冬月(艦これ)単語

オフユサン

7.2千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

秋月型駆逐艦、八番艦、冬月。参る。
、随分と待たせたな提督、共に護ろう。
大切な……ものを。

冬月ふゆつき)とは、ブラウザゲーム艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する艦娘である。モデル大日本帝国海軍に所属していた秋月型駆逐艦8番艦『冬月』。

イラストレーターしずまよしのり[1]CV上坂すみれ[2]

もちろん…そうだ、還って…来る。(概要)

2022年2月22日深夜(23日未明)より開催された2022年イベント発令!「捷三号作戦警戒」】の後段作戦(3月6日実装)にて先行実装された駆逐艦娘。後段作戦最終域(E-5)(防空埋護冬姫を旗艦とする最終ボスマスを斃し切る)の突破報酬として実装された。長年「お冬さん」と呼び艦隊編入を希っていた涼月が史実で進した3月4日の翌日となる3月5日実装(の予定だったが艦これ運営常運転でオンラインメンテ遅延が発生し6日未明に)というのはある意味3年半待ち続けた涼月に対するご褒美といったところか。冬月実装により大和を旗艦とする天一号作戦第一遊撃部隊が全艦ったことになるとともに、当時の第四一駆逐隊ったことになる。二代41駆スタメンとしては初の実装艦。

担当絵師は、2022年頃から運営より「しずまよしのり氏と準備を進めている」と告知されていたこと、秋月型姉妹を手掛けていることからほぼ確定。担当声優については2月26日運営より「艦これスタート初期から駆逐艦を中心に多くの艦娘を担当するあの方」と告知があり、実装予告時点でのあるユーザーによるアンケートexit[3]では予想は拮抗するものの、提督イチオシは吹雪型姉妹あの方…という予想が見事的中していたようだ[4]
見た涼月に基本的にそっくりだが高射装置の位置が異なり、垂らしたの分け方が涼月の向かって左に対し冬月は向かって右になっている。ちょうどと同じ向きで分けているが、これは坊ノ岬沖海戦での配置で冬月が針路右舷、涼月が針路左舷に位置していたこと、また介錯したのが冬月だったことなどが理由として挙げられる。なお、現状秋月型姉妹で一番の長北九州の港で眠っていた時間が余りに長かったからなのだろうか。(イベント終了直後に実装された周年祝賀ボイスでは「北九州で眠ってた間に艦隊9周年か」などと…)

先行実装からほぼまる1年後の2023年イベの前段最終(E-3)・後段第1(E-4)で追加邂逅が期間限定ながら追加配備(邂逅)が可となった。特にE-4は駆逐艦冬月デビュー戦とも言える号輸送作戦モチーフとしており、特に後段E-4では当時の僚艦・旗・第4号海防艦等との邂逅も可アナウンスされている。

実装済みの艦娘で直接関わりのある相手は、長年「お冬さん」と呼び実装を待ち望んでいた「涼月」をはじめとして、就役直後の第十一戦隊で共に訓練や輸送作戦を共にした「長良」「」「清霜」「浦風」「朝雲」、護衛対となった「大淀[5]坊ノ岬組の面々。
うち、冬月が言及する相手は「涼月」(""、または"涼月"呼び)、「大淀」「矢矧」「雪風」。涼月は何かと冬月の元に現れカボチャアイテムを差し入れたり冬月の書類仕事を手伝ったり。過保護すぎじゃないですかね涼月さん…。また、雪風夕飯の差し入れにカレーを持ってくるが…冬月雪風の食べっぷりは想像通りというかはしたない模様。また、雪風に関しては下記史実でも触れているとおり「昔意見がぶつかったこともあった」と秘書艦ボイスの1つで特に言及している。ほうじ推しのようだが、中の人つながり浦波の推しでもある。

艦隊編入(未改造)時点では「第三十一戦隊」、になると「第二水雷戦隊」所属を名乗る。今までの艦娘装状態で自称する史実所属部隊時系列順になっていたのに対し、冬月の場合は「第十一戦隊」→「第十戦隊」→「第二水雷戦隊」→「第三十一戦隊」が史実での所属部隊のため、その順序が逆になっている。考えられる理由としては、通常、艦隊戦として育成すると「」へ装するのが常だが、天一号作戦参加時点での所属部隊を「」で名乗らせることで、最後の二戦の一員として艦隊で運用して欲しいという運営側の願いが込められているものと推測される。(なら、涼月時報だけでなくの編成ボイスも二戦41駆に替えたらいいのにね…。立ち絵はちゃんと第41駆逐隊なんだから…涼月の担当声優リアイベ常連のF提督なんだし…

また、今回のイベント実装された「」「玉波」は冬月に関わった士官に縁の艦でもある。初代冬月艦長の作間英邇中佐の前任は「玉波」艦長(その前職は「綾波」艦長)、後職は第43駆であり、「」座乗の43駆(戦時の2代)の吉田正大佐は2代41駆である。なお、終戦後に着任した5代冬月艦長は坊ノ岬沖海戦時に「涼月」艦長だった平山敏夫中佐であり、坊ノ岬沖海戦に参戦した時の冬月艦長(2代)は1943年7月5日戦においてキスで大破入渠となった後着任しレイテ沖海戦礼号作戦北号作戦遂まで「」艦長だった山名寛雄中佐である。また、特に言及する相手の「雪風」だが、坊ノ岬沖海戦時に大和後の対応で意見が対立したという史実のほか、冬月に将旗を掲げた初代41駆脇田2代目雪風艦長であるという縁もある。(41駆と同時に創設された43駆の雪風4代艦長の管間良吉大佐

期間限定ボイスも折りに触れ実装されているが、涼月期間限定ボイスで言及のあった大掃除の件は雪風のところに行くためのものと判明。節分涼月の同セリフのとおり役として冬月の上官・矢矧を相手に豆を投擲しているといった内容となっている。

第二水雷戦隊 第41駆逐隊冬月、出る!各艦遅れるな!(艦歴概略)

秋月型防空駆逐艦、その八番艦、冬月だ。姉妹艦と第四一駆逐隊を編成、大型艦や艦隊の護衛を務めたな。

駆逐艦冬月は、マル急計画一等駆逐艦361号艦として舞海軍[6]1943年(昭和18年)5月8日に起工され、同年10月1日に「冬月」と命名、秋月型駆逐艦に類別。1944年(昭和19年)1月20日に進、同時に横須賀鎮守府籍に編入。臨時の装員長として横田少佐[7]が着任したが、同年5月5日装員長は作間英邇中佐[8]に交代し、5月25日工。作間艦長のもと訓練部隊の第十一戦隊に編入した。11戦では同時期に工した清霜らと輸送任務に従事し、7月11日横須賀からに移動した。

7月15日第十戦隊隷下に第四一駆逐隊が「霜月」(秋月型7番艦。未実装)と冬月により編成され、隊脇田喜一郎大佐[9]冬月駆逐艦定したが、引き続き11揮下にて沖縄方面への輸送作戦(「ろ号作戦」。長良摩耶鹿島浦風清霜朝雲冬月)に警揮艦として従事。
小笠原諸島硫黄島への襲への対処として雲龍を基幹とする対処部隊が編成され41駆はこの部隊に組み込まれ、シンガポール方面に展開中だった霜月と合流。東京湾で訓練に従事し米軍への急襲作戦の準備をしていたが結局出動する事態は発生しなかった。横須賀で機増設工事を実施。9月下旬、雲龍を護衛しに移動。10月上旬、大淀修理と整備が横須賀了し、大淀の護衛のためから横須賀へ向かい大淀と合流後、小沢艦隊への合流のため10月12日大分に向かっていた。同日夕方、冬月は御前崎の遠州にて潜トレパン(USS SS-412)の撃を受け艦首から18番フレームが折れ曲がってしまう。脇田霜月に移乗し、冬月に入渠、修理を受けた。5日後の10月18日、61駆所属で後に僚艦となる涼月潜の撃により冬月同様に損傷し、で並んで修理を受けた。霜月や残る61駆は小沢艦隊に属してエンガノ戦、更に残った若(61駆最後の未実装艦)・霜月は多号作戦に参戦し戦したが、修理中の冬月涼月はこれらに参加できぬまま生き別れとなる。

最後の出撃は、第二水雷戦隊の一翼として、涼月と共に大和の護衛に就いた。

11月15日、第一機動艦隊(第三艦隊)及び第十戦隊は解散され、61駆も解散された。41駆は第二水雷戦隊に編入され、61駆一の残存艦涼月(当時冬月の隣で修理中)も41駆に加えられた。冬月修理11月18日了。11月20日第一水雷戦隊も解散され第二水雷戦隊に統合、一水戦木村昌福少将以下一水戦部が新たな二部となる。11月23日、マニラへの「緊急輸送作戦」に従事する隼鷹を護衛して41駆(冬月涼月)はマニラに進出した。その最中の11月25日潜による撃で損傷した五十鈴から第31戦隊旗艦を引き継いでいた霜月が戦し、冬月修理のため霜月に移乗した脇田以下41駆部も霜月と共に戦死した。41駆、即ち稼働可秋月型駆逐艦冬月涼月の2隻のみとなった。

隼鷹隊は11月30日事マニラに到着。軍需品を陸揚し、12月3日に到着。ここで日本に戻る榛名・槇(,未実装[10])と合流。12月6日榛名艦長の揮下で佐世保へ向かう。荒により体にシワが発生し、にて修理を受ける。また、機の増設や電探の交換も行われ、電探は22号1基・13号2基となった。この時期、作間艦長がに酔ったまま操艦し座礁する一幕もあったという。
1945年1月3日第二水雷戦隊官は古啓蔵少将(前職第一航空艦隊官)に交代。二部(に座乗)は2月北号作戦に参加、南西方面から日向伊勢大淀を連れに帰投し将旗を矢矧に移した。3月1日、作間艦長が43駆に転出。後任の艦長として北号作戦にて二部を連れ帰ったの山名寛雄中佐が着任し、前年11月に戦死した脇田の後任として前43駆(開戦時風雲装員長)吉田正大佐が着任し、吉田冬月に将旗を掲げた。

4月菊水作戦が発動され、冬月第一航空戦隊戦艦大和を護衛する第二水雷戦隊(旗艦矢矧以下17駆、21駆、41駆)の一員として坊ノ岬沖海戦に参戦した。で数々の修羅場をくぐり抜けてきた山名艦長の操艦は朝潮型駆逐艦よりも大秋月型駆逐艦でも遺憾なく発揮された。が、慣れない大駆逐艦でほぼぶっつけ本番であったためか傷とはいかず、甲上の機員や艦要員の一部に死傷者が出た。また、所にもロケット弾を受け、対統制射撃もできなくなった。が、艦吉田・山名艦長は間一事だった。
4月7日14時23分、大和は戦し、二戦旗艦矢矧もその10分前に沈没していた。残存艦艇士官のうち最先任の吉田座上の冬月は第一遊撃部隊被害状況を日吉壕の部に報告[11]、残存艦に生存者救助を命した。雪風の寺内艦長は生存者は見捨ててでも当初の打ち合わせ通り残存艦艇で沖縄に進軍すべき[12]と進言したが、冬月吉田生存者救助を再度命じた。17時ごろ、矢矧から漂流中の古少将(二官)は初霜に救助され、艦隊揮権は冬月吉田から初霜の古少将に移った。古少将も当初沖縄への進軍を諦めていなかった[13]が、直後部から作戦中止と生存者救助の命を受けた。一方で冬月は搭載艇を降ろして森下信衛第二艦隊参謀長以下大和生存者を救助後、機関に被弾し航行不能となったに横付けし、生存者を冬月に移乗させた後、16時57分撃によりを処分した。山名艦長にとっては、キスカでの損傷を受けて舞での修理北号作戦遂まで約2年の間苦楽を共にした前任艦を自らの手で介錯したことになる。
救助活動を終えた冬月は、初霜(二部)からの涼月護衛示を受け佐世保に向かったが、体前部に被弾し後進での必至の撤退を続ける涼月に出会うことができなかった。冬月通信室では涼月の安否を問う通信が何度となく発信されていたが、通信室にも被害を受けていた涼月に返信はおろか受信するは失われていた。初霜座乗の二部からは「場合によっては涼月を処分しても差し支えない」との示だったが、冬月側は僚艦の事を信じ、関係部署へ涼月掩護を要請しつつ初霜雪風と佐世保に帰投した。
4月20日第二水雷戦隊は解散し、41駆は17駆とともに第31戦隊に編入された。41駆は関門海峡対馬峡の任務に従事した。41駆は新造の・宵を加えるが、米軍により機を投下され、冬月は門で身動きが取れない状態で終戦を迎えた。8月20日への回航を命じられた冬月だったが、門港で接し、後部兵員室から後部を失い航行不能となった。9月20日付で第四予備艦、11月20日に除籍された。

そして今も、僚艦涼月と北九州の防波堤の一部として皆を護っている。

1946年(昭和21年)2月25日、特別輸送艦定されたが、復員輸送には従事せず、工作設備を搭載して工作艦となり、門港にて掃海部隊に対する修理を担当した。1947年(昭和22年)頃、旧佐世保海軍に回航され上部構造物の一部解体を受ける。門若松港の沈降防波として僚艦の涼月駆逐艦とともに今もなお若松港に眠っている。

冬月の艦名は「ふゆづき」[14]として海上自衛隊2代目あきづき型護衛艦4番艦DD-118[15]に引き継がれた。三井玉野事業所で建造された一のあきづき型護衛艦である「ふゆづき」は初代冬月の故郷である舞港として[16]第3護衛隊群第3護衛隊に所属。現在の3護隊僚艦はDDH-181ひゅうがDDG-175みょうこう、DDG-177あたごである。
なお、第3護衛隊群は第3護衛隊(舞)と第7護衛隊(大)の2護衛隊で編成されているが、ふゆづき(冬月)の実装で第3護衛隊群全艦の祖先に当たる艦娘が出ったことになる。(7護隊は昨イベントでまきなみ(巻波)とすずなみ(波)が実装されたことで祖先となる艦娘っていた。なお、他の護衛隊群は海上自衛隊オリジナル艦名の護衛艦が含まれていたり、艦娘世代より前の軍艦の名を継いた護衛艦がいたりする関係で全艦を艦娘で‥という芸当は不可能である。[17])

関連動画

関連静画

冬月涼月(二等駆逐艦)が今も眠る若松港と若松港を見下ろす丘に建つ慰霊碑

関連商品

冬月」勤務経験者(を含む)の手記等

関連立体

関連コミュニティ

関連項目


秋月型姉妹 / 秋月型駆逐艦
1.秋月 - 2.照月 - 3.涼月 - 4.初月 - 5.新 - 6.若
7.霜月 - 8.冬月 - 9. -10.宵 -11. -(--.満月) -12.

脚注

  1. *今回のイベント実装艦の玉としてしずまよしのり氏と準備中との事前告知としずま氏本人からの担当しましたツイートexitあり。
  2. *C2機関1MYBツアー大阪ライブ2022の2日3月10日開催)にて発表
  3. *2月28日3月5日未明時点で141票。上坂すみれさんが34%藤田咲さんが31.9%日高里菜さんが20.6%宮川若菜さんが13.5%。ちなみに、戦闘開始ボイスの最後「撃ち方よーい!」が浦波っぽい。
  4. *余談ながら、ほうじ推し繋がりか浦波にもイベント終了後浦波改二実装され、その僚艦・磯波にも5月13日改二実装された。
  5. *大淀の護衛中に大破入渠することになるのだが…
  6. *当初の計画では三菱長崎所にて建造される予定だったが、変更と定により舞での建造に変更された。
  7. *冬月臨時装員長の後職として駆逐艦浦風駆逐艦長となる。レイテ沖海戦後の退却時(1944年11月)に護衛対戦艦金剛」共々潜水艦シーライオンらに撃沈され、運命を共にする。
  8. *した「綾波」艦長や夕雲型「玉波」(32駆。今回のイベント実装)艦長等を歴任。
  9. *雪風第2代艦長、第二一駆逐隊等を歴任。
  10. *佐世保潜水艦に襲われ「かばう」を発動したが生き残る
  11. *報告文に「救助ノ後再起ヲ図ラントス」と吉田は書き加えさせた。元より吉田は本作戦に反対の立場であり、暗に部に対し作戦中止の判断をめたものである。
  12. *ここまで強硬に沖縄進軍をしたのも、不本意ながらも陸海軍兵曹はおろか(17駆谷風艦長経験者も沖縄根拠地隊部で戦死している)沖縄県民も総掛かりで米軍と死闘を繰り広げていた状況下、自艦で救助しても沖縄で死ぬなら他の救助艦により助けられたほうが生存者も生き残れるとの壮絶な判断があった。
  13. *救助の後作戦続行する旨の報告電文の作成を初霜酒匂艦長に示していた。
  14. *秋月型駆逐艦冬月」は”ふゆつき”(清音)、あきづき型護衛艦ふゆづき」は濁音、と微妙に違う
  15. *DD-118の先代はみねぐも護衛艦むらくも」。叢雲と言えば中の人が同じ吹雪型駆逐艦である。
  16. *ふゆづき」初代艦長北御門裕二佐(当時)はふゆづき就役時、「「ふゆづき」が故郷(舞)に帰ってきた。その名に恥じぬよう任務に励む。」とコメントしている。
  17. *第1護衛隊群第1護衛隊「いずも」、第4護衛隊群第8護衛隊「きりさめ」が該当
この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

急上昇ワード改

最終更新:2024/03/28(木) 23:00

ほめられた記事

最終更新:2024/03/28(木) 23:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP