天保6年(1835年)、土佐国高岡郡岩目地村の庄屋の家に生まれる。諱は正佶(まさただ)。変名本山七郎。
土佐の三奇童の一人である郷士・間崎哲馬に師事する。
文久元年(1861年)、土佐勤王党が結成されるとこれに加わる。
文久3年(1863年)2月、同志の能勢達太郎と脱藩。5月に蝦夷に渡り、箱館奉行小出秀実と面会。海防策について論じ合う。7月に江戸に入り、幕府の軍艦に乗船して上京。坂本龍馬と合流して、北方警備を兼ねて蝦夷へ浪士達を移住させる計画を立てる。坂本もこの計画に大いに賛同し、元治元年(1864年)6月17日の勝海舟の日記には、坂本が志気盛んに蝦夷移住計画を話したと記されている。
しかし同じ月の5日、北添は望月亀弥太と共に旅籠池田屋で尊攘志士の会合に出席中、新撰組の襲撃を受けて既に闘死していた。享年30。坂本や勝が池田屋事件の顛末を知ったのは17日より後の事だった。
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最終更新:2025/01/14(火) 10:00
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