厚藤四郎(刀剣乱舞)とは、ブラウザゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』に登場する刀剣男士である。
よっ……と。オレは、厚藤四郎。刃がまっすぐ、かつ厚いのが特徴で、兄弟の中だと鎧通しに分類されるんだ。
自慢じゃないけど、歴代の主は名将が多くて、なかなかの有名人ばかりだぜ。
名前は文献によってアツとアツシでマチマチだけど、オレはオレだ。気にすんなって(刀帳)
粟田口吉光作の短刀。藤四郎兄弟のひとり。
「鎧通し」という組み打ちで使う実戦的な短刀で、元の重ねが10cmもある。
反りが全くない姿は、竹を割ったような彼の性格を表すよう。
歴代の主に名将が多いことは、ちょっと自慢。
平野藤四郎(刀剣乱舞)と共にレア扱いで、鍛刀でのみ入手が可能だった(所要時間は30分)。
ドロップせず、比較的入手が難しい部類にあったが、2018年7月3日以後は2-3、4-4通常マスにてドロップするようになった。
基本的に少年系の短刀の中でも、体つきが逞しく、年長の部類に入る。回想でも五虎退(刀剣乱舞)からは「兄さん」と呼ばれており、粟田口の兄弟の中でも年齢が上のようだ。
明るく快活な生活で、子犬のように審神者に懐いており、思わず撫でくりたくなる可愛さを見せる。
審神者の事を「大将」と呼んで気さくに接する辺りは、薬研藤四郎(刀剣乱舞)・後藤藤四郎(刀剣乱舞)・信濃藤四郎(刀剣乱舞)らと共通で、誰が呼んだか「大将組」と言う人もいる。
戦闘においては近接してからの組み打ちを得意としているようで「組み付いちまえば、オレのもんだ!」(クリティカル時)「いくらボコボコにされようが、ここまで近づいちまえばオレの勝ちだ!」(真剣必殺)などからも伺える。
五虎退(刀剣乱舞)と共に出陣すると回想が発生する他、長兄である一期一振(刀剣乱舞)との手合わせで特殊会話が発生する。
初期ステータスの合計値は小夜左文字(刀剣乱舞)・今剣(刀剣乱舞)に次いで高く、全体的に数値が安定している。レベルが上がって特になった場合は強化上限の総合的な高さから、長く運用が可能。
ともすれば器用貧乏とも取れるステータスだが、いずれも短刀の中でも上位値なので問題ない。もとい、どのような能力値でもレベリングと錬結、内番を行えば運用できるのが本ゲームの特徴。あまり深く考える必要はない。
ゲームのサービス開始時点では読み方は「あつとうしろう」だったが、2015年8月25日のメンテナンスにより「あつしとうしろう」に替わった。理由は「学術的見解や風習・実情等、諸々の事情を総合的に勘案」したためとのこと。
この項目は、ネタバレ成分を多く含んでいます。 ここから下は自己責任で突っ走ってください。 |
2016年5月17日、五虎退(刀剣乱舞)・平野藤四郎(刀剣乱舞)・乱藤四郎(刀剣乱舞)らと共に初めて極(きわめ)が実装。
修行の旅に出た後は自身の縁がある筑前(現在の福岡県)の黒田家に向かい、かつての主(明言こそされていないが、黒田如水だと思われる)を訪ねる。軍略のいろはを学び取る一方であることも学び、実践するために主である審神者の許に帰還を果たした。
戦装束も変わり、粟田口共通デザインの軍服の上から黒を基調にした具足を纏い、若武者を思わせる凛々しい姿となった。
なお真剣必殺ともなると、極以前の頃よりもがっつり脱ぐ。ショタコンの審神者は歓喜したとかしなかったとか。
軍略を学んだ事もあり、細やかに気を配りながら「大将」を激励する、出来た家臣のように張り切るようになった。
更に、これまで忠犬ハセ公へし切長谷部(刀剣乱舞)がこれまでトップだった「審神者を指す呼び方」を発する回数が19回に増えた。この事から、新たなるダメ審神者製造機が増えてしまった……かもしれない。
2017年11月7日時点で22回に増えた(大将、今代の主、審神者を含む)が、へし切長谷部極の27回に追い抜かれてしまい2位となった。残念。
鎌倉時代中期の刀工・粟田口吉光(あわたぐちよしみつ)作の短刀。
短刀作りの名手として知られており、兄弟が多いのはこの為。
名の由来は、その刀身の厚さ。刀身こそ短いものの、四分(約1.2cm)という分厚さは最早短刀のそれではなく、本人が語るように「鎧通し」と呼ばれて分類される。彼のキャラクターデザインが比較的逞しいのは、これも由来しているのかも知れない。
その姿は「e国宝|国立博物館所蔵 国宝・重要文化財」上にて公開されており、反りのない特徴的な姿を拝む事が出来る。
足利将軍家に伝来し、9代将軍・足利義尚が差料にしたという記録が残っている。
その後足利家より市井に流れたが、刀剣鑑定家・本阿弥光徳が購入し、以降は一柳直末、黒田如水、豊臣秀次、豊臣秀吉に伝わった。
天正20年(1592年)7月、母・大政所の危篤の報を聞いた豊臣秀吉が大阪に急ぎ帰る途中、赤間ヶ関(下関市・壇ノ浦)において船が座礁し、あわや溺死しかけるという事故が起きる。これを救ったのが当時十四歳の毛利秀元であり、これに感謝した秀吉からその場で厚藤四郎が下賜されたという。
これより3年後に秀次事件が起き、豊臣秀次の小姓・山田三十郎が厚藤四郎を拝領して切腹したという逸話が伝わるが、この時点では毛利家に渡っているために齟齬が生じている。
時代は下り、寛文4年(1664年)秀元の孫・毛利綱元から4代将軍・徳川家綱に献上。その後は一橋家に長く伝わり、昭和初期に帝室博物館(現・東京国立博物館)が購入した。
1956年、国宝指定。現在も東京国立博物館が所蔵。常設展示ではないが、たびたび展示が行われている。
掲示板
26 sage
2016/11/13(日) 00:18:09 ID: oay7PuOPNu
今剣とか小夜が極になると病んだ感じがして厚も…?とブルブル震えてたけど、めちゃくちゃ格好良くなって帰ってきてくれて安心したよ…
27 ななしのよっしん
2017/07/04(火) 18:31:03 ID: JPDZHzHQZw
>>22
実際なつくというよりまさに面倒みてる感あるよね
極になってそれが顕著になった
お正月ボイスでもだらけすぎるなよって叱ってくれるし、万屋に行けば無駄遣いするなよ!って叱ってくれるし厚くん最高すぎ
シャンと背筋伸ばせよって台詞言うし本人も姿勢がよさそうなのもいい
それで表情の変化はそれなりというんだから、本当に黙ってればクールにみえるんだろうなあ
28 ななしのよっしん
2017/12/02(土) 16:51:41 ID: nLSgrZm8xc
中性的、もしくは女性に近い風貌が多い藤四郎一族の中では
唯一男性的な容姿なのは、元の刀がごっつい鎧通しだから?
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最終更新:2024/04/25(木) 06:00
最終更新:2024/04/25(木) 06:00
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