十勝沖地震は北海道十勝沖を震源域として発生する地震である。北アメリカプレートと太平洋プレートの境界における歪みの解放に伴い発生する。ここでは過去に起きた地震を記述する。
この地震だけメカニズムが上記の地震と異なっているが、ここでは十勝沖地震として扱う。
むつ市役所や函館大学が崩壊したり(建てられてからまだ10年も経っていない鉄筋コンクリートの公共建築物の被害が目立ったらしい。)、国鉄の線路が地盤崩壊により破損するなどの被害が出た。
ちなみにこの地震により青森県東方にあった南部鉄道が全線廃止に追い込まれている。(会社自体は南部バス株式会社として存続中)
津波による犠牲者が発生したが、地震による犠牲者は発生していない。
地震発生直後、港湾施設が甚大な被害を受け、釧路港や根室港などでは液状化現象が発生した。釧路空港では天井ボードが落下し、管制業務が不可能になったことから一時閉鎖された(当日中に復旧)。さらに音別町で列車が脱線したり道路が陥没したり、苫小牧の出光興産北海道製油所で火災が発生したりした。なおこの後に行われたGPS基準点調査によると大樹町で垂直方向に約31cmの沈降、えりも町で東南東方向に87cmの移動が確認されたとか。
北海道東部沿岸の地質調査から17世紀前半にM8.6程度の発生したと考えられる。この規模は通常の十勝沖地震、及び根室半島沖地震ではありあえず、十勝沖・根室半島沖・色丹島沖まで連動したと考えられている。この連動地震は凡そ400~500年の周期で発生すると考えられているが、十勝沖地震はすでに2003年に発生しており、21世紀後半までは発生しないと考えられている。もし、根室半島沖地震、色丹島沖地震(北海道東方沖地震)が21世紀前半までに発生しなかった場合、連動する可能性がある。また、最近三陸沖北部の領域も十勝沖地震と連動する可能性が示唆されている。
因みに1950~1970年代に千島海溝沿い周辺の地震が多発する時期があった。1952年十勝沖地震(M8.2)、1958年択捉島沖地震(M8.3)、1961年釧路沖地震(M7.2)、1962年十勝沖地震(M7.0)、1963年択捉島沖地震(M8.5)、1968年十勝沖地震(M7.9)、1969年北海道東方沖地震(M8.2)、1973年根室半島沖地震(M7.8)など。また、1960年前後に知床半島から屈斜路湖・阿寒湖付近までM6前後(最大で1967年のM6.5の地震)の直下型地震も多発し、1962年に十勝岳が噴火、1973年に国後島の爺爺岳が噴火、1977年に有珠山が噴火したりと火山活動も活発になった。この一連の試される大地状態は関連性があったりなかったりと言われている。
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最終更新:2024/04/25(木) 19:00
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