堀井数男(ほりい かずお)とは、元プロ野球選手である。故人。
OB | |
---|---|
堀井数男 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府東大阪市 |
生年月日 | 1923年12月12日 |
没年月日 | 2006年7月24日 |
身長 体重 |
179cm 71kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 1943年 |
引退 | 1959年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
日新商業学校に進学。在学期間に甲子園大会出場は叶わなかった。
初年度の1943年は主にクリーンナップの一角として起用され、82試合に出場。打率.229、1本塁打、21打点を記録。
翌1944年、全35試合に出場して、打率.246を記録。シーズン終了後、応召。
1946年に南海に復帰し、主に4番レフトとして起用され、打率.293、64本塁打、70打点、15盗塁を記録。プロ野球再開初年度という記念すべき年の優勝に大きく貢献。この優勝は、南海球団にとって初めての優勝でもあった。
1950年、本塁打は5本と減らしてしまったものの、打率.281、82打点を記録した他、キャリア最多となる30盗塁を記録。また、同年4月19日から1956年3月26日にかけて、733試合連続試合出場を記録している。
1952年、打率.297、12本塁打、84打点、23盗塁を記録し、オールスターゲーム初出場し、同年から1954年にかけて4年連続で出場している。
1953年、打率.314、5本塁打、78打点、20盗塁を記録し、ベストナインにも選ばれた。また、オールスターゲームでは第3戦目でMVPに輝いている。
1956年頃から徐々に出場機会が減少。
引退後も南海に残り、1967年まで二軍打撃コーチを務めた後、スカウトに転身。藤田学らの獲得に関わった。
走攻守三拍子を高いレベルで兼ね備えた外野手。733試合連続出場を記録したタフさが有名だが、シーズン二桁捕殺を9度記録していたり、ランニングホームランを記録していたりと、身体能力の高さを伺わせる記録を残している。
新人時代の野村克也に、ボールの投げ方や握り方など、野球のいろはのいを教えた人物でもある。
息子の堀井和人も南海でプレーし、代走や守備固めで活躍。引退後はスカウトとして活動。なお、現役時代は親子でともに南海に所属していた。
通算:16年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 1557 | 6047 | 5569 | 686 | 1513 | 80 | 785 | 177 | 17 | 11 | 430 | 20 | 431 | 78 | .272 | .326 |
掲示板
掲示板に書き込みがありません。
急上昇ワード改
最終更新:2024/10/12(土) 15:00
最終更新:2024/10/12(土) 15:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。