基礎データ | |
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正式名称 | 北スーダン王国 英:Kingdom of North Sudan |
国歌 | 不明 |
公用語 | 英語 |
首都 | 不明 英: |
面積 | 2000km2 |
人口 | 0人(世界第?位) |
独立 | 2014年6月16日 |
通貨 | 不明 |
北スーダン王国とは、エジプトとスーダンの間の主権空白地に作られた国家である(上記画像の「B」の地域)。
北スーダン王国を設立したのはアメリカのバージニア州アビンドンに住むエレミア・ヒートン(Jeremiah Heaton)。彼は当時6歳の娘エミリー(Emily)の「いつか本物の王女様になれるかな」と問いかけに「なれるよ」と答えてしまい,「子どもたちとの約束を守るため最善を尽くす」ことが信条の彼を王国設立に刈り立たせた。
そして北スーダン王国は娘の7歳の誕生日である2014年6月16日に現地で「子どもたちがデザインした」旗を砂漠の中に立て,勝手に設立された。
当然どの国からも認められていないし,ヒートンさん自身も,本当に自分たちの王国が世界から認められるとは思ってないが,アフリカで自分の国に対する認知活動を行っていく計画のようである。
トップ絵のAが「ハラーイブ・トライアングル地域」、Bが「ビル・タウィール地域」である。もともとは直線国境だった英領エジプトと英埃領スーダンを英国が植民地統治中に部族の北限とかのために国境線を曲げてしまったのが原因(またイギリスのせいか)。
脱イギリス植民地化の後、両国ともにやっぱり海に面していて大きい方の領土が欲しいので、エジプトはイギリス変更前の「直線国境」を支持、スーダンは変更後の「曲がった国境」を支持した。それらの国境線が合わさった結果、AとBの地域が出来上がってしまった。
エジプトとスーダンともにA地域を希望していてB地域には見向きもしなかったため、結果としてBが無主地になっていた。そこを先占して建国を主張したのが北スーダン王国ということである。
この地域に関する細かい内容と歴史についてはこちらの記事を参照。 → ビル・タウィール
なし
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掲示板
26 ななしのよっしん
2023/08/14(月) 23:25:25 ID: 8+DlEC4LZE
失敗国家となる最大の要因になり得る「国民という名の負債」が存在しないから可能な道楽だな。
そもそも建国なんてもの真面目に考えたら割に合わないこと夥しいし。
国境線で分断しないと血を見るのが止まらない民族問題くらいしか国家新設の動機にならない。
資源だって採掘権さえ確保できるなら傀儡国家なんて爆弾はどこも抱えたくないだろうし。
27 ななしのよっしん
2023/08/15(火) 00:01:57 ID: 6eOWu7nQmP
こんなのあるんだ……
28 ななしのよっしん
2023/08/15(火) 03:51:01 ID: 4oVt5R3JxP
>>23
なるほど
ありがとうございます
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最終更新:2024/04/24(水) 20:00
最終更新:2024/04/24(水) 20:00
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