和泉守兼定(刀剣乱舞)とは、ブラウザゲーム「刀剣乱舞-online-」に登場するキャラクターである。
オレは土方歳三が使ってたってことで有名な、和泉守兼定だ。
……つっても、オレは評価の高い二代目兼定じゃなく、十一代目か十二代目が打った刀だけどな。
まっ、侍の時代の終わりの、その最先端だったんだ。生まれに文句はないね(刀帳)
幕末から活躍した兼定の作であり、
新撰組副長、土方歳三が愛用したと言われる大振りの刀。
美と実力の両方をテーマとして生きている。
気が短いのは元の持ち主のせい。
刀種は打刀。刀派は兼定。
審神者からは「兼(かね)さん」とよく呼ばれる。大体堀川のせい。
くるぶしまである長い黒髪に浅葱色の瞳の美青年。
深い赤を基調とした戦装束に、新撰組のトレードマークであるだんだら模様の羽織風のマントをまとう。
同刀派の歌仙兼定(刀剣乱舞)と比較して戦装束のデザインが共通しているほか、耳につけた赤いピアスは相棒の堀川国広(刀剣乱舞)とお揃い。なお2017年8月1日に実装された極により、堀川がつけるピアスも同じ形になっている。
内番衣装では上衣を襷がけにし、下は黒の股引+ブーツ。長い髪を赤い紐で束ねており、ピアスも戦装束とは別のものをつけるなど、細かい所で差異のある洒落た着こなしを見せている。
ちなみにハイネックのインナーは一見長袖かと思いきや、ノースリーブ+ロンググローブである。ちょっと破廉恥。
サービス開始時の刀種は太刀だったが、2015年7月22日のアップデートに伴い、同田貫正国(刀剣乱舞)、大倶利伽羅(刀剣乱舞)とともに刀種が打刀に変更された。変更による弱体化はなく、「遠戦の出来る太刀」と呼んでも差し支えないほど、打刀の中でもトップクラスの高ステータスである。
この変更により、新撰組所縁の刀剣男子全員が6面「池田屋の記憶」で活躍できるようになり、6-3「池田屋二階」において特殊台詞『御用改めである!』が実装された。
「バラガキ」の異名を取った「鬼の副長」こと土方歳三の人となりを映したかのように、ガラッパチで小気味よい台詞を口にする。
「実用性一辺倒じゃあ華がねえ。見た目だけじゃあ話にならねえ」と言い放ち、自分は両方を備えていると強く自負している。近侍に据えて放置していると「なーにやってんだよ。まさか……オレに見とれてる?」と言うなど、相当に自信がある様子。
一方で内番になると、馬当番でも畑当番でも露骨に嫌そうな反応を示す。堀川国広(刀剣乱舞)と共に仕事をする時は特殊会話となり、仕事を任せて逃げようとしてしっかり阻止された。
また正月限定のボイスでは「新年くらい無礼講で行こうぜ」と言っており、お屠蘇気分全開の賑やかし勢だった。この時堀川は「兼さん叱ってきます」と言っており、後できっちりシメられたものと思われる。ほりこわくにひろ。
そんな堀川の事は「国広」と呼んでおり、「あいつはなぁ、勝手にオレの助手とか名乗ってて」とぼやきつつも、主に対しては「いや、助かってはいるんだけどな?」と告げている。なお実装された刀剣男士は多かれど、一人の主に使われた大小(本差・脇差)という関係にあるのは彼ら二振のみである。
戦や訓練に向ける情熱はかなり高く、好戦的。「斬って殺すのはお手の物」らしく、型にはまらない実戦剣法を得意とする。
攻撃時の「そぉら目潰しだ!」という台詞も、土方が斬り合いの最中に地面の砂を蹴り上げ、ひるんだ相手を斬殺した喧嘩殺法が由来と思われる。
中傷時や真剣必殺時には即座にブチ切れ、「ナメた真似してくれたなぁ!」「この野郎……ブッ殺してやる!」などと物騒な台詞を吐く。これだから兼定は
現在実装されている刀剣の中でも作刀されたのが最も新しい事から、二次創作では最年少扱いされたり、短刀に交じってわちゃわちゃやったり、堀川にベタベタに甘やかされる&甘える描写が多い。
しかしゲーム中では場を見極め、元主の終焉の地において心揺れ動く相棒を厳しく叱咤する冷静さを持ち合わせている。その後泣いちゃったけど。上述の邪道な戦い方も、正道を学んだ上でのことだとしている。
また堀川も実際には相棒・助手として対等な立ち位置にあり、お互いに諫める時にはしっかり諫められる良好な関係にある。
幕末の動乱期にあった刀剣男士とは縁があり、回想や内番台詞も新撰組所縁の刀剣男士や陸奥守吉行(刀剣乱舞)との間に発生。
2016年5月17日のアップデートでは歌仙兼定(刀剣乱舞)との手合わせにおける特殊台詞も実装され、歌仙の事を「之定」と呼んでかっこいい所を見せようと意気込んでいた。これは土方歳三が之定作の刀を所望していた事に由来していると思われる。そんな和泉守に対して歌仙は「雅さに欠けるな」と言いつつも、実力は認めている模様。
このように、他の刀剣男士との関わりが極めて多いキャラクターである。
2017年1月31日、近侍曲が実装。元・太刀なこともあってか、必要な楽器の数が他の打刀と比べて少し多い。
作曲はアニメ・ゲームの主題歌等の楽曲提供を行ってきた音楽制作ブランド「Elements Garden」の母里治樹氏が担当した。
『グリザイアの果実』『うたの☆プリンスさまっ♪』等に楽曲を提供し、高い評価を受けている。
2017年10月10日、長曽祢虎徹(刀剣乱舞)・大和守安定(刀剣乱舞)と共に、打刀として初となる極が実装された。
ステータスが大幅にアップした他、元太刀の和泉守のみスロットが2から3に増加、レアリティがアップ。
また「遠戦の時、稀に上下に隣接した刀剣男士をかばう」という新たな特性が付与。かばった際に受けるダメージは軽減されており、敵の攻撃を稀に弾く脇差極と共に運用が想定される。
髪型がポニーテールに代わり、額には鉢金、羽織風のマントは羽織に変化。
巴紋の入った胴丸鎧風の防具が加わり、馬乗袴の裾の上からブーツを履くなどの変化が見られた。またピアスにも変化が生じ、鳳凰の羽をモチーフにしたと思われるカフスに変わっている。
修行先は大方の予想通り、かつての主・土方歳三のいる新選組だった。
自分の存在については「十一代目や十二代目の兼定が打った刀に宿るもんが、土方歳三という元の主を共通項にして合わさることで今の姿になってる」という認識を持っていることが判明。
審神者に送った手紙の中では、修行とは剣術や他の技術ではなく、もっと根本的な何かを見直すものだという自説をつづるも、手紙を読んでいる審神者が失礼な事を考えているような気がして「オレが頭使ってちゃそんなにおかしいか?」と記している。おかしくないよ兼さん!
その後史実通りに事は運び、和泉守は土方の最後を見届ける。
あまりにも呆気ないかつての主の最後、どれほどの名刀であろうとも主を失う時代への感傷を重ね、その想いこそが自分の核なのだと認識。今代の主たる審神者に振るわれる自分は「今も最前線で戦う立派な名刀」なのだと自覚し、帰還を果たした。
余談だが、この時だけ「圡方」と書き記している。これについては土方歳三資料館のブログ記事が参考にあるかも知れない。
基本的な性格と気の短さは変わっていないが、出陣時に「さぁ戦しようぜ!昔ながらの刀や槍を使った戦を!」と言うなど、若干前向きな方向に変わっている。しかし畑当番や馬当番は相変わらず嫌がっており、「この理不尽に慣れてきちゃってるのが我ながらムカつくな……」と、ぶちぶちと文句を言いながらイヤイヤこなしている。
自信の程は相変わらずで「刀の主はさ、周囲からどんな刀を持ってるかって値踏みされるんだ。その点、オレは悪くないだろ?」と臆面もなく言い放ち、万屋に連れて行けば「店員にもオレの格好良さを見せつけたいと? わーかるわかるぅ」とドヤる。かわいい。
戦場でのキレ具合も健在。真剣必殺では「てめえ……絶対ブッ殺す!」と殺意を露わにする一方、一騎打ちでは「へへっ、五稜郭みたいには行かねえぜ!」と、元主を知る審神者を感涙にむせばせる台詞を口にする。
また軽傷での手入れでは「軽く薬でも塗っときゃすぐ直るんだけどな」と口にし、石田散薬を思い出す審神者もいるかも知れない。しかし石田散薬は飲み薬なのであった。残念。
この項目は、ネタバレ成分を多く含んでいます。 ここから下は自己責任で突っ走ってください。 |
第4話にて32番目に顕現。
先に顕現していた堀川国広(刀剣乱舞)が審神者から拝領したヒトガタの呪符に「兼さん兼さん兼さん兼さん兼さん……!」と願掛けをした結果の顕現となった。物欲センサーキャンセル大成功。
何かと気の利く堀川に先回り気味に世話を焼かれて「こええよ!」とツッコミを入れ、久しぶりに再会した加州清光(刀剣乱舞)・大和守安定(刀剣乱舞)との手合せから二対二の乱戦に突入。堀川と共に二刀開眼を披露しようとしたが、この時は失敗に終わった。
エンディングテーマ『時ぞとも無し兼備の華よ』では堀川とデュエット、堀川が料理の味見をする横からつまみ食いをしようとして阻止されるなどの微笑ましいカットが見られた。
第11話では新選組所縁の面子に陸奥守吉行(刀剣乱舞)を加えて池田屋に雪辱戦を仕掛け、二刀開眼にて時間遡行軍を倒すが、検非違使との遭遇で窮地に追い込まれる。第12話では羽織風の外套を脱ぎ捨てて本気を露わにし、真剣必殺にて見事検非違使を仕留めた。
『続『刀剣乱舞-花丸-』』にも引き続き登場。
第3話では堀川と共に歌仙兼定(刀剣乱舞)との連句に興じ、発句(最初の句)として「春の庭 桜もいいが 梅もいい」とだいぶアレな感じの技巧におもねらず諧謔に富み素朴な感性を感じさせる句を披露。(元主つながりで同じ感性と思われる)堀川からは絶賛され、脇句(次の句)を受け持つ歌仙が苦笑する一幕があった。これについてはスタッフインタビューで、共に風流人だった元主の所縁からピックアップされたと語られており、元主の詠んだ句を知るとまた違う面白さが見えて来る。
第9話では新撰組所縁の男士とその身内が道場に集っていた所に陸奥守が現れ、水鉄砲を使ったサバゲー勝負に発展。こちらでは堀川とチームが分かれて対決、水風船を使った爆撃や闇討ち上等の一騎打ちを繰り広げ、鶯丸(刀剣乱舞)を巻き込みつつ、最終的に堀川の詰めの甘さにつけ込んで決着をつけた。
この項目は、ネタバレ成分を多く含んでいます。 ここから下は自己責任で突っ走ってください。 |
2017年7月から放送のアニメ「活撃 刀剣乱舞」では第一話から登場。
堀川国広(刀剣乱舞)と共に幕末・文久三年へと飛び、時間遡行軍との戦いに身を投じる。
第一話では城下町が大火に見舞われる事を知っており、被害の及ばない川向こうの宿を取っていた。救助に向かおうとする堀川に「人助けでもして歴史を変えたいのか!」と一喝し、歴史を守る事の厳しさを突きつける形となった。
その一方、逃げ遅れた少女を火の海から救い出すなど、非情とは言い切れない一面が露わになっている。歴史改変の可能性を示唆されると「そん時ゃ、オレがあのガキ倒しに行けばいい」と言ってのけており、考えるよりも先に体が動く性質であるようだ。これについては「些末な変化であれば歴史修正力が働き、歴史改変には至らない」という設定が後に明かされており、この程度では問題行動には当たらない模様。
その後救援に駆けつけた審神者により、薬研藤四郎(刀剣乱舞)・蜻蛉切(刀剣乱舞)・陸奥守吉行(刀剣乱舞)が加入。新たに第二部隊隊長に任命され、引き続き時間遡行軍との戦いに挑む。
第三話において、港に停泊中の貿易船が爆破された時には、現場に直接駆けつけるのではなく、現場から立ち去る不審人物に注目して追跡。こんのすけの調査と併せて攘夷派浪士のアジトを突き止め、仲間と共に歴史改変を阻止した。
第五話において新たに鶴丸国永(刀剣乱舞)が加入するが、直後に時間遡行軍による攻撃を許してしまい、はからずも江戸城下が火の海になってしまう。かつての主が守ろうとしていたものを破壊された事、死なずに済んだ人間が大勢死んだ事に激昂した隙をつかれ、敵の攻撃を食らってしまう。本丸に帰還後は審神者の手入を受けて回復したものの、目に焼き付いた光景が離れずに思い悩む事となる。
第八話では蜻蛉切の回復を受け、第二部隊の面子に声をかけて改めて助力を願う。この時陸奥守には声がかからなかった為に陸奥守がばくはつ。詰め寄られても動じる事なく、どストレートに「来てくれ」と発言。最後まで声をかけられなかった事にぶんむくれた陸奥守だったが、蜻蛉切が「食事の時、和泉守殿は好物を最後まで取っておくのではないか」とフォロー。それを巡り、二人して子供じみた取っ組み合いを見せた。
第九話ではその陸奥守が元の主・坂本龍馬を庇い、一時的に消息不明となる。それでも「あいつは絶対に歴史を変えない」と断言するなど、心の底では信頼を置いている模様。
終盤、歴史を守る事と前の主への想いにより、堀川と袂を分かつ事態となってしまう。
そんな彼の元に駆け付けた審神者により、箱館戦争へと導かれる和泉守だったが……その結末は、是非その目でご覧いただきたい。
こういった描写から、視聴者である審神者諸氏からは「兼さんが賢いだと……」「この兼さんは大卒だな」などという感想が多く聞かれたが、彼が「極端に」子供っぽいのは二次創作の話である。
この手のステレオタイプな扱いを快く思わないファンもいるので、要注意。
江戸後期~明治の刀工・十一代目兼定こと和泉守兼定(会津兼定)の作。(一説では十二代とも)
新選組副長・土方歳三が、脇差の堀川国広と一緒に愛用していたと伝えられている。
十一代目兼定の本名は、古川清右衛門(ふるかわせいえもん)、またを友弥兼元(ともやかねもと)。
17歳で父に代わって作刀を行い、26歳の時に「和泉守」を朝廷から拝領。歴史上「和泉守」を拝領した兼定は、二代関兼定(之定)と彼のみである。
現存する和泉守兼定を打った1年後に会津戦争に参加し、会津若松城に籠城。城内では刀ではなく、鉄砲の弾の鋳造をしていたという。戦後は越後(現在の新潟県)に移住し、依頼を受けて神社に奉納する刀を打っていたが、廃刀令に伴って廃業、その後は福島県の職員となった。
しかしその後も作刀自体は続けており、明治25(1892)年には皇太子(後の大正天皇)に刀を献上したという記録の他、明治33(1900)年に清で発生した「義和団の乱」の防衛戦で活躍した軍人・柴五郎の為に刀を鍛えたという話が残っている。
明治36(1903)年に東京・陸軍砲兵工廠に招聘され、日英同盟締結記念に英国王室に献上する刀を作るという大役を任されるが、その2ヶ月後に死去した。享年67。
その時の刀の行方は不明だが、約100年後の平成16(2004)年になって押形が発見されている。
という歌を詠んでおり、自らの技と、刀の所有者に賭けた熱い想いを今に伝えている。
現存する和泉守兼定には「慶応三年二月日」の銘が切られている(=池田屋事件には参加していない)。
加えて、十一代目兼定の門人・大隅守広光が記録した刀剣注文帳によると、新撰組では複数の兼定を所有していた事や、近藤勇が土方の義兄・佐藤彦五郎に宛てた手紙の中に「和泉守兼定二尺八寸……」とあり、寸が異なっている事から、土方は寸違いの兼定を数振所持・使用していたとされる。
これについて、シナリオ担当の芝村裕吏氏は2015年に開催されたコンテンツ文化史学会の第1回例会において「和泉守兼定には2パターンの設定がある」と答えており、二次創作においても多くの解釈に分かれている。
長らく公式からの情報はなかったものの、極実装において一つの解釈が示された。
会津から転戦を繰り返し、箱館で戦死した土方の手から日野の家族の元に戻った経緯については、様々な説が伝わっている。
打たれてからわずかに2年という歳月を主と共に過ごしながら、鞘には戦でついたと思われる傷が、束糸(つかいと)には摩耗して使い込まれた痕跡が残っており、戻ってきた当時は刃こぼれが幾つも見つかったという。その後昭和の初めになって研ぎ直しが行われている。
時代の流れの中で多くが遺失した新撰組ゆかりの刀剣にあって、現存する内の貴重な一振である。
戦装束のデザインはこの一振の拵を参考にしており、着物に描かれた鳳凰や草摺の牡丹唐草に意匠が反映されている。
現在は東京都日野市の「土方歳三資料館」(土方の生家)に所蔵。毎年土方の命日などに合わせ、一般に向けて特別公開される。
常設展示ではなく、また資料館も閑静な住宅地にあるので来訪時にはご注意を。
2018年4月27日から岐阜県博物館で開催された特別企画展「兼定 刀都・関の名工」に出展。展示期間は6月2日~24日。
関兼定作の刀が一堂に会する貴重な展示において、会津兼定の作品の中でも特に注目され、展示期間中は多くの来場者が集まった。また6月2日は土方歳三資料館の土方愛館長による特別講演「和泉守兼定と土方歳三」が開かれ、講演会場が早々と満席となった為に別会場が用意され、同時中継される盛況ぶりだった。
なお歌仙兼定は熊本および京都での展示が前後し、特別企画展への参加は後世に製作された拵の写しのみだった。残念。
2019年は土方歳三没後150年に当たり、4月7日~5月26日の期間中、特別開館日を多く設けての公開となる。詳細は資料館公式サイトおよび告知を参照のこと。
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最終更新:2024/04/18(木) 21:00
最終更新:2024/04/18(木) 21:00
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