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哲学とは・・・

  1. 学問のひとつ。ニコニコ動画におけるタグ付けについては「<哲学>」の項を参照のこと。
  2. ムチムチSUMOシリーズに高確率で付けられるタグ
  3. ガチムチパンツレスリング動画につけられるタグ
  4. 音楽シミュレーションゲームにおいて、あまりにも難しい譜面のこと。特に「POSSESSION(BEMANI)」(DOUBLECHALLENGE譜面)に使われることが多い。詳しくは「わけのわからないもの」や「どうしようもないもの」参照

一般的な用法としての哲学の概要

 もともとは「知ること」について突き詰めることを意味していたため、学問全般についての言葉であったが、現代においては「言葉の意味を決め、主観的にならないようにして理屈を作っていくこと」を意味する。とても抽的な意味であるため、様々な分野において~哲学という言葉が存在する。

 辞書の記事を作る作業も「言葉の意味を決める」と言う意味で哲学のための土台である。

 数や物理法則といった、この世界の基本的なルール追求する、と言う意味において、高度な数学(論理学)は哲学の助けになるし、人間の考え方について理解する、と言う意味では宗教学、心理学倫理学、言語学歴史……といった分野も哲学へ向かっていく事ができる。

 特定の事ではなく、全体にとって言えるような普遍的な事柄について考えることが多いため、哲学では具体的でないものについて考えることが多い。

 本記事で後述されている「ガチムチパンツレスリング動画」についても「どうしてこのような物ができてしまったのか?」「どのような人がこれを楽しんでいるのか?」「どういった部分が面いのか?」「他のガチホモ系ではどうなのか?」「これはビリー・ヘリントンに特有の事なのか?」「そもそもガチホモとは一体どのような定義であるのか?」……と言う、直感的に理解しがたい部分が数多く含まれているため、これも哲学になる要素は十分にないとは言えなくもない。しかし、そもそも「哲学」の言葉の定義からして、この世界のできごとに対して考えることはすべて哲学につながっているため、特にガチムチパンツレスリング特定する事でもない。

ガチムチパンツレスリング動画につけられるタグとしての概要

レスリングシリーズ」、「森の妖精」などと並び、ガチムチ動画に高確率でつけられる場合が多い。
(最近では「ムチムチSUMOシリーズ」の動画にも付けられる事も多い。) 

現在は「義務教育」や「世界遺産」、「一般教養」など堅苦しいタグがつけられる場合もあり、 本来の意味で上記のタグ検索した人々に著しい精神的ブラクラ的効果を与える原因になっている。 

 然るく、

    「なぜ、彼らはレスリングをするのか?」

    「なぜ、彼らはパンツを取るのか?」

    「なぜ、彼らはケツくのか?」

    「なぜ、私はこの動画を見ているのか?答えは、未だ見えず・・・。 」

     「それが青春・・・か?」

 

  人類の生きてきた軌跡の中で未だに定義づけられていないものが多く存在する。

 その中に""生きる意味""がある。

 人はなぜ存在しているのか?という漠然とした疑問にはっきりとした答えがないのである。

 森の妖精たちは""それ""を闘いの中で探しているのかもしれない・・・

 人類の名誉ある哲学者の歴史をたどっていくのかもしれない・・・

 私たちはそれを見守らないければならないだろう。

 私たちもまた彼らと同じように日々を生き抜き、辛い現実と闘い、

 自問自答しながら人生を営んでいる生き物であるのだから・・・   

 

考えさせる存在、考えられるべき存在。それが兄貴である。

彼らは私たちに真実を与えない。彼らは私たちに真実を探すことを要する。

なぜなら答えは一つではなく、人間の数だけ哲学があるからだ。

彼らの動画哲学と称される所以は、そんな所にあるのかもしれない。

関連動画

関連項目

掲示板

  • 491ななしのよっしん

    2019/05/05(日) 14:30:31 ID: t9D7mWRdhO

    論理的思考とは一般に「論理法則に適合した考え方、とりわけ推論的考え方」をす(*1)が、論理的推論には演繹的推論という方法が存在する(*2)
    演繹とは「ある前提が正しいと仮定すると、次のような結論が得られる」という推論の形式であり、前提条件の偽の如何に依拠しない推論方法である
    したがって現実的には偽あるいは偽不明の命題に基づいて論理的思考を展開することも可である(数学における公理概念を見よ)
    正しい結論を導くためには信頼性の高いソースに基づかなければならないのは当然であるが、それらは演繹的推論を展開するための十分条件ではない
    以上より「論理的思考は、先行研究というソースが積み重ねられて成立している」とは必ずしも言えないということが了解される

    (*1) https://kotobank.jp/word/%E8%AB%96%E7%90%86%E7%9A%84%E6%80%9D%E8%80%83-153703exit
    (*2) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E7%90%exit
    (省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)

  • 492ななしのよっしん

    2019/05/07(火) 16:36:10 ID: VL1VQ7GtrE

    >>491
    名無しの書いたレスには、
    読制度で認可された読済み論文という信頼性が
    学会や研究機関や実績ある研究者が表したという信頼性も
    学術系出版社や著名な出版社が表したという信頼性も
    それに対して、  ソース々じゃない 名無しの演繹レスは正しい  とか返答しても、通用せんだろ


    結局、哲学が役に立つというソース哲学の外には存在しないのか
    哲学者や哲学書が「哲学は役に立つ」と言っているくらいで

  • 493ななしのよっしん

    2019/05/07(火) 22:04:48 ID: IUgOvi20tk

    >>491
    >正しい結論を導くためには信頼性の高いソースに基づかなければならないのは当然

    “当然”とあるが、結論の正しさとソースの信頼性(信憑性?)の高さの間に必然的な関係は認められないだろう。
    自然”と言うならば納得できるが。

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最終更新:2019/05/21(火) 19:00

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最終更新:2019/05/21(火) 19:00

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