沖縄国際大学からビル・キナモン審判学校を経て、1978年からセントラル・リーグの審判員として活動。2011年のセ・パ審判統一の際には、NPBの関西審判部で活動している。
20歳(年齢からすると大学在学中)で審判部員となり、1980年に22歳の若さで一軍試合を裁いた。それ故に、まだ審判団としては若い方である。
2007年に2500試合出場を達成し、近年中に3000試合出場達成が可能な年齢にある。
ただし、審判としての才能は微妙で、2012年では主に福岡Yahoo!JAPANドームや横浜スタジアムなどで誤審らしき判定を取った。
特に2012年5月19日の横浜DeNAベイスターズ対千葉ロッテマリーンズでは、三塁塁審としてアレックス・ラミレスの明らかなホームランをファールと判定し、長い協議の末結果、ファールは覆らなかった。これが原因でDeNAはロッテ相手に2-4で敗れた。このことについて、友寄は「私の判断です。はっきりと確認できなかったので(最初の)判定通り」というコメントを出した。この試合に使われていたテレビは16型、”ビデオデッキ”と記事に書かれているため、アナログテレビのものが使われていた可能性がある。
掲示板
36 ななしのよっしん
2012/10/17(水) 00:26:34 ID: /SzsZLTb4c
37 ななしのよっしん
2013/08/04(日) 19:26:17 ID: aHGPcqOTpg
2013年8月4日 19人目の通算3000試合出場を球審で達成。
歴代の中でも、4人制審判時代のほうが6人制より長い
つまり単純に歴代の3000試合より出場機会が少なく価値がある大記録
となりました。なんだかんだ言われるがこの数字を積み上げられるのは
名審判である何よりの証左ですね。
38 ななしのよっしん
2014/04/19(土) 17:07:55 ID: dP1MyfaySa
>>37
勘違いしているようだけど、審判の弾劾システムがきっちり機能している事が前提になって初めて「出場試合数が名審判の証左」となるからね。
恐らく「無事之名馬」と言いたいのだろうが、その言葉が指す名馬は厳しい環境に於かれて尚無事だったから名馬なのであって、NPB上層部が誤審に甘い状況で何試合出場しようが名審判でも何でもないよ。
そもそも審判はきっちり判定をして目立たないのが仕事なので、これだけ目立っている(=悪評が立つ=仕事がこなせていない)時点で、その事実が糞審判であることの何よりの証左となる。
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最終更新:2024/04/23(火) 23:00
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