吹石徳一 単語

2件

フキイシトクイチ

1.3千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

吹石徳一(ふきいし とくいち)とは、元プロ野球選手である。

概要

1953年4月2日生まれ。和歌山県日高出身。

南部高等学校に進学。チーム選手として活躍し、県大会で毎年のように上位に進出するものの敗退し、甲子園大会には手が届かなかった。

卒業後、日本に入社。実を磨いていき、1974年都市対抗野球大会に出場するなど活躍を見せた。

1974年ドラフト会議にて、近鉄バファローズから4位名を受け、入団。同期入団には村田辰美らがいた。

1976年、一軍デビューを果たし、守備固めや代走での起用を中心に46試合に出場。

1978年頃から控えの内野手として一軍に定着。1978年には74試合、1979年には95試合と徐々に出場機会を増やしていった。

1980年サードショートでのスタメン起用されるようになり、109試合に出場して、打率.249、12本塁打、36打点、14犠打記録してパ・リーグ制覇に貢献。日本シリーズでも本塁打を放つなど、活躍を見せた。

1981年、不振に陥っていた石渡茂に代わり、ショートレギュラーに定着。キャリア最多の126試合に出場して初めて規定打席に到達。打率.245、10本塁打、48打点、13盗塁、13犠打記録

1982年以降は、石渡森脇浩二らとの併用となり、チームを埋める重なユーティリティープレイヤーとして活躍。

1985年には103試合の出場で、12本塁打、17犠打記録している。

1988年、「10.19」として知られるダブルヘッダーの試合で本塁打を放つなど、しぶとく活躍を見せたが、球団からのコーチ就任要請を受け、現役引退を決意している。

引退後も近鉄に残りコーチを務め、近鉄解散後は東北楽天ゴールデンイーグルススカウトとして活動。

その後、日本コーチ監督を務め、現在は同チームのアドバイザーを務めている。

人物・エピソード

内野ならどこでも堅実に守れる守備と、一発長打を秘めたパンチが魅内野ユーティリティープレイヤー。一方で、シーズン打率2割5分をえたことがなく、四球も少ない事から出塁率は低かった。

役者タレントとして活躍する吹石一恵。その一恵と結婚した福山雅治とは義理の子関係である。

通算成績

打撃成績

通算:13年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
NPB 1020 2053 1854 229 424 52 200 57 80 17 84 18 203 30 .229 .267

関連動画

関連項目

この記事を編集する

掲示板

掲示板に書き込みがありません。

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/04/16(火) 21:00

ほめられた記事

最終更新:2024/04/16(火) 21:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP