった。
さらに6度目の防衛戦で戦ったバスケスは当時も無敗の暫定王者であったが、内山に敗れた後も再度WBAのSフェザー級暫定王座を獲得し、防衛戦で無敗のホープだったホセ・フェリックス・ジュニアを下すなど順調にキャリアを重ね、そして現在もSフェザー・ライトの二階級を視野に入れた上位のランカーの1人として第一線で活躍中である。以後はWBAのSフェザー級正規王座決定戦(内山のスーパー王者認定により空位となったため)で対戦した当時無敗だった強豪のハビエル・フォルトゥナと世界王座挑戦経験豊富のレイムンド・ベルトランとの事実上のライト級次期王座挑戦者決定戦に敗れたものの、いずれも善戦の末に判定負け。また元世界ランク1位でかつてスター候補とも言われたフェリックス・ベルデホの再起2戦目の相手もこのバスケスだったが、判定で勝利こそしたものの、むしろ人気判定でなければ逆の結果もありえたほどの大苦戦をする羽目になっている。それらの強豪と遜色ない実力者のバスケスを圧倒した上でKOで降した内山が如何にすごいかがわかる。
10度目の防衛戦で戦ったジョムトーンはムエタイで怪物的な戦績を残し、またボクシング転向後も来日・日本人ボクサーとの経験も豊富で、内山に善戦した金子にも勝利し無敗の戦績を残していたことから、当時最強クラスの挑戦者といわれたが僅か2RでKOし、改めて当時のSフェザー階級最強を証明している。
しかし一方で5度目の防衛戦の相手となったファレナス戦では安牌と思われた挑戦者にもかかわらず、実際には相手の変則インファイトに苦しんだ末、薄氷の負傷引き分けによる防衛に終わった。日本では相手のダーティーなインファイト戦法を批判する声の方が主流だが、負傷ドローで救われたのはむしろ内山の方であるとの指摘もまた多い。それ以後は明らかに自身にとって苦手なタイプなボクサーを目に見えて避けるようになったとの見方もあり、絶対王者時代でもその点を指摘するものも主流ではなかったが存在していた。
また試合ペースも遅く、年齢から来る不安もあって実績に見合うビッグマッチや海外挑戦が実現出来ないのではないか?との不安な声も10度目の防衛戦前後からはよく聞かれるようになっていた。
とはいえ11度の防衛を誇り、当時のSフェザー級では名実ともに最強であり、日本人現役ボクサーでもP4P最強と言えるボクサーと言えた。世界的強豪、ユーキリオス・ガンボアやニコラス・ウォータースらをはじめ、トップレベルのさらなる強豪との試合が待たれていたが……
V12戦で自身の防衛において3度目となる暫定王者との対戦となったジェスレル・コラレスと2016/4/27に対戦したが、初回からコラレスのスピードについていくことが出来ず、そのスピード差からボディどころかジャブもほとんどヒットさせられず暗雲が漂う。そして2回には3度のダウンを奪われてそのままKO負けを喫し、キャリア初黒星を喫すると同時に6年3ヶ月守った王座から陥落した。
その後、打倒コラレスに向けて再度練習を重ね、同年の大晦日にコラレスと再戦し、5回にスリップ気味のダウンを奪い、10回に悶絶ボディを打ち込む見せ場こそ作ったが、絶対的なスピード差を埋めることは出来ず、終始押され気味のまま試合は展開し、1-2(112-115、110-117、114-113)で判定負けを喫した。
なおコラレスはその後に体重超過をやらかして王座を剥奪された上に、その試合でKO負けという失態を犯し、さらに挑戦者決定戦のサバイバルマッチにも敗れたことで、とうとうホープの噛ませ犬という扱いにされてしまった。内山の最初の犠牲者になったサルガドのように決して一気に衰えたわけではないのだが、勢いを失ったボクサーの見本のようになってしまったのは残念。
2017年7月29日、会見で引退を表明。増えたケガとの戦いや気力の衰え等もあり、引退を決意したとのこと。くしくもかつて自身が下した後に世界王者となった三浦の引退表明の翌日のことであった。
一時はP4Pに名を連ねながら、海外での試合やビッグマッチを実現できなった無念さは勿論あると会見では語ってはいたもの、アマ引退後はグローブをいったん置く決意をしながら、プロ入り後は階級屈指の世界王者とまでなった内山。無念さより充足感があったキャリアであったことも会見の内容からは感じられ、そのグローブの置き方は名王者というにふさわしいものであったといえるだろう。
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2023/04/01(土) 19:00
最終更新:2023/04/01(土) 19:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。