北嶋秀朗(きたじま ひであき、1978年5月23日 - )とは、千葉県習志野市出身の元プロサッカー選手である。
元サッカー日本代表。現在はJFLのCriacao Shinjuku監督。
市立船橋高校時代に、第73回、第75回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝。第75回大会では中村俊輔擁する桐光学園高等学校を決勝で下し優勝。同大会では6得点を奪い得点王・優秀選手となった。
選手権大会通算16得点を挙げたが、これは当時の通算最多得点数であった。中村直志、吉川京輔、佐藤陽彦は高校の同級生。
1997年に柏レイソルに入団。プロ3年目の1999年からは柏のエースとして活躍し、2000年には得点ランキング2位となるシーズン18ゴールを決めている。しかし、その後は怪我などもあって調子を落とすと、チーム方針への不満などから2003年に清水エスパルスへ移籍。2006年、J2に降格直後の古巣柏に電撃復帰。チームの精神的支柱としてJ1昇格に貢献し、副キャプテンとしてチームを牽引した。2011年シーズンは、4月29日にヴァンフォーレ甲府戦での決勝ゴールでJ1通算50得点を達成、12月3日浦和レッドダイヤモンズ戦では3-1で勝ってJ1優勝及びAFCチャンピオンズリーグ進出に大きく貢献した。
日本代表には、フィリップ・トルシエ監督時代の2000年に選出され、AFCアジアカップ2000のメンバーに名を連ねている。大会初戦のウズベキスタン戦で代表デビューを飾り、この試合で初ゴールも決めている。アジアカップでは3試合に出場したが、その後は怪我もあって代表に定着できず、この大会を最後にフェードアウト。シドニーオリンピックのメンバーからも落選している。
2012年シーズンオフにロアッソ熊本より獲得のオファーを受けるも一旦は残留を表明したが、シーズン途中の5月25日に、ロアッソ熊本へ期限付き移籍をすることが発表された。期間は6月1日より翌年1月末までであるが、選手登録期間の関係上、公式戦では7月20日以降に開催される分より出場可能となった。背番号はサンキューという英語でありがたいという意味もあって39を付けた。途中加入であること及び怪我によりリーグ戦では8試合出場に留まったが、3得点を挙げた。
2013年よりロアッソ熊本へ完全移籍となった。同年10月17日、同シーズン限りで現役を引退することが発表された。
2014年からはロアッソ熊本のトップチームアシスタントコーチ兼アカデミースタッフに就任。
2016年シーズンからはアルビレックス新潟のトップチームコーチに就任するが、9月に吉田達磨監督が解任したのと同時に退任する。
2017年に熊本のコーチに復帰。翌年にはヘッドコーチに昇格。
2018年8月から地元千葉県習志野市に、自身で監修したKITAJI SOCCER SCHOOLを開校し、柏レイソル時代の同僚、大野敏隆をコーチに迎える。
2020年より大宮アルディージャのコーチに就任し、2021年6月から2022年までヘッドコーチを務める。
2023年にJFLのCriacao Shinjukuのヘッドコーチに就任。2024年には監督に就任し、自身初の監督業となる。
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最終更新:2025/03/23(日) 04:00
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