南野拓実単語

ミナミノタクミ

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南野拓実みなみたくみ1995年1月16日 - )とは、日本プロサッカー選手である。
フランスリーグ・アンASモナコ所属。サッカー日本代表

称は「タキ」、「ミナミーノ」、「モナ王」。

概要

セレッソ大阪の下部組織で育ち、レッドブルザルツブルクでのプレーが認められ、2020年よりイングランドの名門クラブであり、世界最強チームとも言わているリヴァプールFCに所属。
ユルゲン・クロップ監督からの導を受け、モハメド・サラーサディオ・マネといったワールドクラスプレイヤーとの厳しいポジション争いに身を置いていた。
2021-22シーズンには限られた出場機会ながらも公式戦10得点記録

日本代表としては森保一監督が就任した2018年8月以降にに定着しており、背番号10を背負い、チーム得点となっている。

適性ポジショントップ下であるが、1トップや左右のウイングでもプレーできる。セカンドトップないしシャドーストライカーというタイプであり、ディフェンラインの裏へ飛び出しゴールを狙う。

貌は王子様的なイケメンだが、勝ち気で負けず嫌いな性格として知られ、プレーぶりは闘志を剥きだしにしたゴツゴツしたものである。
何度か不遇を受け、もうお終いかと思われる状況が訪れるが、そのたびに復活してくることから一部では「不死鳥」と呼ばれている。

経歴

プロ入り前

大阪府泉佐野市で生まれ、と2人兄弟スポーツ家族に育つ。
父親コーチのような存在であり、幼い頃からサッカーに触れる環境で育っている。幼少期は練習メニューが考え、自宅の駐車場と一緒に技術を磨いていた。の送迎や栄養管理で子供たちをサポートしていた。

幼稚園の頃からすでに本格的にサッカーを始め、通っていた幼稚園体としたゼッセル取に所属。小学校時代もゼッセルFCプレー。当時のチームメイトに後に日本代表で共にプレーする室屋成がいた。
当時から負けず嫌いで、反コミュニケーションに長けていた。周囲からの評価は「努する天才」。小学3年生の頃からはクーバーコーチング・サッカースクールにも通い、1vs1の技術を学んでいる。

中学校入学と同時に複数のJリーグアカデミーからオファーを受けたが、セレッソ大阪U-15に入団。
2009年の第24回日本クラブユーサッカー選手権(U-15)大会でベスト8に勝ち進み、得点王にく。
この頃にはU-15日本代表としても活躍しており、将来有望なプレイヤーとして期待される存在となっていた。

高校生になった2010年U-18へと昇格し、ゴールを量産する活躍を見せる。
2011年の第19回Jリーグユース選手権大会では8試合で13得点を挙げるゴール量産を見せ、得点王となる。
2012年8月にはトップチームの2種登録選手となり、J1リーグ第32節大宮アルディージャ戦で公式戦初出場を果たす。チームJ1残留がかかったJ1最終節の川崎フロンターレ戦でスタメンに抜される。
また、同年12月天皇杯4回戦清水エスパルス戦において17歳にして公式戦初ゴールを決めている。

セレッソ大阪

2013年トップチームへ昇格し、前年まで柿谷曜一朗が背負っていた背番号13を引き継ぐ。
高卒ルーキーとしてはクラブ史上初の開幕スタメンを果たすと、7月7日J1第14節ジュビロ磐田戦でJリーグでの初ゴール記録大久保嘉人が保持していたクラブJ1最年少得点記録更新する。
7月26日には、マンチェスター・ユナイテッドとの善試合に出場し、1ゴール1アシストチームの全得点に絡む大活躍を見せる。
実質ルーキーイヤーならもチームとして29試合出場5得点公式戦38試合8得点という記録を残し、この年のJリーグベストヤングプレイヤー賞を受賞。
もっともユース時代からゴールハンターとして名を馳せた南野本人は5得点という自分の記録に不満を持っていた。

2014年は前年の躍進から大きな期待を背負ったが、チームの不振とともに自身も2ゴールに終わるなど期待に応えることができず。勝気な性格が裏に出てしまいシーズン中に二度一発退場を受けて批判をされたこともあり、チームも度重なる監督交代もあって17位に終わりJ2に降格。不本意なシーズンに終わる。

レッドブル・ザルツブルク

2015年1月6日オーストリアブンデスリーガFCレッドブルザルツブルク全移籍することが発表される。背番号は18。
2月14日リーグ戦第20節ノイシュタット戦で右MFとしてスタメンデビューを飾り、3月4日の第23節で2ゴールを決め、移籍後初ゴール記録
リーグ優勝がかかった5月24日のヴォルフスベルガー戦ではアシスト記録
シーズン途中からの加入という形になったが、左MFなど二列で起用されることが多く、14試合3得点という成績を残してチームリーグ優勝に貢献。

移籍2年となった2015-16シーズンは初戦となったオーストリアカップの1回戦で2ゴール記録
UEFAヨーロッパリーグプレーオフのディナモ・ミンクス戦でもゴールを決めるなどいい形でシーズンスタートさせる。
その後はとして定着し、シーズン10ゴールを決める活躍によってリーグ戦連覇に貢献。

2016-17シーズン2017年2月19日に行われた第22節のSVリート戦でプロ入り初のハットトリックを含む、3得点1アシストの活躍をみせる。
4月2日、第27節のSCラインドルフ・アルタッハ戦では2得点1アシストマークして2年連続二桁得点に到達。

2017-18シーズンには、後にボルシア・ドルトムント監督となるマルコローゼが監督に就任。
UEFAチャンピオンズリーグ予選2回戦のヒバーニアンズFC戦でジーズン得点を決める。
7月22日リーグ戦開幕戦のヴォルフスベルガーAC戦でも得点を決める。
11月には負傷で離脱をしていたが第14節のSKNザンクト・ペルテン戦でスタメンに復帰すると2得点をあげた。
2018年2月14日UEFAヨーロッパリーグ・ラウンド32の1stレグレアル・ソシエダ戦でEL初得点を決める。
連続二桁ゴールは途絶えたものの、リーグ戦最終節ではフル出場して優勝に貢献、チームは5連覇を達成。

2018-19シーズン2018年9月2日に行われた第6節のFCアドミラヴァッカー・メードリング戦でリーグ戦初得点を決める。
11月8日UEFAヨーロッパリーグGS第4節のローゼンボリBK戦でハットトリックを決める活躍を見せる。
公式戦31試合9得点とまずまずの成績を残し、チームの6連覇に貢献。

2019-20シーズン怪物アーリング・ハーランドファン・ヒチャンと強トリオを結成し、開幕から4試合3得点と好調ぶりを見せる。
また、この年に悲願のUEFAチャンピオンズリーグ本大会初出場を果たすと、デビュー戦となったゲンク戦で2アシストの活躍を見せ、続く昨シーズンの王者リヴァプールFC戦では、1ゴール1アシストの大活躍。
チームグループステージ敗退となったが、リヴァプール戦でのセンセーショナルな活躍をきっかけに各の強チームスカウトからも注され、さらなるステップアップが期待されるようになる。

リヴァプール

2020年1月イングランドプレミアリーグの名門リヴァプールFCへ移籍。背番号ザルツブルク時代と同じ18となる。
この移籍は、チャンピオンズリーグで戦った際にユルゲン・クロップ監督が南野の才に惚れ込んで獲得を熱望したとされ、ファン・ダイクやヘンダーソンといった選手も監督を進言したとされている。(という報道があったが、当人達が否定している上に、代理人がDAZNの番組内で逆オファーをあっさり話してしまった。移籍の舞台裏をベラベラと喋ってしまう代理人ってのはどうなんだ。)
2020年1月23日プレミアリーグ第24節ウォルバーハントン戦で負傷したサディオ・マネとの交代で出場し、プレミアリーグデビューを果たす。当初から予想された通り、リヴァプールの強前線の中でレギュラー入りは難しく、メディアから酷評されることもあった。

2020-2021シーズンは、プレシーズンの段階で好調が伝えられ、2020年8月29日FAコミュニティシールドでは、途中出場しアーセナルを相手に後半28分に移籍後の公式戦初ゴールを決めている。
しかし、新加入のジオゴ・ジョタが結果を残したことで序列が下がってしまい、スタメンで起用されたCLミジュランド戦での低調なプレー批判が続出。公式戦3試合連続で出場機会が得られなくなるなど、厳しい立場に立たされてしまう。
外というも出始めた中、スタメンで起用された12月9日の第14節クリスタル・パレス戦で待望のプレミアリーグゴールを決める。しかし、その後の試合で出場機会が減してしまい、リーグ戦7試合でわずか6分の出場時間しか与えられなかった。

サウサンプトン

移籍市場最終日の2021年2月2日サウサンプトンFCへのシーズン終了後までのレンタル移籍が決定。背番号は19。
2月6日プレミアリーグ第23節ニューカッスル戦にスタメンで新地でのデビューを飾ると、前半30分に速移籍後初ゴールを決めている。
2月20日の第25節チェルシー戦では先制ゴールを決め、6連敗中だったチームの連敗ストップに貢献している。
しかし、3月の代表戦に出場して以降は公式戦5試合連続で出場機会が与えられず、その後は前線からの守備以外でファン満足する活躍を見せられなかった。

リヴァプール復帰

2021-22シーズンはプレシーズンで好調だったこともありリヴァプールに残留。
公式戦初出場となった2021年9月21日のEFLカップ3回戦ノリッジ戦では、2ゴールの活躍を見せ、勝利に貢献する。
11月20日プレミアリーグ第12節アーセナル戦で後半31分に投入されると、直後にリーグ戦でのシーズンゴールを決める。だが、リーグ戦やCLでの出場機会は増えず、巡ってきたチャンスで結果を残せなかったことでクラブOBからも痛批判を受ける。の移籍期間にリーズへの移籍話が浮上するが実現せず。
2022年1月16日の第22節ブレンフォード戦でバースデーゴールを決めるが、その後ルイスディアスが加入したことでベンチにも入れない試合が増えるなどさらに厳しい状況に立たされる。
EFLカップでは4得点FAカップでは3得点カップ戦で結果を残すが、3月20日以降2か近く公式戦出場がい状態が続く。
それでも5月17日の第37節サウサンプトン戦でリーグ戦初スタメンを掴むと、チーム優勝の望みを繋ぐ同点ゴールを決め、少ない出場時間ながらも公式戦10得点という結果を残す。

モナコ

2022年6月28日フランスリーグ・アンASモナコへの全移籍が発表される。契約期間は2026年までの4年契約背番号ザルツブルクリヴァプール時代と同じ「18」となる。
8月2日UEFAチャンピオンズリーグ予選3回戦1st leg PSVアイントホーフェン戦で公式デビューを果たす。
8月9日2nd legでも右MFとしてスタメンで出場するが、2試合ともに立った活躍ができないままい時間帯で交代となり、チームも予選敗退となったことで酷評を受ける。
直後のリーグ・アン第2節ではスタメン落ちのうえ出場機会が与えられず、苦難のスタートとなる。その後も精を欠いたプレーが続いたことでチーム内での序列が下がり、メディアからは失敗移籍の1位に挙げられてしまう。
9月18日第8節スタッド・ランス戦で途中出場から移籍後初ゴールを含む1ゴール1アシストの活躍で勝利に貢献する。
ワールドカップ後も苦は続き、2023年1月リーグ戦では出場時間0分という屈辱的な扱いを受ける。シーズン後半戦の出場はわずか8試合のみとなり、最後までチーム内での信頼を得ることはできなかった。大きな怪かったにも関わらずシーズン半分の18試合のみの出場に留まった。

2023-24シーズンザルツブルク時代の恩師であるアディ・ヒュッターが監督に就任。本来のポジションであるセカンドトップで起用されたことでプレシーズンから好調を維持。開幕からスタメンの座を掴む。
2023年8月20日リーグ・アン第2節RCストラスブール戦では2ゴール1アシストの大活躍を見せ、復活アピールする。8月25日には、第3節FCナント戦でも2試合連続となるゴールを決め、開幕3試合でくも前年のゴール数をえてしまう。この活躍によりレキップ誌選定のベストイレブンに2試合連続で選出され、8月リーグ・アン最優秀選手に選出される。
9月以降は勢いが失速し、スタメンから外れる試合も見られるようになるが、11月24日の第13節パリ・サンジェルマン戦で試合に敗れたものの1ゴール1アシストの活躍を披露。さらに12月3日、第14節モンペリエ戦で2試合連続でのゴールを決める。
2024年2月25日リーグ・アン第23節RCランス戦では、試合終了間際に決勝ゴールとなるスーペルゴラッソを含めた3ゴール全てに絡む大活躍を見せる(ちなみに1点オウンゴールは南野のゴールと言ってもいいレベルだった)。

日本代表

14歳の頃から年代別の代表に選出される。2009年に吉武博文監督率いるU-15日本代表に選出されると、2010年AFC U-16選手権2010ではベスト4まで勝ち進み、5得点を挙げて大会得点王の座を手にする。
翌年6月に開催されたFIFA U-17ワールドカップに出場。チームベスト8進出と躍進を果たすものの、自身は1得点に終わるなど調子が上がらず、エースとしては物足りない内容となった。

2014 FIFAワールドカップでは、代表には選出されなかったが予備登録メンバーとして選出された。
同年10月に開催されたAFC U-19選手権では4試合4得点の活躍を見せるものの、PK戦までもつれこんだ準々決勝の北朝鮮戦で5人キッカーを務めるもPKを外してしまい、敗退。世界への切符を逃すことに。

2015年10月2018 FIFAワールドカップアジア2次予選を戦うヴァビド・ハリルホジッチ監督率いる日本代表に初選出されると、イランとの善試合においてA代表デビューを果たす。

2016年リオ・デジャネイロオリンピック標となるU-23代表での活動がメインとなり、AFC U-23選手権2016に出場。チームベスト4まで勝ち進み、本大会出場を決めたものの、自身は所属するザルツブルクから帰還命が出たことから決勝を前にチームを離脱。
リオ五輪本大会では初戦のU-23ナイジェリア戦で1ゴールを決め、グループリーグ3試合全てに出場したが、チームとしてはグループリーグで敗退。

A代表が森保一体制に移行してチーム世代交代を進めることもあり、久々に選出されると、初戦の対コスタリカ戦(本来はその前に対チリ戦が予定されていたが、北海道胆振東部地震で中止になった)で代表初ゴール。その後2試合連続ゴールを決めるなど、コンスタントに結果を残しとして定着。
メディアからは中島翔哉堂安律と共に「三銃士」と呼ばれ、期待が集まるようになる。

2019年1月に開催されたAFCアジアカップ2019の代表メンバーに選出。
を温存したグループリーグ第3戦を除く全試合でスタメンとして起用され準決勝のイラン戦では倒されながらすぐに起き上がり、左サイドからのクロス大迫勇也ゴールアシスト
決勝のカタール戦では2点ビハインドの中、大会初ゴールを奪うが、チームは1-3で敗れ優勝を逃す。
また、同年スタートしたカタールワールドカップアジア2次予選では、開幕から4試合連続ゴール記録するなど、2019年の代表戦ではチーム最多の7ゴールをあげている。
新型コロナ2020年10月に1年ぶりに集まった日本代表では、初めて背番号「10」を付けることになる。

2021年5月28日2002 FIFAワールドカップアジア2次予選ミャンマー戦でゴールを決め、日本代表史上初となるW杯アジア予選開幕からの6試合連続ゴール記録すると、6月7日タジキスタン戦でもゴールを決め、記録を7試合連続に伸ばす。
しかし、2021年9月からスタートしたアジア最終予選では左ウイングでの起用されたことで適応に苦しんだことで不発に終わる試合が続き、批判も浴びるようになる。それでも、2022年2月1日ホームでのサウジアラビア戦で先制ゴールを決めて勝利に貢献している。

移籍したモナコや代表でのパフォーマンスが低調だったことから本大会のメンバーからの落選を予想するが多かったが、2022 FIFAワールドカップカタール大会に背番号10を背負って出場することになる。
本大会では控えとなったが、グループリーグ初戦のドイツ戦では途中出場から流れを変える役割に一役買うと、自ら放ったシュート堂安律の同点ゴールに結びつく。
その後もグループリーグ第2戦のコスタリカ戦、ラウンド16のクロアチア戦と1点が欲しい場面で投入されるが決定的な仕事はできず。クロアチア戦のPK戦では1番手としてキッカーを務めたが、GKドミニク・リバコビッチに防がれてしまう。その後二人のキッカーが決められず、日本代表ワールドカップはここで終了する。

ワールドカップ後は所属クラブでの不調もあってしばらく代表から外れるが、新シーズンになって復活したことで待望論が起こるようになり、2023年10月におよそ1年ぶりに復帰。2024年1月1日タイ戦では代表ではおよそ1年ぶりとなるゴールを決めている。

2024年1月カタールで開催されたAFCアジアカップ2023にも出場。初戦のベトナム戦ではスタメンで起用されると2ゴール1アシストの大活躍によって勝利に貢献。各メディアからこの試合のMOMに選出されるなど絶賛を受ける。第2戦のイラク戦では久保建英が復帰したことで不得意な左ウイングで起用されたこともあって不発に終わる。その後は3試合連続で途中出場し、全試合に出場。チームは準々決勝のイラン戦に敗れ敗退となる。なお、イラン戦から24時間経たないうちにクラブに戻り、リーグ・アンの試合に出場している。

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
2012 セレッソ大阪 J1リーグ 3 0
2013 セレッソ大阪 J1リーグ 29 5
2014 セレッソ大阪 J1リーグ 30 2
2014-15 ザルツブルク Aブンデスリーガ 14 3
2015-16 ザルツブルク Aブンデスリーガ 32 10
2016-17 ザルツブルク Aブンデスリーガ 21 11
2017-18 ザルツブルク Aブンデスリーガ 28 7
2018-19 ザルツブルク Aブンデスリーガ 27 6
2019-20 ザルツブルク Aブンデスリーガ 14 5
リヴァプール プレミアリーグ 10 0
2020-21 リヴァプール プレミアリーグ 9 1
サウサンプトン(loan) プレミアリーグ 10 2
2021-22 リヴァプール プレミアリーグ 11 3
2022-23 モナコ リーグ・アン 18 2
2023-24 モナコ リーグ・アン

おもな個人タイトル

プレースタイル

いわゆるセカンドストライカータイプで、セレッソ大阪プレーしていた頃はFWとしてプレーすることが多かったが、ザルツブルクに移籍してからは2列サイドアタッカーとして起用されプレーの幅を広げている。
JAPANでは、3人並んだ2列の中央、いわゆるトップ下の位置で定着。役割としては、シャドーストライカー

Jリーグプレーしていた頃から、スピードテクニックを活かしたドリブルで強引に仕掛けてシュートに持ち込んだり、高速ターンで前を向いてそこからDFラインと駆け引きをしながら裏へ抜けるプレーを得意としていた。前への意識が強く、気持ちを前面に出してゴールを奪いに行くタイプ
欧州へ渡ってからは、オフ・ザ・ボールの精度が飛躍的に向上し、シンプルボールを捌いて動き直すプレー選択肢に入っている。
本人も「常に得点を取り、取らせるポジションにいることを心掛けている」とるほど、常に準備ができているのは大きな武器で、これをピッチ全体で体現できるプレイヤーである。
また、守備面での貢献度も高く、ボールを失ってもすぐに守備へと意識を切り替え相手にプレッシャーをかけることができる。

南野を初めてフル代表に選出した際、ハリルホジッチ監督ボールを持っていないときの動きを評価し、「常に得点を取る、取らせるポジションにいる。現代フットボールに適応するアタッカーである。」と称している。

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