坂井秀至(さかいひでゆき)とは、日本の囲碁棋士である。
関西棋院所属。
棋風は、形を気にせず地を稼ぐ先行逃げ切り型
元医者(志望)という異色の経歴を持つ。
アマでは相当活躍していた人物で、
小学生の頃から大会では全国で5本の指に入る実力を持ち、
中学生になってもその快進撃は続く。
受験の為に高校3年から囲碁から離れていたが、
医大合格後はJAL早碁で優勝しアマ世界一の称号を得る。
大学生活も順調に進み、将来の夢である医者の道を歩むものと思われていたが・・・
研修生活が始まると、医者という職業の過酷さを知る。
朝7時から夜12時までの勤務時間では、囲碁に割く時間が持てない。
休日も職業の体質上、不安定である。
現実を知ると、彼の囲碁への情熱は再び高まる。
しかしながら既に当時プロ試験の年齢制限を初めとする壁があった。
どうしてもプロになりたい彼は関西棋院からプロ入り希望の申請を出す。
過去の功績もあり、彼の入段試験は特別な方式となり、
プロと4番勝負を行い、1勝で初段認定を受ける事となったが、なんと全勝。
飛びつけ5段認定を受け、2001年めでたくプロとなった。
その後、関西棋院1位決定戦で優勝、
名人戦リーグ入りにて7段認定、
碁聖戦タイトル獲得など、めざましい
wiki参照。
関西棋院の佐藤直男氏の囲碁教室で学び、
のちに囲碁教室が閉まってからは藤沢秀行の元で学ぶ。
前述の通り、学生時代は国内トップクラスの成績を残し、
医師免許の勉強中に進路を変更し、プロ入り。
碁聖戦3連覇。
関西棋院の看板棋士。
趙治勲とは因縁がある。
高校生だった坂井はとある大会に参加していた。
そこで優勝した者は解説を務める趙治勲と対戦できるというもの。
既にプロに先で打てるほどの実力者だった坂井は順調に勝ち上がっていったが、
なぜか趙は彼に対してはひどい解説をしていた。
最終的に坂井は優勝し、趙と対戦する事となったのだが、
彼は大会運営側が提示する「坂井2子置き」の条件を跳ねつけ、
互い先での対局を希望。
その後のいきさつは不明だが、
特に趙は彼が嫌いなようだ。
派手な大捕り物・激しい攻めではなく、受ける棋風で、
自分が打ちやすい形勢、相手が性格上嫌う打ちにくい碁形にもっていく。
いくぶん地に辛いか。
勉強熱心であり、それはただ碁についてだけではなく、
対戦相手が決まると、過去5年分の棋譜データを全て並べて対策を練るらしい。
相手を裸にしてから対局に臨むという棋士である。
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最終更新:2024/04/24(水) 18:00
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