呉懿(ご い、生年不詳 - 237年)とは、中国三国時代の武将である。字は子遠。
諸事情により呉壱(ご いつ)と表記されることもある。
エン州陳留郡の人。
妹は劉瑁(劉焉の第三子)に嫁ぎ、その死後は劉備の妻となった穆皇后。
孫に呉喬。族弟には、同じく蜀漢に仕えて驃騎将軍にまで昇進した呉班(呉匡の子)がいる。
劉焉の入蜀に一族を挙げて随行。劉焉の死後は中郎将として劉璋に仕える。
劉備の入蜀に抵抗するも降伏。護軍・討逆将軍に任じられ、即位後には関中都督となる。
第一次北伐では諸将により先鋒に推挙されるが、諸葛亮に退けられる。
魏延と共に陽谿会戦で費耀を撃破する。この功により左将軍に昇進し、高陽郷侯に封じられる。
諸葛亮の死後は督漢中兼雍州刺史・車騎将軍・済陽侯という大官となり、仮節を授けられる。
建興15年(237年)に没。
歴戦の将として知られており、街亭の戦いでは「経験豊富な呉懿か魏延を大将にすべきだ」と諸将に推挙されている。
季漢輔臣賛では「硬骨漢かつ博愛の人物。弱兵によって強敵を撃破し、苦境に陥ることがなかった」と賞賛される。
また彼の孫の呉喬も、成漢を築いた李雄に対し、30年の長きにわたり抵抗した不屈の男である。
族弟の呉班も「豪侠(男伊達)」として知られており、この一族にはそういった気質が受け継がれていたのかもしれない。
これらの評価を受け、元帥級の官にあり、また皇帝の外戚でありながら、
陳寿の『三国志』では独立した伝が建てられていない。
蜀漢に史官が置かれず、事蹟が散逸したためだという。
そのため、穆皇后伝、馬良伝付馬謖伝、王平伝、李厳伝、楊戯伝付季漢輔臣賛等に記述が散見される。
ゲームでは大体すべての能力値が70前後という、かなり恵まれたキャラとなっており、どのような状況であってもそつなくこなすことができる武将として厚遇されやすい。
「張任を捕える・・・?」
「この人(諸葛亮)大ぼら吹きなのか、それとも気が変なのか?」
ニコニコ動画ではセガのアーケードゲーム三国志大戦で彼の姿を目にすることが多々(?)ある。史実では戦功もかなり上げているが、三国志大戦で呉懿の扱いは不当である。
なぜ(笑)扱いされるのかと言えば、開発者に原因がある。
三国志大戦1稼働当時、R楽進はC張梁と常にカード使用率の1位、2位を争う圧倒的な強カードだった。
そんな時、開発者インタビューにおいて、「R楽進強すぎませんか?」との質問に、
という、迷言を言い放ったのである。
両者コスト1とはいえ、武力4知力3勇猛騎兵の楽進と、武力3知力3無特技槍兵の呉懿は全く相手になっていなかったのである。しかも、計略は士気6の「援軍」であり、低知力が祟って士気に見合わない回復量だった。
そんな経緯から、呉懿(笑)と呼ばれるようになったしまったのである。
三国志大戦3では
等の理由から使用率は低迷していた。廖化と属性が違っていればまだ使われていたであろう。
しかし、Ver3.5で使用率は上昇傾向である。その理由として
など、環境が追い風となり頂上対決にも載っている。彼にも遅い春が来たのだろうか。
呉懿 -子遠-(ごい しえん) 堅実な将軍
劉備の部下。もとは劉璋の配下であったが、劉備の蜀侵攻の際に捕らえられ降伏した。劉備が漢中王になると、呉懿の妹が夫人となり、呉懿は左将軍に封ぜられた。劉備が亡くなった後は、諸葛孔明に従い各地の戦線で将軍として活躍した。「劉備殿の力になれるなら、どんな役割も受けよう」
コスト 1.0 属性 人
兵種 騎兵
能力 武力3 知力3
特技 なし
計略 的確な援護 範囲内の最も武力の大きい味方の兵力を回復する。
必要士気3
Illustration : 山宗
掲示板
28 ななしのよっしん
2020/11/03(火) 18:20:59 ID: xfe55L1XNZ
>>24
皇帝の名前は避諱って言って名前に使わないのが中国の風習だったけど、即位の期間が短いとそうでもないこともある
劉懿って後漢の皇帝も無かったことにされてるから、呉懿も司馬懿も諱を使ってる
29 ななしのよっしん
2022/10/09(日) 22:42:36 ID: 7+vThnM4hG
呉懿も魏延も有能なんだけど、二人とも蜀の敵(になったりする国)の名前が入ってるのが『う〜ん…』となる
30 ななしのよっしん
2023/09/09(土) 18:03:57 ID: QIZDQQrdBL
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最終更新:2024/04/25(木) 11:00
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