土方歳三(ひじかたとしぞう)とは、幕末の人物。
後に新撰組副長、幕臣の地位へと至り、激動の時代を駆け抜けた生涯は後世の人々に愛され、多くの創作が作られた。
今でもなお人気を集める歴史上の人物である。
→平野耕太の漫画「ドリフターズ」の登場人物は土方歳三(ドリフターズ)を参照。
→野田サトルの漫画「ゴールデンカムイ」の登場人物は土方歳三(ゴールデンカムイ)を参照。
天保6年5月5日(1835年5月31日)、武蔵国多摩郡石田村(現:東京都日野市石田)に生まれた。
実家は裕福な農家で、10人兄弟の末っ子だった。しかし父は彼が生まれる前、母も6歳の時にそれぞれ結核で亡くなっている。また長男は盲目だった為に家を継げず、次男とその妻によって育てられた。
少年期は粗暴な少年として有名だったようで「イバラのように、触ると怪我をする」事から「バラガキ」の異名を取った。「丁稚奉公に出た店で暴力沙汰を起こした」「年上の女性を妊娠させた」「番頭にアッーな関係を迫られてぶん殴った」ことで実家に返品されたという、結構アレな話が残っているが、どこまで本当かは定かではない。
その後は実家秘伝の「石田散薬」を行商で売りながら、各地の剣道道場に他流試合を挑んでは修行を積んだという。
その頃、土方の姉の嫁ぎ先である日野の名主・佐藤彦五郎が様々な理由で命を狙われていた。身を守る術を必要とした彦五郎は天然理心流に入門し、自宅で道場を開いていた。そしてこの道場に指導の為に訪れたのが、江戸の天然理心流道場・試衛館の近藤勇だった。
義兄の道場にちょくちょく出入りしていた土方は近藤に誘われ、正式に試衛館に入門する。ちなみに試衛館にはその後の新撰組を結成するメンバーが揃っており、9歳で入門した沖田総司のほか、井上源三郎、山南敬助、永倉新八、原田左之助、藤堂平助らがいたとされている。
文久3(1863)年2月、将軍・徳川家茂の上洛に合わせ、警護の為に「浪士組」の募集が行われた。
これは「腕に覚えがある者ならば、前歴・身分・年齢を問わずに参加できる」という、画期的な組織である。さっそく土方は試衛館の仲間とともにこれに応募し、京都へと赴いた。
ところが浪士組の発案者・清河八郎の意見で、将軍上洛の警護よりも尊王攘夷を優先した者は江戸に引き返す事となる。
一方で近藤勇、芹沢鴨ら、同心しなかった者で結成されたのが、新撰組の前身・壬生浪士組である。当時は後ろ盾がなかった為に身なりはひどく、京都の人は「壬生浪」を「身ぼろ」とかけて揶揄したという。
新撰組結成後、芹沢鴨らの不品行を理由に、自らの手によって暗殺。以後は副長に就任し、局長・近藤の右腕として辣腕を振るい、京都の警護に当たった。
組織造りの中心となり、実質的な指揮命令の多くは土方が発していたという。
元治元(1864)年5月に山崎丞・島田魁らが内偵を進め、尊王攘夷派志士・古高俊太郎を捕縛する。商人を装って様々な場所に出入りしていた古高は武器や長州藩の密書を隠しており、厳しい詮議を受けた。
この時土方は、情報を引き出す為、古高に壮絶な拷問を加えた。
逆さ吊りにし、両手の爪に五寸釘を打ち込み、さらに足の甲を釘で貫いて蝋燭を立てて火をつけるという責めの果てに、古高は遂に陰謀の存在を自白。それは「京都を火の海にし、混乱に乗じて佐幕派の公卿や大名を殺害、孝明天皇を長州に連れ去る」という、大それた計画であった。
6月5日、新撰組は土佐藩・長州藩の尊王攘夷派が潜伏していた旅館・池田屋を急襲し、多くの志士を斬殺、または捕縛した。これが世に名高い「池田屋事件」である。
クーデターを未然に阻止した功績で、新撰組の名は天下に轟いた。8月には禁門の変の鎮圧に参加し、朝廷・幕府・会津藩から感状と金子を下賜され、第二次隊員募集をかけて組織を拡大するなど、大きく躍進を遂げる。
しかし慶応3(1867)年、伊東甲子太郎らが思想の違いなどから「御陵衛士」を結成して脱退。その後、間諜を務めていた斎藤一から、伊東が近藤暗殺を企てているという情報を得た為、伊東一派を襲撃・暗殺する「油小路事件」が起きた。
同年6月、新選組は幕臣に取り立てられる。農家の子が、武士(さむらい)となった瞬間だった。
しかし慶応3(1867)年10月に将軍・徳川慶喜が大政奉還を行い、変化した時代の流れは土方達に過酷な運命をもたらす。
新撰組は旧幕府軍に従い、戊辰戦争に参加する。しかし初戦の鳥羽・伏見の戦いで敗北し、江戸に撤退。
その後甲陽鎮撫隊と名を改め、新政府軍の甲府進軍を阻止する任を与えられたが、甲州勝沼の戦いにおいて敗退。再起をかけて流山へと落ち延びた近藤勇が新政府軍に捕らえられて処刑され、結核のため戦線を離脱していた沖田総司も江戸で死亡した。
無二の友を失った土方は、その後も残った隊士らと共に宇都宮、会津と転戦する。
最後に蝦夷地(現在の北海道)・五稜郭にて榎本武揚と合流した土方は、二股口の戦いや宮古湾海戦で活躍したが、明治2(1869)年5月11日、一本木関門の戦闘で指揮を執っていた所を銃弾に倒れ、その生涯を閉じた。享年35(満34)。
土方歳三を語る上では、「鬼の副長」と呼ばれる所以となった様々なエピソードは欠かせないだろう。
厳しい陣中法度・局中法度を考案し、隊規に背いた者に対しては、たとえ山南敬助のような幹部であっても容赦なく切腹を命じた。また上述の通り池田屋事件に際して激しい拷問を行うなど、苛烈で冷酷な人物として隊士からも恐れられていたと語られている。
その一方、非常に面倒見のいい人物だったとも言われる。
新撰組の剣術稽古ではいつも胴を着け汗を流して指導をしていたほか、箱館戦争の頃には若い隊士を連れて飲食に出かけ、相談に乗るなど「温和で、母のように慕われていた」という証言がある。
古くからの仲間を失い、遠からず敗北が見える戦局にあって、この地が自分の死に場所と悟り穏やかになったとも、明日の命を保証できない隊士達の士気を上げようとした為とも考えられている。
その波乱に満ちた生涯から、多くの作品に登場している。
最もよく知られるのは司馬遼太郎の小説であろう。長編小説「燃えよ剣」では主人公として描かれ、短編集「新選組血風録」においても「鬼の副長」としての姿が多く描かれている。
大島渚の遺作となった映画「御法度」は「新選組血風録」の二編を原作としており、鬼の副長として隊内で起きた不可解かつ淫靡な騒動に相対する土方を、ビートたけしが演じて話題となった。
変わり種では吉岡平の小説「火星の土方歳三」が挙げられる。
箱館戦争で命を落とした土方が、魂となって尚も戦を求めた結果火星に転生、大冒険を描いたぶっとんだ内容……というかSF古典「火星シリーズ」のパロディである。
もう一つ変わり種としては、京極夏彦の小説「ヒトごろし」も挙げられる。
人斬りとしての狂気に煽られ、「合法的に人を殺せる組織」として新選組を作るという、従来にはない斬新な「人外」としての土方歳三を描いている。
NHK大河ドラマ「新選組!」では山本耕史が土方を演じ、好評を博した。
香取慎吾演じる近藤勇の処刑をもって終わった本編に対し、視聴者から続編の要望が多数届き、後に特別編「土方歳三 最期の一日」が制作・放送されている。
野田サトルの漫画「ゴールデンカムイ」では、箱館戦争を生き延び、網走監獄に収監されていたという設定で登場。老いてなお眼光鋭い老人で、年齢からは信じがたい高い身体能力を持つ。
真の目的は秘したまま、アイヌが秘匿した金塊を手に入れんと再起、脱獄。手始めにウィンチェスターM1892を手に銀行を襲撃して愛刀・和泉守兼定を取り戻し、第七師団の撃滅を目論む。
乙女ゲーム「薄桜鬼」シリーズにおいては、攻略対象・重要人物として登場。独自の設定を取り入れた幕末において、ヒロインにして主人公・雪村千鶴と関わりを持つ事となる。
後にアニメ化、舞台化され、様々な物語が描かれる事となった。
ソーシャルゲーム「Fate/Grand Order」においてはサーヴァント「幕末のバーサーカー」として登場。本来理性が飛んでいるバーサーカーのクラスにありながら、戦術家としての理性を併せ持つ。
宝具「不滅の誠」は自身のHPが少ないほど威力が増す単体攻撃で、リスクは高いがうまくやれば膨大なHPを誇る敵を1ターンキルできる高威力と化す。→土方歳三(Fate)
掲示板
79 ななしのよっしん
2022/03/15(火) 14:43:47 ID: oU9l+Ce1fP
ニコニコで、東北きりたんが唐突に土方歳三の俳句を詠む動画を見かけて、なんでかツボにハマって大爆笑した覚え。
『咲くに咲いても 梅は梅』だっけ。
ところで、土方歳三資料館で4月頭にあの兼定の展示やるらしいぞ!! おまけに刀剣乱舞ともコラボするんだとか。
めっちゃ見に行きたい……!!
80 ななしのよっしん
2022/05/06(金) 14:56:24 ID: RL3NT2K5mF
81 ななしのよっしん
2022/07/13(水) 02:35:32 ID: rigjnRp4WI
川田将雅みたいな人だったんだろうな
急上昇ワード改
最終更新:2024/10/14(月) 02:00
最終更新:2024/10/14(月) 02:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。