「北条氏康」(ほうじょう・うじやす 1515 ~ 1571)とは、
と言われる関東八州にその名を轟かした後北条氏の力と技のV3三代目。通称は「相模の獅子」。
三世の氏康君は文武を兼ね備えた名将で、一代のうち、数度の合戦に負けたことがない。そのうえに仁徳があって、よく家法を発揚したので、氏康君の代になって関東八ヶ国の兵乱を平定し、大いに北条の家名を高めた。その優れた功績は古今の名将というにふさわしい(~北条記~)
これだけチートっぷりをアピールしてもまだ足りない程に優れた戦国大名ながら、「家臣が地味」「功績が関東限定」「ゲームバランス的に簡単すぎ」「政治面の結果は徳川に横取りされた」といった点から武田・上杉と比べると知名度に劣る隠れた真の戦国無双!
後北条氏を名のった北条氏綱の嫡男に生まれる。祖父は下克上の代名詞の一人である北条早雲。
1541年、父の死により家督を継ぐと、小田原城を拠点に関東管領の山内上杉家の上杉憲政らと争って関東に覇を唱えんとした。
1545年に、上杉憲政が近隣の豪族らと結託して集めた8万の軍勢で北条氏の河越城を包囲した。この時河越城主を務めていたのが北条家のキレンジャーこと地黄八幡・北条綱成で、北条氏康とは同い年というとこともあってまさに「魂の兄弟(ソウルブラザー)」状態だった為か、敵8万に対して北条氏康は8千の精鋭を率いて現代に河越夜戦として伝わる夜襲を仕掛け、10倍の敵を散々に撃退し、武名を高めた。
その後、勢力を関東一円に広げて、小田原城を難攻不落の要塞化する等、関東にその名を轟かせた。関東管領となった上杉謙信や、甲斐の武田信玄とも幾度も戦い、北条氏康本人が出陣した戦いは不敗と言う高成績を誇っている。
その後、八犬伝でおなじみ里見氏らと争いながらも関東八州の覇者となり、1571年に死去した。享年57歳。
善政を敷いた事から多くの領民が北条氏康の死を悲しんだと言われている・・・
そして・・・北条氏康の死から・・・後北条氏の終わりが始まるのだった・・・
※その他「北条氏康」の詳細についてはWikipeidiaの該当記事参照の事。
「信長の野望」シリーズでの一番の評価対象となっている「政治力」に定評があり、その領国経営方法は、後の徳川幕府もインスパイアしている程である。
以下に北条氏康の政治的功績を列記する。
領国経営の順調さを証明するエピソードの一つに100年もの間同族内での内紛が発生しなかったことがあげられる。
武田信玄は父を追放しており、上杉謙信や今川義元は兄弟と争って当主となっており、有力戦国大名にとって一族内での内紛はお約束の事柄であったりした時代に、北条氏康の七人の男子は家督争いをすることもなく、豊臣秀吉の小田原征伐でも兄弟が力をあわせて対抗している。
※これほど仲の良い血族は戦国時代でも稀で、島津忠良・貴久以降の島津家ぐらいである。
そのほか、外交面でも祖父の代から縁があって幾度も争った今川義元や、武田信玄と三国同盟を交わす等、後世に評価される功績にあふれている。でも地味な功績な為かめだたたない・・・
北条氏康は、民政家であると共に戦場においては猛将であり所謂「武闘派」の武将だった。
生涯三十六度の合戦では一度も敵に背を見せたことがなく、うけた傷はすべて身体の前面につく「向こう傷」だったといわれており、「氏康の向疵」と呼ばれている。
実際、有名な「河越夜戦」では10倍の敵を破っており、猛将と言えるだけの功績を残している文武両道の戦国大名である。なお、河越野戦の際の氏康の言葉として、『名将言行録』に次の言葉がある。
我聞く戦の道は衆といえども必ず勝たず、寡といえども必ず敗れず、ただ士心の和と不和とにあるのみ、諺にいわく、小敵といえども侮るべからず、大敵といえども恐るべからず云ふ。我上杉と数度戦に及びけれども、いつも我一人にて敵十人に当たれり、寡を以て衆に敵すること、今日に始まりしことにあらず、勝敗の決この一戦にあり。汝ら心を一にし、力をあわせ、ただ我向かふ所を視よ。
超約:上杉?11万?雑魚なんざボコボコにしてやんよ!てめーら俺について来い!
この「我向かふ所を視よ」というのは、つまり自分が先頭に起つという意味である。8千の味方が11万の敵勢に突っ込むのに、総大将が先頭に立つとは尋常ではない。猛将氏康の凄まじさがわかろうというものである。
以下は、北条氏康が、息子・北条氏政らに語ったとされている言である。
どれも、経営者の参考となるべき内容で、さすが戦国一の民政家と言える。
主将が官吏を選ぶのは当たり前のこと。官吏も主将を選ぶものだ。
隣国と戦い、日頃、官吏を大事にせず、庶民に慈悲を掛けなければ、人は他国に去って、明主・良将を求めて仕えてしまう。
官吏を愛し、庶民を慈しむは主将の当然の務めである。
▲こんな人が統治してたら、そりゃ後から来た徳川家康が民衆を臣従させづらかったのは当然ですね。
家の長臣に任せきりにせず、自ら動け。
お前は富貴の家に生まれ、ぬくぬくと育ったから、世間に疎い。
功を積んでも取り上げず、労をつくしても賞さなければ、皆は恨みを抱いて、人心は離れる。
その時に戦いがあって、にわかに甘い言葉を掛けても、言うことは聞かない。
だから少しの功も忘れず、小さな働きを見捨てず、時々に褒美を与えて、励まし進ませるようにせよ。
▲味噌汁の創作エピソードでおなじみ北条氏政に対しての言葉。 なみのりを教えなかったのが敗因かも。
君としては万民を愛し、臣は君によく仕え、父としては子を憐れみ、子は親に考を尽くし、友は礼儀をもって交わりを睦まじくした。これ皆、智仁勇の内にあり。君臣合体すれば国家は安泰なり。
一、酒のふるまいは朝食に定めるべきで、それも大酒はよくない。三杯ときめよ。
一、下知を仰がず勝手に城の出入口である虎口を出るものは、即刻に家禄を没収せよ。もしまた、北条家としての公のはからいを必要とするものについてはさっそくに申し越せ。
一、家 中のものが、他の陣所へ出向いて大酒を呑んだり、まして喧嘩口論におよぶことのないように堅く申しつけよ。
お前が右の三ヶ条をおろそかにしていることが、他人の口から耳に入るような事があったなら永く義絶する。
▲武田家への人質となっていた後の上杉景虎こと北条氏秀が、自暴自棄になって酒びたりの生活を送り、家臣も気がゆるんでいた際に送った言葉。スパルタに見えて、酒は朝に三杯までとは・・・
三枚の氏康が存在するが、一枚は所謂スタータースペックなので割愛する。
「獅子の進軍、青二才に止めることは出来ぬ!」
SRの氏康はコスト3.5で10/10、更に特技が伏兵・魅力・盾槍の3つ。他の勢力の当主にも劣らない超スペックで登場している。
計略の「関東王の采配」は、北条家の味方の武力を上げると共に槍足軽ならばカードをタッチすることで槍が伸びて槍撃ダメージも上がるという大名采配。本人も槍足軽なので恩恵に与れる。しかし中々複数部隊のタッチアクションというのは難しい部分があるため、玄人向けの計略である。
武力上昇値の割には槍撃ダメージも上がる関係で結構押し負けない。
「我が鉄壁の守りを崩せるものか!」
Rの氏康は伏兵を失い武力も9になったものの、コストは3になっている。
計略の獅子の牙城は北条家の武力と攻城力を上げる大名陣形。結構狭い上に、一度範囲内に味方が入った後に出てしまうと兵力ダメージを受けてしまう。本人は中心のため出ることは無いが、統率差ではじき出される可能性のある味方はそうもいかない。2回ほど範囲外に出ると兵力が全快からでも丸ごと吹っ飛ぶので、本人が張り付いての騎馬マウントは実質狭い範囲が更に半分しか使えず騎馬マウントは困難。
ただし士気5で武力が大名采配並に上がって攻城力も上がると効果そのものは高い。ワンチャンスから落城をもぎ取る事も十分可能な破壊力はあるので、やはりロマンのある計略である。氏康が城門叩けば大ダメージ。
ちなみに計略では「鉄壁の守り」とか言ってるが計略内容はどう考えても防戦じゃなくて攻城向き計略である。
余談だがカード化される前にも上杉伝で登場していた。8/9、防柵・魅力の槍足軽として登場。まあ多分2.5コスだろう。
この時の計略もRと同じで「獅子の牙城」だったが、計略内容は敵の攻城力を下げ、味方の兵力を徐々に回復する陣形であった。確かにこれなら防戦向きの計略だっただろう。台詞変更しなかったのが悪い。
戦国無双3より参戦 武器:仕込み杖 身長:193cm 声優:オーキド博士石塚運昇(3〜真田丸)、江原正士(OROCHI3〜)
美男子ばっかりの戦国無双のなかでは珍しいちょい悪でダンディーなおっちゃん。
「ド阿呆!」という言葉が口癖で、家臣の娘の甲斐姫や敵武将によく言い放っている。煙管が大好き。
上記の史実通り、顔や胸には大きな傷がたくさんある。
家族や自分の家臣、そして小田原の領民が大好きで、戦も彼らを守るために行なっている。
見た目や口は少し悪いところがあるが、とてもいい人でプレイしててもそれがよく伝わってくる。
ストーリーでは3・4ともに武田・上杉・北条&今川という関東大名の争いが主体に描かれており、武田信玄を「胡散臭い」、上杉謙信を「戦馬鹿」と言っている。また、氏康の正室は今川義元の妹なので義元に対しては少しやりにくさを感じている。4では、子である北条三郎(上杉景虎)がNPCとして登場。彼を上杉に養子として出してしまったことを後悔している描写が存在する。
アクションは仕込み杖の体術・爆弾・刀・銃を用いたバリエーション豊かなもので、動きは遅めだが威力はある。通常攻撃タイプ。
中級者以上が使うと良いキャラクターである。
ニコニコではなにかとオーキドオーキドと言われているが気にしたら負け。
2018年8月13日の石塚氏逝去を受け、同年9月発売の無双OROCHI3より江原氏が担当している。
▼真面目な北条氏康が苦労するiM@S架空戦記シリーズ「がんばれ氏康くん」
▼替え歌
▼その他
祖父・早雲が登場する作品以外では紛う事無き関東最強であり、戦国三英傑とも互角に渡り合える傑物。惜しむらくは、あの三人とは親子程年が離れているので先に寿命が尽きる所か。えっ?烈風伝版諸王の戦い?箕輪城の劉秀??何の話かな???近年の作品では父・氏綱の知略を少し下げて武勇に足した様な能力値になっている。
作品名 | 軍事能力 | 内政能力 | ||||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | 90 | 政治 | 97 | 魅力 | 98 | 野望 | 84 | ||||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | 85 | 政治 | 94 | 魅力 | 89 | 野望 | 71 | 教養 | 80 | ||||||
覇王伝 | 采配 | 97 | 戦闘 | 80 | 智謀 | 82 | 政治 | 96 | 野望 | 75 | ||||||
天翔記 | 戦才 | 176(A) | 智才 | 178(A) | 政才 | 192(A) | 魅力 | 97 | 野望 | 87 | ||||||
将星録 | 戦闘 | 89 | 智謀 | 91 | 政治 | 97 | ||||||||||
烈風伝 | 采配 | 95 | 戦闘 | 70 | 智謀 | 88 | 政治 | 97 | ||||||||
嵐世記 | 采配 | 89 | 智謀 | 86 | 政治 | 90 | 野望 | 95 | ||||||||
蒼天録 | 統率 | 87 | 知略 | 84 | 政治 | 89 | 野心 | 93 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 85 | 知略 | 84 | 政治 | 89 | 教養 | 73 | ||||||||
革新 | 統率 | 95 | 武勇 | 79 | 知略 | 94 | 政治 | 107 | ||||||||
天道 | 統率 | 96 | 武勇 | 79 | 知略 | 94 | 政治 | 107 | ||||||||
創造 | 統率 | 95 | 武勇 | 86 | 知略 | 90 | 政治 | 99 | ||||||||
大志 | 統率 | 96 | 武勇 | 88 | 知略 | 85 | 内政 | 99 | 外政 | 79 | ||||||
新生 | 統率 | 96 | 武勇 | 87 | 知略 | 86 | 政務 | 95 |
一族・縁者 | 五色備 | 家臣 | その他 |
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掲示板
74 ななしのよっしん
2024/02/03(土) 01:14:42 ID: wTMRbdvYLB
今川義元に直接対決で負けた事が氏康の限界
氏綱がやったことを考えると北条は群雄ではなく頼朝再現のポテンシャルはあった
今川に河東で負けたから西に行けなくなったのが全て
75 ななしのよっしん
2024/05/04(土) 01:51:40 ID: hyZedLmdsS
氏綱の代に崩しきれなかった包囲網を引き継いだ形になったのと両上杉氏が今川抱き込んだのがデカかったからなぁ 武田信虎が追放されたことが巡り巡って包囲網突破の糸口になったけど
里見義堯(家督継承手伝ったけど裏切り) 太田資正(縁戚だけど怨敵) 成田長泰(子は氏長と偏諱貰ったけど裏切る) 上田朝直(上杉に一回寝返り) 長野業政(上野国衆の独自集団たる白旗一揆解体しなかったのに…) 梁田晴助(謙信にも信玄にも通じる)etc…
余所者故に&国衆の掌返しっぷりも相まって裏切られ体質凄い
基本的に親北条派の由良氏への手前他の上野国衆優遇できん側面もあったけど(+越後からの襲来)、氏康・氏政揃って上野支配確立できんかったのが痛すぎたし、越相同盟はマジで何の得にもならず…
76 ななしのよっしん
2024/06/01(土) 21:19:09 ID: ytd8KQEpl9
北条に必要だったのは遠い越後ではなく近くの駿河か甲斐を支配する勢力からの援護だったのだろうね
または峠を越えないと関われない北陸の物流よりも東海道の方が北条家の益になったか
急上昇ワード改
最終更新:2025/04/10(木) 16:00
最終更新:2025/04/10(木) 16:00
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