司馬遼太郎 単語

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司馬遼太郎とは、日本の歴史小説家エッセイストである。故人。

特に歴史小説大家として知られ、代表作は「がゆく」「坂の上の雲」「翔ぶが如く」「燃えよ」「新撰組録」「菜の花」「」「世に棲む日日」「」「関が原」「功名が辻」「国盗り物語」「街道をゆく」「十一番の志士」「をとる話」「風神の門」「二十一世紀に生きる君たちへ」他多数。その多くが大河ドラマ化、テレビドラマ化、映画化、コミック化などの形でマルチメディア展開されている。詳しくはWikipediaexitを参照のこと。

概要が脇道に逸れ続けている。

大阪府大阪市出身。大阪外国語学校阪大外国語学部の前身)学科卒業太平洋戦争時は戦車隊の小隊長として従軍、戦後産経新聞記者となり、在職中からエッセイや小説を書き始める。

戦国期、幕末期から明治期に至るまでの日本日本人をこよなく愛し、その生涯で多数の歴史小説を手がけた。いずれもベストセラー・ロングセラーとなっており、今で言えば宮部みゆき級のヒットを何十年も生み続けた、まさに日本を代表する娯楽文学巨人2010年の1年間だけを取ってみても250万部以上の売上数exitを誇るなど、死後もなおを持った根強い人気がある作家である。子澤寛や音寺潮五郎といった歴史小説家の流れをむ。

美文であり、「序文」や「長編小説の最後の1行」のカッコよさには定評がある

としては、膨大な史料に裏付けられた直接本筋とは関係の「余談」を散りばめ、司馬いわく「視点」から、あらゆる歴史的事・人物をさまざまな度から描き出す群像劇を得意とする。取材マニアかつ史料マニアであり、司馬が新作にとりかかると神田の古書店からそのテーマにまつわる書籍がごっそりと姿を消すとまで言われた。個人にスポットを当てるミクロな描き方と、地政学に基づいたマクロな描き方を行き来するが、基本は前者である。

司馬文学において、本筋と関係の人物にまつわる余談が何度も登場し、突如素に戻って「この人物についてはすでにふれた。」「このエピソードについては、何度かふれた。」と一応言い訳する手法は、物語に深みをもたらす良い効果もあるが、あまりにも1作品中で何度もやられると「司馬さん自分ですでに書いたかどうか忘れてるのではないか」という不安も生じなくはない。もっとも、新聞連載小説が多かっただけに、常に初見読者を意識して、大事なことなので2回言ったりしているケースも多いと思われる。

司馬日本人に与えたは計り知れず、現代の日本人が一般的に持っている武将や幕末の偉人たちのイメージ司馬によって創り上げられたものが多い。フィクションの中にドキュメンタリーの史実を織り交ぜ(あるいは史実の中にもっともらしいフィクションを織り交ぜ)た司馬作品を「歴史事実」と認識する日本人があまりに多いことから、「司馬史観」は常に議論の対となってきた。

二十一世紀に生きる君たちへ

また昔のことばかりは書いていない

晩年の随筆小説「二十一世紀に生きる君たちへ」は、々二十一世紀を生きる人たちへのメッセージである。
この二十一世紀に生きる君たちへは大阪書籍刊(今は日本文教出版だったかな…)小学6年下に掲載されている。
これを書いてる筆記者は、小学校最後の国語の勉強としてこの二十一世紀に生きる君たちへを学習したものです。
(ちなみにこれは司馬が始めて小学生向けに書いた随筆小説だとか…)

この小説の逸話として。

前略

「長編小説を書くほどのエネルギーがいりました」
この文章を書き終えたとき、司馬遼太郎は大阪書籍の編集者に話したそうだ。色鉛筆の走る原稿用を見ていると、いかにすればこどもたちに自分の想いが伝えられるのか、という熱意を感じとることができる。

後略

「二十一世紀に生きる君たちへ 発刊にあたってより一部抜」 著 司馬遼太郎 

…というものがある。実際に直筆原稿を見ていると確かに試行錯誤して、考えて考え抜いて書き上げたのだと、筆記者は思う。

また、この小説の中にこんな一文がある

ただ、寂しく思うことがある。
私が持ってなくて、君たちだけが持っているものがある。未来というものである
私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、二十一世紀というものを 見ることができないにちがいない。

「二十一世紀に生きる君たちへ」より一部抜 著 司馬遼太郎

この言葉どおり、司馬はこれを書いた1987年5月から9年後の1996年2月部大動脈瘤破裂により72歳でこの世を去った。

興味のある方や歴史小説が苦手な方も一度読んでみてはいかがだろうか。

なお、記念館が大阪府東大阪市にある。

司馬史観の項、続く。

司馬史観においては、基本的に司馬の好き嫌いで実在した人物たちの歴史的評価が定まってしまう。「大正以降のダメな日本およびダメな日本陸軍を作った元」のように扱われる山縣有朋や、二〇三高地で多くの兵士死にさせたとされる地知幸介などの知名度および低評価はおおむね司馬文学と言える。

一方、司馬史観のおかげで島左近坂本竜馬や多くの新撰組隊士、河井継之助といった人物の知名度が飛躍的に高まったという功績も。

司馬の好き嫌いの特徴としては「精論者・非合理義者に対しては、認めるにしてもどこか嫌嫌感が漂う」(西郷隆盛木希典など)。「銭ゲバ、俗物、権威義者、成り上がり者を貶める」(山など)。「この人物は才子である。という表現が出てきたら小物扱いであり、だいたい悲劇的に死ぬ」(伊東甲子太郎武田観柳斎など)。とはいえ、別作品では彼らのカッコよさも存分に描かれていたりもするあたり、「視点によってある人物の評価など引っくり返る」という基本は常に押さえていると言える。

逆に実務や合理義者、人間関係が不器用タイプには過剰に肩入れする(村田蔵六こと大村益次郎土方歳三など)。才子肌でしかも実務石田三成明智光秀らに対しては憎入り混じった描写が見受けられる。

なお、非合理や精論を嫌うのは、従軍中に経験した帝国陸軍の理不尽ぶりに対する積年の恨みに由来するが、ではオカルト全否定する実義者なのかと言えば、東郷提督の強さを「その強運」にめるなど、ちゃんと厨二的なロマンファンタジーも理解してくれる作家である。堅いイメージがある人は司馬さんの娯楽イズムに震えろ。

つまり氏の作品は歴史資料ではなく、傑作歴史娯楽小説としてみれば、何の問題もないということである。

これらの関連動画についてはすでにふれた。

「関連商品がある」とは、言わない。

関連コミュニティという固定概念。

関連項目はえたいが知れない。

以下、余談。

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