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和田竜二とは、JRA(日本中央競馬会)に所属する騎手である。

概要

1977年滋賀県に生まれる。トレーニングセンターで働く厩務員で、後に競馬学校同期となる高橋(元騎手、現調教師)とは小中の同級生かつ、同じ乗クラブに通う友人であった。また同じクラブには1歳年上だが後に同期となる福永祐一もいた。

競馬学校では上記の福永高橋のほかに古川吉洋、常石勝義やJRA初の女性ジョッキーである牧原(増沢)由貴子細江純子田村来の3人、JRA初の双子ジョッキーである柴田大知・未崎兄弟といった面子同期となった。福永天才ジョッキー福永洋一であり、彼が『の15期生』(洋一の他に岡部幸雄柴田政人といった名ジョッキーがいる世代)であったことから、この世代は後に『競馬学校の12期生』と呼ばれるようになる。

デビュー後

1996年競馬学校卒業して岩元三厩舎で騎手デビュー12月にはステイヤーズステークスを自厩舎のサージュウェルズで制覇し、の12期生で一番乗りとなる重賞制覇を成し遂げた。最終的にこの年は33勝を挙げ、53勝を挙げた福永には及ばないまでも同期の中では2番勝利数で、中央競馬関西記者クラブ賞を受賞した。

2年にはこれまた自厩舎のテイエムトップダン毎日杯を制覇し、同クラシック三冠レースに挑戦した(結果は順に12着・13着・7着)。クラシック三冠は残念な結果に終わったものの、関西若手のホープとして徐々に名を挙げていくようになる。

テイエムオペラオー

デビューから3年、岩元厩舎に入厩してきた毛のがいた。そのは、テイエムオペラオー。厩舎の戦であった和田は、最終的にオペラオーの全レースの手綱を執ることになる。

の新戦を2着に敗れると折が判明し、次戦は年明けになり足元を考えダート戦へ転向。ダート2戦で勝ち上がると、そこから芝に戻って500万、毎日杯を連勝。皐月賞では外から一気の差しで勝。4連勝で人ともにGⅠ初制覇を成し遂げた。余談だが前週には福永祐一桜花賞プリモディーネで制しており、GⅠ初制覇では彼に先に越されたことになる。12期生で一番最初にGⅠを勝ったのは古川吉洋(アインブライドの阪神3歳S)なのは忘れられがち。

しかしダービーでは仕掛けがたたりナリタトップロードアドマイヤベガに差されての3着。菊花賞では逆に仕掛け遅れて直線すぐ先頭に躍り出たナリタトップロードを捕えきれず2着と、和田ミスで残りの2冠を落としてしまう形となった。特に菊花賞後はテイエム軍団のオーナーである園正継氏も大激怒で岩元師に乗り替わりをめた(ちなみにこの時の乗り替わり補は武豊だったらしい)。しかし岩元師も師匠布施正師に慢して乗せてもらったことでダービージョッキーまでなったこともあり、和田騎手を一人前に育て上げたい一心で「どうしても乗り替わりと言うなら、転厩していただくしかない」と拒否した。元々岩元師と園氏は幼馴染で親交が深かったこともあり、園氏が折れる形で和田の続投が決まった。ステイヤーズステークスは2着、有馬記念は3着と敗れこの年を終えるものの、有馬記念ではグラスワンダースペシャルウィークをクビ差まで追い詰める僅差の競馬を見せ、翌年以降に飛躍を予感させて終えることとなる。

そして翌年、初戦の京都記念を勝つと和田園氏からこんな言葉を受けた。

「今年はもう負けるなよ、全部勝てよ」

彼は(もう負けられへん、負けたら終わりや…)と覚悟し、気迫る思いでオペラオーに騎乗した。その気迫がオペラオーに伝わったのか、オペラオーと和田は連戦連勝。終わってみればこの年は古王道GⅠ(天皇賞(春)宝塚記念天皇賞(秋)ジャパンカップ有馬記念)全5勝を含む8戦8勝のグランドラムを達成。翌年は勝利こそ天皇賞(春)のみに終わるものの、宝塚記念天皇賞(秋)ジャパンカップでは2着を確保し、獲得賞金世界最高記録(当時)を残してオペラオーは引退した。引退式で彼はオペラオーにはたくさんの物を貰ったが、あのには何も返せなかった。これからは一流の騎手になって、オペラオーに認められるようになりたい」と述べている。

オペラオーに乗っていた当時の状況を和田「気をりすぎて、競馬の時以外は廃人のような状態だった」と振り返っている。また「当時の自分は未熟でオペラオーを導くことができなかった、いまめてオペラオーのようなに出会いたいともっている。

現在まで

その後は関西のリーディング上位の常連となる。2010年デビュー以来から所属していた岩元厩舎からフリーになると、年間最多騎乗回数争いに毎年顔を出す勢いで多くのに騎乗している。オペラオー以降しばらくGⅠ勝利からは遠ざかったが、2012年にはワンダアキュートで交流GⅠのJBCクラシックを制しており、2015年には9歳になった同かしわ記念で再び交流GⅠ勝利に導いている。2016年には史上29人の通算1000勝を達成した。

2017年は絶好調ともいえる年で、40歳にしてキャリアハイの年間96勝を達成。フローラステークスを制したモズカッチャンオークスでも2着に導くも、ミルコ・デムーロへの非情の乗り替わりとなった。その後エリザベス女王杯クロコスミアをテン乗りで2着に導くも、このレースの勝ちオークスで2着に導いたモズカッチャンと、悔しい形でGⅠを取りこぼす形になってしまった。

2018年5月には、テイエムオペラオー相棒のGⅠ8勝を見ることなく心臓麻痺で急死してしまう。しかしその僅か1ヶ後、宝塚記念ミッキーロケットに騎乗して勝利17年ぶりの中央GⅠ制覇。和田ゴール直後から涙を流し、「オペラオーが背中を押してくれた。やっと胸をって報告ができる」とった。

人物

は厩務員。坂口正大厩舎でデュランダルを担当していた。また甥(の子)に同じく騎手の岩崎がいる。

につける競馬を得意とする。これは師匠である岩元師が脚に負担がかかるという理由で後ろからの競馬が好きではなく、普段から彼にも前につけるように示していたから。テイエムオペラオー皐月賞は後方一気の競馬だったが、彼自身が馬場を鑑みて本番で後方一気の競馬をしたということもあり、レース師匠からお叱りの言葉を受けた。

見た二枚目だけど関西所属騎手の宴会部長的立ち位置。ファンと騎手の集いやジョッキーフェスティバルでは積極的に盛り上げ役を買って出て、ドッキリVTR仕掛け人をやったり逆ドッキリを仕掛けられたりもする(逆ドッキリ仕掛け人は「異常なほど恐怖感を感じる先輩福永祐一・談)」武豊)。コスプレをして現れることも多数で、GacktならぬWacktは必見。結構イベント事には手の込んだことをする。

イベント時には愉快な一面を見せるが、普段はで物静か。甥の岩崎く「だとすごく静かなのに、イベントきゃりーぱみゅぱみゅコスプレをしててびっくりした」とのこと。その岩崎ドッキリを仕掛けようとして「恐怖の先輩川田将雅に逆ドッキリを仕掛けられている(論、狙いは甥としての立場を利用した、和田一族の「血統」にある)。

関連動画

テイエムオペラオー

17年ぶりの栄冠

東の宴会部長

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最終更新:2019/10/24(木) 13:00

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最終更新:2019/10/24(木) 13:00

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