前田大然 単語

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前田大然(まえだ だいぜん、1997年10月20日 - )とは、大阪府南河内太子町出身のサッカー選手である。
スコットランド、スコティッシュ・プレミアシップセルティックFC所属。サッカー日本代表

173cm67kg。ポジションはFW。利き足は右足。

経歴

プロ入り前

医師父親が働く動物病院を支える母親を持ち、5人兄弟の2番として生まれ育つ。兄弟が1人、が1人、が2人という構成となっている。名前貌から実家はお寺だと勘違いされがちだが、実家堺市動物病院を経営している。

自由にやりたいことをやらせてもらえる方針だったこともあり、幼少の頃はオリンピックを見て憧れた器械体操をやっていた。しかし、身体が固く柔軟が全然できず挫折していた。そんな折、小学校4年生のときに友達に誘われて太子町JSCへ入団しサッカーを始める。元々好きな競技だったこともありのめり込むようになり、小学5年の頃になると持ち前の俊足が買われてトレセンにも選ばれる。

中学はより高いレベルでのプレーめて強クラブ川上FCプレーする。やんちゃだったこともあり、悪さをして数かサッカーから離れた時期もあったが、県大会出場などを経験。

高校は、2010年1月の全高校選手権で優勝した山梨学院大学附属高校に憧れ、大阪を離れて越境で同校へ入学100人をえる部員が所属する大所帯のチームで最初のうちは試合に出るか出られないかのレベルだった。それでも持ち前のスピード武器に頭を現すようになるが、2年生のときにまたも悪さをし、チーム約束事に違反するなど規を乱したことで1年ほど部活動を禁止となる。その後反省期間を経て部に復帰すると、吉永一明監督から「絶対プロになれるから」と励まされたこともあって奮起し、全大会出場は一度もわなかったものの3年生の頃にはプリンスリーグで12得点を挙げて得点王になる。これがきっかけでJリーグクラブ練習に呼ばれるようになる。

松本山雅

高校卒業後は大学進学も視野に入れていたが、練習に参加したときの実が認められ、2016年J2リーグ松本山雅FCへ入団。2月28日J2開幕戦であるロアッソ熊本戦で途中出場しプロデビューを果たす。8月28日天皇杯1回戦徳山大学戦でプロゴール記録。しかし、プロ1年はなかなか出場機会を得られず、リーグ戦では9試合0得点という結果に終わる。

水戸ホーリーホック

2017年1月6日、出場機会をめて同じJ2リーグ水戸ホーリーホックへ期限付き移籍する。3月14日の第2節ツエーゲン金沢戦に途中出場し、Jリーグゴール記録。その後スタメンに定着するようになると、規格外といえる50m5.8スピード話題となり「水戸」と呼ばれ、人気選手となる。この頃、得点も開するようになり、との2トップは2人って二桁得点記録チームは最後に失速したものの一時は上位を狙える位置まで躍進し、最終的に36試合13得点という成績を残す。

松本山雅復帰

ブレイクを果たした水戸での武者修行を経て、2018年松本山雅へ復帰。背番号は7に変更となる。開幕当初は控えという立場だったが、5月3日の第12節古巣の水戸戦でシーズンゴールを決める。以降は自慢の"反則的なスピード"で相手を掻き回し、反町康治監督コンセプトとする「全員攻撃・全員守備」を体現する。この頃、東京五輪代表での活動のためにチームを離れることがあり、その五輪代表での試合での負傷もあって2かほどチームを離れることに。それでも復帰戦となった10月14日の第34節金沢戦で決勝ゴールを決めると、大事なシーズン終盤戦を戦い抜き、松本J2優勝と4年ぶりのJ1昇格に貢献する。

2019年は初めてJ1リーグ舞台プレーすることになる。日本スピードスターJ1初参戦として期待される中で開幕からなかなかゴールを決められずにいたが、4月20日J1第12節サガン鳥栖戦でJ1での初ゴールを決める。開幕から14試合連続でスタメンに名を連ねた後、コパ・アメリカ出場のため離脱。7月に念願だった海外移籍が決まり、ラストマッチとなった7月20日サンフレッチェ広島戦でゴールを決めている。

マルティモ

2019年7月21日ポルトガルプリメイラ・リーガCSマルティモへの期限付き移籍が発表される。背番号は13。開幕戦となった8月11日のスポルディング・リスボン戦で途中出場しデビューを果たすと、第3節のトンデラ戦で移籍後初ゴールを決める。そのままに定着すると、公式戦12試合で3ゴールを決めるなど順調なスタートを切っていた。11月監督が交代してもとしてプレーしていたが、新型コロナウィルスによる中断期間を経た6月22日ポルティモネンセ戦で突如メンバー外となる。理由は、6月30日までとなったレンタル期間の延長に前田側が消極的だったためとされ、本人はコロナ渦でのポルトガルでの生活に不安を感じたからだとっている。6月30日付けで契約期間が満了となり、シーズン終了を待たずにマルティモを退団する。

横浜F・マリノス

2020年8月3日J1リーグ横浜F・マリノスへの期限付き移籍が発表される。背番号は38。将来的な海外への再挑戦を見据えた内復帰となったが、8月19日の第11節清水エスパルス戦で移籍後初ゴールを決める。に左WGでの起用が中心となり、リーグ戦23試合で3得点記録シーズン終了後、松本を正式に退団し、全移籍に移行することが発表される。

2021年シーズンは開幕から好調ぶりを見せ、3月7日J1第2節広島戦では2ゴールの活躍によりチームを開幕連敗の危機から救うと、ここから第5節徳島ヴォルティス戦まで4試合連続ゴールを決める。また、第8節のセレッソ大阪戦では計測開始史上最多となる62回のスプリントを記録。また、左サイドでのプレー染むようになり、ゴール前に飛び出せる回数が増えたことで得点が飛躍的に向上。7月3日柏レイソル戦で先制ゴールを決め、J1では自身初となるシーズン二桁得点に到達。8月15日の第24節大分トリニータ戦では、自身プロになって初めてとなるハットトリックを達成。攻撃的なサッカーを掲げるチームにおいて前田のスプリントは必要不可欠なものとなり、シーズンが後半に入っても勢いは衰えず、レアンドロ・ダミアンしい得点王争いを繰り広げる。J1最終節の川崎フロンターレ戦は同点で得点王を争う両者の直接対決となり、レアンドロ・ダミアンが先制ゴールを決めた中、後半29分に同点ゴールを決める。結果、シーズン23ゴールで両者は並び、得点王を分け合うことになり、史上2番若さJリーグ得点王を獲得する。また、この年のJリーグベストイレブンにも選出。Jリーグアウォーズには姿で登壇する。

セルティック

2021年12月31日横浜FM導を受けたアンジェ・ポステコグルー監督の誘いもあり、スコットランドコティッシュ・プレミアシップセルティックFCへの期限付き移籍が発表される。背番号は38。ちなみに、旗手怜央井手口陽介と同時加入となり、古橋亨梧と合わせて日本人4人が在籍することになる。
2022年1月19日、第21節のハイバーニアン戦でスタメンデビューを果たすと、速開始5分で初ゴール記録。勝手知ったるポステコグルー監督であることも追いとなり、横浜FM時代と同じ左WGの位置でチームフィットする。また、自慢のスピードは現地のメディアサポーターの間でも話題となる。5月7日のミドロシアン戦では古との初のアベックゴールが実現。最終的には6ゴール5アシストという成績を残し、セルティックの2シーズンぶりのリーグ優勝に貢献する。シーズン終了後の5月23日全移籍することが発表される。

2022-23シーズンは右ウイング戦場に開幕4試合で3アシスト記録しており、2022年8月21日の第4節ハーツ戦では古ゴールアシストしている。9月1日レアル・マドリード戦では途中出場からUEFAチャンピオンズリーグデビューを果たす。一方でなかなかゴールが決まらず、CL期敗退もあって批判が飛び交うようになるが、10月15日の第11節ハイバーニアン戦で待望のリーグシーズンゴールを決める。ワールドカップ後は、2023年1月2日の宿敵レンジャーズFCとの伝統の一戦で先制ゴールを決めるなど、爆発的なスピードと献身的な動きで評価を高めるようになる。また、やたらゴールを決め話題になる。3月9日ハーツ戦でゴールを決め公式戦二桁得点に到達。その後もポステゴグル監督の信頼を得て攻守に渡ってチームに貢献。セルティック三冠の立役者の一人となる。

2023-24シーズンプレシーズン日本ツアーでは、古巣横浜F・マリノスを相手にハットトリック記録。開幕後も左ウイング定位置を掴み、2023年9月23日第6節リヴィングストン戦では快な左足でのシーズンゴール記録。しかし、11月7日CLグループステージ第4節アトレティコ・マドリード戦では危険な足裏タックルによって前半23分に一発退場となり、チームは0-6の大敗。さらにこのプレーによって膝を負傷し、6週間の離脱となる。2024年1月2日の第22節セント・ミレン戦では試合開始々に先制ゴールを決める。セルティックでの通算100試合の出場となった3月10日のスコティッシュ・カップ準々決勝リヴィングストン戦では移籍後初となるハットトリックの大活躍を見せ、自らのメモリアルマッチを添える。4月7日リーグ第32節宿敵レンジャーズFCとのオールド・ファーム・ダービーでは開始々にチームの先制ゴールを決める。しかしこの試合でハムストリングを負傷し、シーズン中での復帰が絶望的と伝えられる。

日本代表

2018年3月東京オリンピックU-21日本代表メンバーに選出される。8月ベトナムで開催された第18回アジア競技大会のメンバーにも選ばれ、パキスタン戦で初ゴールを決める。しかし、準決勝のUAE戦で右前脛腓靭帯および右前距腓靭帯損傷の怪を負う。2019年3月ミャンマーで開催されたAFC U-23アジア選手権2020予選では、マカオ戦で2ゴールミャンマー戦ではハットトリックを決める。

2019年5月24日ブラジルで開催されたコパ・アメリカ2019に出場する東京オリンピック世代を中心に構成された日本代表に選出される。6月18日グループリーグ初戦チリ戦にスタメンで起用され、フル代表デビューを果たす。だが、南米猛者を相手にを残すことができず、2試合0得点という結果に終わり、チームグループリーグ敗退に終わる。

2021年7月には、東京オリンピックに出場するU-24日本代表メンバーに選出される。グループリーグ第3戦のU-24フランス戦でゴールを決める。準決勝のU-24スペイン戦では0-0で迎えた延長戦から起用されるが不発に終わる。大会では大地上田綺世に次ぐFWの3番手という立ち位置で出場はいずれも途中出場からで6試合中3試合の出場となったが、FWの中ではゴールを決めている。

その後、J1リーグ得点王になったこともありフル代表への待望論が大きくなるが、メンバーに選ばれても出場機会は与えられずにいた。2022年2月1日2022 FIFAワールドカップ アジア最終予選のサウジアラビア戦で途中出場し、2年ぶりにフル代表の試合に出場する。6月10日ガーナ戦で代表初ゴール記録9月23日アメリカ戦では1トップでスタメンに抜されると、スピードを活かした猛なプレッシングで貢献し、評価を高める。

2022年11月カタールで開催された2022 FIFAワールドカップに出場。1トップのスタメンとして3試合に出場し、自慢のスピードを生かした前線からの積極的な守備でドイツ戦とスペイン戦の歴史的なに貢献。特に、スペイン戦では後半17分に交代するまで両チームで最多の62回のスプリントを記録している。またラウンド16のクロアチア戦では、スペイン戦を上回るスプリント回数を記録しつつ、前半43分にはCKの流れから吉田麻也折り返しに反応し、先制ゴールを決めている。チームPK戦の末に敗れたが、スプリントを生かした前線の守備が海外メディアから高く評価された。

2024年1月カタールで開催されたAFCアジアカップ2023では、グループリーグ第2戦と第3戦に途中出場。準々決勝のイラク戦では周囲の予想に反して左ウイングとしてスタメンに抜。持ち前のスプリントで前線の守備で貢献するなどあらためて評価されるが、自身が交代した後にチームは逆転ゴールを許してしまい、ベスト8で敗退となる。

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
2016 松本山雅 J2リーグ 9 0
2017 水戸ホーリーホック(loan) J2リーグ 36 13
2018 松本山雅 J2リーグ 29 7
2019 松本山雅 J1リーグ 18 2
2019-20 マルティモ(loan) プリメイラ・リーガ 18 2
2020 横浜F・マリノス(loan) J1リーグ 23 3
2021 横浜F・マリノス J1リーグ 36 23
2021-22 セルティック(loan) S・プレミアシップ 16 6
2022-23 セルティック S・プレミアシップ 35 8
2023-24 セルティック S・プレミアシップ

個人タイトル

プレースタイル

最大の武器であり、特徴は何と言っても手動計測ながら50mを5.8記録したこともある規格外のスピードスピードだけならキリアン・エムバペガレス・ベイルに匹敵する世界レベルの持ちと言われている。これらのデータが示す通り、ストロンポイントであるスピードで勝負するタイプであり、スペーストップスピードで飛び込んでいく。前線であればどこでもこなせるが、得点王を獲得した2021年横浜FMでは左WGが戦場となり、チャンスとなるとPA内に入り込んでゴールの近い位置でストライカーの役割を果たす形がベストポジションとなりつつある。フィジカルも強く、相手に引っられてもスプリントでそのまま振り切ることができる。

運動量も豊富であり、スプリンも規格外である。J1リーグの選手試合別スプリント回数ランキングでは上位20名のうち、のべ16回ランクインし、2021年8月15日J1第24節大分トリニータ戦では計測開始史上最多である64回のスプリントを記録。また彼のスピード前線の守備でも生かされており、あのスピードで献身的に迫ってくるのだからDFとしては脅威でしかない。本人も「守備から自分のペースを作るタイプ」とっており、守備ができなくなったら自分は引退するしかないと述べている。

かつては自分のスプリンに頼り切った部分があり、オフ・ザ・ボールの際の質が低かった。だが、ポルトガルに移籍して以降はDFの死から走る動きを覚えるようになり、課題だった得点の向上にも繋がった。一方で足元のレベルは高いと言えず、スペースい状態でボールを貰っても何もできずにあっさりボールを失うことがある。

エピソード・人物

5人兄弟全員自然にちなんだ名前となっており、大然という名前は「大自然」からきている。

2018年7月10日に20歳の若さ結婚。翌年に長女が誕生。2021年9月には第二子となる長男が生まれている。長男誕生の直前に開催された東京オリンピックゴールを決めた際には生まれてくる子供のためにボールユニフォームのおに入れるパフォーマンスを披露している。

スキンヘッドトレードマークという強面の貌だが、子煩悩であり、横浜FM時代からはアンパンマンが大好きという理由でアンパンマンキャラクターを模したゴールパフォーマンスを披露している。

高校2年生のときに規違反で1年間部活動禁止処分となるなど、吉永一明監督大阪実家に出向いて「このままでは置いておけません。転校も含めて考えていただきたい」と両に告げるほどの不良だった。だが、謹慎期間中にサッカーから離れて「もっと周りのことを考えるようになり、みんながいるから自分がいる」ことを学び、人間として成長。後にアルビレックス新潟監督に就任した吉永監督は「規違反は美談にならないが、あの時間があったから日の丸を背負う選手になれたと思う」と当時を振り返っている。

横浜FMに移籍したばかりの2020年投稿された公式YouTubeチームメイトのチアゴマルチンスに年齢を聞かれ「22歳」と答えると、貫のある雰囲気に違和感を覚えたのか、チアゴマルチンスに「ウソをつくな!」、エリキに「ブラジル人をだますな!」と言われてしまう。

2024年に入ってからが伸び始め、その後、金髪イメチェン。それまでトレードマークだったスキンヘッドを辞めた理由についてに「坊主が嫌」と言われたことだった。ちなみにさんがリクエストしたヘアスタイル南野拓実だった。

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